序章6 オレオ

「なぁ、なんだってついて来る気になったんだ?それも大学を休んで、子供たちまで連れて」

 トワメルが怪訝そうに尋ねてもベルイーニは笑っているばかりだった。

 ロクに事情を話さないまま、ベルイーニは大学に早い夏休みを申請し、ミーネと子供たちを伴ってトワメルに同行すると言い出した。

 そして、早々と旅支度をすると、さも自分は行く先の旅には慣れているとばかりに馬を駆って先頭を行く。

「ベルイーニ!?どうしていつもお前は笑ってばかりなのだ」

「ああ、おかしくてね。いつも俺は大抵一人でここを通ってきたからさ。大勢連れがいるというのがちょっと珍しくてな。それがなんだかおかしくってさ」

「なに言ってるんだ、お前は?」

「まぁ、いいじゃないか」

 友人の小言などどこ吹く風といった親友に怪訝な表情を向けたトワメルは自身の後に続く隊列に視線を移す。

 従者として同行を申し出たベルク少年と並んで、あのときの女衛士ジャンヌが馬に跨がっている。

 およそ誰の差し金かは察しがつくというものだったが、立派な身長に相違して彼女がまだ17であり、しかも貴族の娘だというのは全くの初耳だった。

 無口な筈のベルクは旅の間にジャンヌと親しくなった様子で、シメンの話に華を咲かせてジャンヌを楽しませている。会話の内容こそ無骨そのもので味気ないものだったが、ベルクも14で比較的年が近く、互いに緊張することもなく良い話し相手なのだと察した。

 二人とも王宮勤めよりは馬に跨がって外に出ている方が楽しくて仕方ないというようだった。そう考えてしまうとベルクには気の毒な日々を強いていたのかも知れない。将来は武官に推挙してやった方が本人のためによかろうかなどとトワメルは漠然と考えていた。

 そのトワメル本人はといえば、ジャンヌに頼み、日々の出来事を手紙にしたためてアンに送り届けさせている。

 隊列の後方には国王直筆の親書を収めた箱を大事に抱えたウェルテルの勅使が宝物と共に揺られ、その更に後ろにはミーネと二人の子供たちが揺られる馬車が走っている。

 必要最低限の隊列に留めたのは相手の機嫌を損ねないための配慮だった。

 それに公務とはいえトワメルの思いつきに国を巻き込んだことへの後ろめたさも多少はある。

「おい、そろそろ見える頃だよ」

 ベルイーニが指し示した方角に細い線のようなものが蜃気楼のように浮かび上がる。

「なにが見えるんだよ」

 トワメルはじっと目を凝らし、天を衝く細く白い線をみやる。

「あれが東の塔さ」

「なんだとっ!?」

 鬱蒼とした森から一筋に伸びた線に見える“それ”が塔だとは到底思えなかった。

 行程と距離からして相当遠く離れているというのに見えることにトワメルは驚き、なんでそんなことを知ってるんだとベルイーニを恨めしげに見る。

「そろそろ『お出迎え』が来るかもな」

 ベルイーニはニヤニヤと笑みを浮かべ、空の彼方へと視線を向ける。

「お出迎えって言ったってここはまだ・・・」

 東エルトニア地方。アルテア王家の直轄領で街道をしばらく東に行った先にエルトニア城がある筈だった。無嗣により直轄領に組み込まれる以前はアルテニア公爵が治めていたとされる。

 ウェルテル王の3代前に国王が急死し、王家が無嗣状態に陥った。重臣たちは協議の結果、公爵を新たなアルテア王に迎える。そもそもそうした事態に備えての公爵だった。国王即位後も家臣を新たな領主に任ずることなく、そのまま引き続き直轄統治したという。なにしろ、懐具合が厳しい王家にとり、広大かつ税収も多いエルトニアを手放すいわれはなかった。

