side9 愛とプライドの均衡についての考察





今上帝きんじょうのみかど愛子めぐしご

光り輝くその容姿

学者たちをも唸らせる学識の高さ

聴衆を魅了する琴の調べ


望めば人も物も手に入れられるであろう

何もかも恵まれたおぼっちゃまが

恋人遍歴にこのわたくしを並べようというのか

前春宮妃さきのとうぐうひであったこのわたくしを

他に並び立つような女人もいないであろうわたくしを

宮中に仕えている女官どもと同じように口説こうというのか


誰からももてはやされているただ綺羅綺羅しいだけの貴公子など

わたくしが相手にするとでも思っているのだろうか


そう認識していたはずなのに


サロンでの彼は大勢の中でもひときわ光を放ち

機知にとんだ会話でその場の雰囲気を盛り上げ

抒情あふるる漢詩や和歌で人々を感動させる


気が付けば

彼の一挙手一投足に目を奪われている

そんな彼のわたくしの部屋への夜の訪問を拒むことなどできなかった


気が付けば

来る日も来る日も彼の来訪を待ち焦がれている


妃でも正室でもなく「愛人」というレッテル


彼の周りの女人どもが許せない


受領県知事ふぜいの北の方や

町中の女にまで手を出しているとか

身分の高い女性ばかり相手にしているから庶民の女が珍しいのか




正室である左大臣家の娘より下位に位置づけられる侮辱

「あの方の恋のお相手」として身分の低い女人どもと同列に並べられる屈辱

前春宮妃さきのとうぐうひというプライドが許さない

宮中の憧れ

高嶺の花と称されるわたくしが

高位の貴族としての矜持が保てない




「わたくしを愛してほしい」

「わたくしだけを見てほしい」

あなたより8歳も年上のわたくしにそんなことが言えるはずがない

あなたの愛にすがるなど見苦しい


あなたからの愛の和歌うた

あなたの琴の調べ

あなたのお言葉

そばにいらっしゃるあなたからは

あふれるほどの愛が感じられるのに


わたくしの元にいらっしゃらないあなたを想うと

じりじりと胸がやけるように苦しい

他の女にもあのような歌や言葉を囁いているのだろうか

許せない

気が狂いそうだ


「御正室がご懐妊なさったそうよ」

女房達がしていた噂

あの方の御正室が……?


「妻は冷たくて相手にしてくれないんだ」

そんなことを言っていたのに

わたくしだけがあの方を愛しているのに

わたくしが身ごもらずにあちらが子を宿すとは


おかしい

ありえない

何かの間違いだ


「体調がよろしくない御正室さまに源氏の君はつきっきりだそうよ」

確かな情報だと思えない

女房達の不確定な話だ

信じなければいい


あの方の御子

冷たい態度をとっている娘の腹に?


ありえない

戯言だ


最近あの方がわたくしを訪ねてこないのは何故?

文さえ寄こさないのは何故?