 王領はまだまだ先まで続き、地続きのポロニウムからはまだ遙かに距離がある。地図を取り出してトワメルは確認のため手元に視線を向ける。

「ほーらきなすった」

 ベルイーニの言葉にトワメルはふいと視線を上げる。遙か遠くの空に小さな影が見えた。

「なんだあれは・・・」

「赤いな。とするとオレオだろうな」

「おれお?なんだそれは・・・」

 その疑問は瞬く間に解消した。

 小さな影は物凄い速度でこちらに向かって来る。次第に大きな影となっていくのをトワメルは固唾を呑んで見守る。

「なっ!?」

 ベルクとジャンヌも慌てた様子で馬を止め、腰の剣に手をやる。

「妙な真似はするなよ。あの早とちりしそうな若い連中にもそう伝えておけ、大事な魔王殿の使者だ」

「まさか・・・竜?」

「そういうこと。赤龍折れ尾。俺の飲み友達さ」

 平然と言い放つベルイーニを尻目にトワメルは慌ててベルクたちに命ずる。

「手出しはするなっ。相手はこれからお会いする方の・・・」

 トワメルの言葉が耳に入らないほど、驚き目を見開く二人。

 彼らの様子が気になって振り返ったトワメルの頭上にはっきりとしたシルエットが空を覆う。

 巨大なドラゴンが速度を緩めて上空を旋回する。その恐ろしげな牙と赤く光る残忍そうな眼が一行に向けられ、トワメルは思わずたじろいだ。

「まっ、そんなに心配しなさんな」

 ベルイーニはこともなげに告げると一行よりも一段前に進み出る。

 それを確認するかのようにして赤龍は羽ばたきを続けて着陸する。街道脇の田畑で農作業をしていた人々が物珍しげに集まってくる。

「珍しいこともあったものだ。折れ尾様がこちらまで来られるとは」

「さすがはオレオ様だ。作物にはまったく傷をつけぬよう静かに降りられた」

 農民たちのこなれた態度と言葉にトワメルは呆気にとられた。

 着陸した巨大な龍は瞬く間に小さく縮むように見え、そしてそれは人の姿となる。

「驚かせてすまぬな、皆の衆。遠くに友の姿が見えたのでな」

 その人物・・・年配の女性は鷹揚に会釈しつつ、農作業の手を止めて集まった人々の歓待に答える。中には小さな子供たちまで混じっている。

 この地では龍を当たり前の存在として受け入れ、なおかつそれが人の姿に変じることにもひどく慣れている様子だった。

「リーアム様はお達者でしょうか?」

「ああ、アイツも、紡ぎも元気でやっている。皆も息災か?」

「はい、西の方では凶作続きだそうですが、お陰様でこの地は今年の作育も順調でして」

「空から見る限り問題はなさそうだったが、それはなにより。リーアムにも伝えておこう」

 世間話に華を咲かせる農民たちに囲まれた年配の女性はその一団から少し離れた位置に立ち、笑いながらその様子を見守る中年男を見つけて駆け寄る。

「久しいな、フリーアン。さては娘が心配になったか?」

「だからその名では呼ぶな、龍の長。今回はただの案内役だ。まぁ、義父殿に多少の相談事はあるがな。エルミーは元気にしているか?」

「相変わらずよ。それにしてもおぬしが顔を見せるときは面倒事があるときばかりだのぉ。ミネアは息災か?」

「へへっ、今回ばかりはちょっと違うぞっ」

 ベルイーニの横に馬車から飛び降りて走り寄ったとみえるアニがいつの間にか寄り添っていた。ベルイーニは優しくアニを抱きかかえ、オレオにもよく見えるように顔を寄せる。

「末娘のアナロータだ」

「おおっ、めんこいのぉ」

「はじめまして、おれおさま。いだいなるそらのおうじゃ。りゅうぞくのおさにして、りゅうぞくのおうじあがとさまのこうけんやく。おじいさまのむにのしんゆう。らせんのひみ・・・」

 ベルイーニが慌てた様子で幼い娘の口を塞ぎ、意味もなく笑う。オレオは不思議そうにアニをみやった。

「ほぉ、お主の末娘はなんだな。ひょっとすると預言者に生まれ付いたか?」

「それが頭痛の種でね。親父殿への相談というのはまぁ、ぶっちゃけてコイツのことだ」

「それにしてもよくよく変な娘ばかり作るのぉ、お前達夫婦は」

 アニをしげしげと眺めつつオレオは静かに近付いてきた女性に向き直る。

「お久しぶりです、オレオ様」

「ミネア・・・いや、今はミーネか、剣の乙女。ファルの出産以来だの。その様子では元気にしていたであろう」

「オレオ様もお変わりなく」

「それはイヤミじゃ、訂正せいっ。儂もすっかりババアになったわ」

 自虐的にカラカラと笑うオレオとミーネがしっかりと抱擁を交わす。

 そんなミーネの背後にはディアドラがもじもじとしながら母親のスカートを掴んでいた。その娘を見るなりオレオの表情がサッと変わった。

「この娘か・・・」

「ディアドラです。ほらっ、オレオ様にちゃんとご挨拶しなさい」

 母親に促されてもディアドラは隠れるようにしている。恐ろしいものを怖いもの見たさで見るように片目だけでオレオを凝視している。

「不思議な相だの。それにこれも特別な力を持つか。なるほど、あやつに受け継がれるわけだ」

 フリストベル一家と赤龍折れ尾ことオレオが親しげに挨拶を交わす様子をトワメルたちは唖然として見守るほかなかった。

 ジャンヌとベルクはまだ空を舞う巨大な赤龍と、気さくで不思議な老婆とが同じ存在だとは受け入れられず、まだ奥歯をガタガタと震えさせている。多少は事情を整理しているトワメルにしても敢えて彼らの輪に近付きたいとは思わなかった。

「さてさて、俺の用件について話してもいいかな?コイツが俺の親友でアルテア王の勅使代表のトワメルだ。よろしくリーアムに引き合わせてやってくれ」

「その役目は私が引き受けましょう」

 何処からともなく現れた眼鏡の少女がオレオの背後に立っていた。

「エルミーユ、元気にしていたの?」

「ゴメンね、母さん。今はまずトワメル様とお話させてください」

 冷静に母親をいなして、エルミーユは静かにトワメルに近寄る。

「お初にお目にかかります、トワメル・ティグレーン卿。私はリーアムの弟子にて養女。またベルイーニの次女でもあるエルミーユ・サイアスと申します。いつも両親と妹たちがお世話になっています」

「・・・わた、私は・・・アルテアの大臣にして王の勅使、とわ、トワメル・ヒルム・ティグレーンと申す。宜しく主にお取り次ぎ願いたい・・・」

 震える声でトワメルが名乗るとエルミーユはもっともだと言わぬばかりに目を伏せた。

「驚くことばかりで申し訳ありませぬ。驚きついでて申し訳ありませぬが、もう少々おつきあいください。里の者たちは下がりなさい。これより大規模テレポートを執り行います」

 テレポート?