こんなにもあなたを待っているのに

こんなにもあなたに焦がれているのに


あんなに冷たいと言っていたのに

「私を寄せ付けないんですよ」

そんな姫と睦事をしていたのか

冷たいのも寄せ付けないのも

すべては嘘だったのか


あの方が葵祭の勅使を御務めになられる

あまり気は進まなかったが周りの者たちも行列を見たがっているので見物にでかけることに

身分が判明しないようにした牛車であの方がお通りになるのを待つ


なにやら周囲が騒がしい

乗っている牛車が揺すぶられる

激しい衝撃と何かが破壊された音


「正室と愛人の争いらしい」

人びとの声が聞こえる


従者が申すには

あの方の御正室の従者がわたくしの場所を譲れと言ってきたとか

従者がそれはできないと伝えると

無理矢理こちらの牛車をどかせようとしてきた

市井の者たちにも一部始終を見られ

「源氏の君の正室と愛人の争い」だと

面白おかしく騒ぎだした


一刻も早くこの場を立ち去りたいのに

牛車が多く身動きができないうちに

勅使の行列が来てしまう


わたくしとわからないように出かけてきて

ひっそりとあの方を眺めようとしていただけなのに

六条御息所と知られ

源氏の君の愛人と呼ばれ

御正室からこのようないわれのない暴力を受け

下々からも嗤われ


これ以上の屈辱があるだろうか

許せない

許さない

あの姫


あの方の御子を宿し

このわたくしを押しのけ

市井でわたくしを笑いものに

わたくしのプライド

前春宮妃さきのとうぐうひ」という矜持をズタズタにしたあの娘


許さない

許さない


あんな女いなくなればいいのだ


そうすればあの方はわたくしの元に戻って来てくださる


あの女さえいなければ


あの方はまたわたくしに愛を囁いてくださる


あんな女


いなくなればいい


消えてしまえばいい




あの方を愛しているのはわたくし

あの方を愛しているのはわたくしだけ

傲慢な正室や

身分の不釣り合いなものどもなどあの方にはふさわしくない

あの方と愛を交わし合うのはわたくしだけ

あの方の愛はわたくしだけのもの


ああ

あの方の微笑み

あの方の囁き

あの方の吐息

あの方の香り

あの方の体温


すべてはわたくしのもの


あの方をすべてわたくしのものに

わたくしだけのものに



最近眠りが浅い


そしてよく見る夢

見知らぬ女の姿

僧侶の加地祈祷の声

護摩焚きの香り


まさかあの女の出産?

なぜわたくしの夢に?

あつかましい


居なくなれ

消えてしまえ

わたくしの夢から

あのかたの元から


消えてしまえ






それからまもなくのことだった

あの方の御正室がみまかられたと聞いたのは


まさか

わたくしが居なくなればいいと念じたから?


まさか

あの夢は夢ではなかった?


あの見知らぬ女は誰?

護摩焚きの香など焚いてはおらぬのに

わたくしの身体にまとわりついているのは何故?


わたくしは何かしたのであろうか


いやまさか

左大臣家の深窓の姫君の元へなどわたくしは出向いておらぬ

会ったこともない姫君に手を下すことなぞできまい


「妻のことは恨まないでください」

「妻の元であなたを見ました」

あの方からの文に震える

わたくしが奥方の元に居た……

わたくしは出かけていない

あの方が見たのは何?

あの方は何をおっしゃっているの?


わたくしが奥方の死に何か関わっているというのだろうか

わたくしは何もしていない


何もしていない

望んだだけだ

「居なくなればいい」と


強く

激しく

望んだだけだ


そう


念じただけだ


念じただけで直接何もしていない


何が起こったのだろうか




御正室を亡くされたあの方は

また訪ねてきてくださるだろうか


いや


そうはなるまい


わたくしはあの方を愛しすぎた

あの方の奥方や恋人を恨むほどに

強烈に愛しすぎてしまった


あの方のわたくしへのお気持ちと

わたくしのあの方への愛の均衡が崩れる


あの方を恋ふること

あの方を想うこと

あの方を愛すること

あの方を恨むこと


わたくし自身の気持ちを抑えられない


あの方は

もう

わたくしの元には戻ってはこないのだろうか


いいえ


わたくしは誰よりもあの方を愛している

あの方はまた優雅にわたくしの元を訪れて


愛の和歌うた

交わし合い

愛し合うことができるはず


身分も

美貌も

学識も

風雅も

あの方と並びたてるのは

わたくし以外には誰もいないのだから







 



 ◇サイドストーリーⅨ 六条御息所side

 愛とプライドの均衡についての考察



※閲覧ありがとうございます。

ここカクヨムでのフォロワーさんとのやりとりがなにより嬉しく有難く思います♬


現在、この【別冊】源氏物語を含む作品をブログで更新しています。

ブログでは画像や相関図、物語にまつわる地図なども添付しています。

よかったら遊びに来て下さい。

★話し言葉で綴る【超訳】源氏物語

https://garden.snowlilas.com/


また、エッセイやキャラストーリーなど書下ろしをカクヨムで公開できたら、と思っています。

ゆるりとお待ちいただけると嬉しいです。


2022年 今年も葵祭は新型コロナウイルス感染拡大防止のために中止になってしまいました。源氏も行列に参加した葵祭。六条御息所が屈辱を味わった葵祭。早く再開されますように。

2022.初夏

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

【別冊】 源氏物語   ~俺はいつでも本気だぜ?~ 桜井今日子 @lilas-snow

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