 トワメルの疑問はまたしても瞬く間に解消した。

 集まっていた里の者たちが蜘蛛の子を散らすように慌てて近くの畑に下がり、巨大な青白い魔方陣がフリストベル一家のみならず、トワメルとその背後にある馬車をも取り囲む。

「やっ!」

 エルミーユのかけ声と共に魔方陣が一瞬光った後、辺りの様子が全く様変わりする。

 そこは鬱蒼とした森の奥だった。陽光が遮られ、眩ゆい光に包まれていた里の風景とは全く異なっていた。

 そして、エルミーユを名乗った少女の背後には石造りの巨大な建造物が聳え立っている。

「なっ!?」

 思わず絶句した後、トワメルはキョロキョロと辺りを見回した。白く細く見えたあの陽炎の正体は下から見上げて何処まで高く続いているとも分かりかねる巨大な建造物だった。

「ここが我が義父リーアムが護りし東の塔。その外縁です」

 エルミーユは冷静かつ簡潔に説明し、オレオに目配せする。

「おうさっ」

「それじゃ、トワメル。またあとでゆっくりな」

 ベルイーニが笑みを浮かべる。先ほどと同様に青白い魔方陣がフリストベル一家とオレオを取り囲み、光と共に一瞬にして消えた。

 唖然とするトワメルにエルミーユは咳払いする。

「私の家族との語らいはまた後ほど。まずはウェルテル陛下の用向きを片付けてしまいましょう」

「はぁ」

 すっかり呆気にとられたトワメルを尻目にエルミーユはジャンヌたちに近付く。

「申し訳ありませぬが、従者の方はこちらでしばらくお待ちください。後ほどポレーズの村にご案内致します。宿の手配も済ませてありますのでどうぞお気遣いはなさらずに」

「それとトワメル様、なにか義父に届けたい物があればご用意ください」

「わかった」

 トワメルはまだ呆然と立ち尽くしているジャンヌとベルクを横切って馬車に向かう。そして、少し考えた後に親書の入った小箱だけを勅使の手から受け取った。

 馬車を預かる御者も勅使たちも何事が起こったのかと狼狽している。

「ティグレーン卿、いったい全体なにが起こったのですか?」

「案ずるな。アレが話に聞く魔法というものだろう」

「いや、それにしてもなんだかあっという間の出来事で・・・」

「私とて同じだ。とにかく話はつけてくるので君たちはあの少女の言葉に従うように」

 皆を落ち着かせることで冷静さを取り戻したトワメルは大きく息を吐いた。

「では、私は行ってくる。とにかく騒ぎと揉め事だけは避けてくれ」

 それだけ言い残し、トワメルは歩き方に気をつけながらエルミーユのもとに戻った。

「よろしいですか?それではご案内します」

 エルミーユが言い終わらぬうちに、トワメルは再び別の場所へと誘導されていた。


 トワメルはまたしても辺りの様子が変わったことに驚いていた。自分が石造りの螺旋階段の踊り場に立つことを知り、トワメルは改めて感じ入った。

「これが魔法の力か」

「テレポートは非常に高度な魔法です。出現場所の座標計算には多くの数式が必要になります。大勢を一度に運ぶとなると私と義父にしか使えません。オレオ様でも周囲2m程度が限度です」

「なるほど・・・」

 トワメルは全身の冷たい汗を拭うようにした。理解からは到底ほど遠い。

 だが、そういうものなのだと自分自身を無理矢理納得させることだけは出来た。

「義父は堅苦しいことを嫌います。どうかいつも通りに振る舞ってくださいませ」

「その前に少しだけ聞かせて貰ってもいいかな?」

「なんでしょう?」

「私は君のように大きな娘がいることをベルイーニからは何も聞かされていなくてね。失礼だが君の年齢は?」

 そう尋ねた途端にエルミーユの表情が曇る。

「いや、済まない。女性に年齢を尋ねるのは非常に失礼だとは心得ている。だが、どうしても信じられなくて・・・」

「父はまだ貴方になにも打ち明けてはいないのですね」

「いや、そのリーアム・・・いやあのお方とは・・・」

「父の方です。貴方がよくご存じのベルイーニ・フリストベル」

「えっ、あっ、いやその、ベルイーニになんの秘密が・・・」

「父は見た目以上の年寄りです。それこそオレオ様と同じ位の」

「なっ」

「私にしても同様です。申し訳ありませんが貴方の倍以上は長い人生を送っております」

「なんだって・・・」

「いずれその詳しい説明はさせて頂くことになるでしょう。ですが今は火急の用件がある筈ではありませんか?」

「うっ、済まない。その通りだった」

「義父は・・・まぁ、少々厄介なところもありますが、貴方が心配されているようなことはなにも起きないだろうかと思います。貴方の奥方様も」

「いや、私は独り身・・・」

「これは失礼。私も今の世の中というものには慣れていないのです。少々失礼なこともあるかとは思いますがなにぶんにもご容赦ください」

「いや、君はあの男の娘とは信じられないほどだよ。勿論、良い意味で」

「恐縮です。それではご案内致します」

 トワメルに分かったことがあるとすればエルミーユが非常に聡明だということだった。年齢については追々ベルイーニを締め上げて聞き出せば良いだろうがともかく王命を果たすことに関しては彼女に任せるのが最善だと思われた。

 結果的に、エルミーユがトワメルの要望を叶えることになる。


                                    続く

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