第29話 あなたの作品が読まれないのは何故か?

 自分の作品が、なぜ読まれないか?

 そのことについて、考えたことがありますか?


 私は、こちらの作品にて、様々な観点から、どうしたらもっと作品が読まれるか、逆の論法で、その方法、考え方について事細やかに述べてきました。


 作品のタイトルを鮮烈的に刺激のあるものにしたり、キャッチコピーに思いを込めたり、一度、訪れた読者にもう1つ、もう2つと作品を読んでもらえるようにすることが、遠回りなようで最短な近道であることを述べてきたつもりです。


 つまり今までは、外側のセールス、プロモについて、蘊蓄うんちくを述べてきました。今回は、肝心な作品の中身について。作品の内面についての問題提起です。

 

 まったく関係ない話で恐縮ですが、最近、気になっているのが、仕事をしても全然報われない、ワーキング・プアについてです。これらに多くのスポットが当て始められたことに、ようやく時代が追い付いてきたのかなという思いを抱いています。


 派遣社員やフリーター。時間給で雇われている大半の労働者は、お金に窮していて、人並な生活を維持できず、生活は困窮を極めているそうです。


 1つの、うどんのパックを朝、昼、晩、三食に小分けして食べたり、1つのスパゲッティーのパックを3日で食べるのはもちろんのこと、味付けは塩味だったり、ふりかけの茶漬けのもとをかけたり、彼らの生活ぶりは鬼気迫るものがあるそうです。


 無駄な経費を少しでも削り、趣味の時間に一分でも多く費やしたい。これは万人共通の願いであり、月に一度の外食を控えたり、たばこの購入資金を500円玉貯金にしてみたり、居酒屋での飲酒の回数を減らすなどして、無駄な出費の削減に努めているらしい。


 けれど、本当にそうでしょうか?

 若者が酒場にお金を落とさなくなったのは、なんとなく頷けますが、財布のひもがきつく締まりっぱなしかといえば、少し違うような気もします。


 たしかに現代の若者は車の所有を敬遠したり(車は出来の悪い子供と一緒で、経費がかかりすぎます)、便利さと固定経費を相殺すれば、所有するのをやめようという結論に達する若者が多くいてもなんら不思議はないはずです。


 異性とのデートを極力、インドアで済ませたり、すべての人がそうかといえば違うような気もしますが、今はPC(SNS)が発達しているので、室内でも十分に余暇が楽しめ、それに伴い、すべてにおいて時短でき、スマホで完結する。


 電子書籍や、WEB小説がなぜ読まれないか?

 それらに通じるこの問題は、ひとえに対価の問題のような気がしてならない。


 若者は、WEB作家が提供するプラットホームで、お金を費やすだけの対価が得られるかどうか? それに見合うだけの対価が得られるかどうかをつぶさに見極めているような気がしてなりません。


 電子書籍やWEB小説に解釈を曲げて落とし込めば、その情報を読む価値があるのかないのか? 読む時間に見合うだけの対価が得られるのかどうかが問われているような気もします。


 クチコミも多くの役割をになっているのでしょう。この電子書籍に、お金を支払うだけの対価があるのかないのか、費した時間に見合うだけのリターンがあるのかないのか、その点に若者の気持ちは集約されているような気がします。


 つまり多くの読者に読まれないということは、読むに値するだけの情報を作家が提供できていないということの裏返しなのかもしれません。


 もっと興味の惹く内容、たましいを揺さぶるような作品をいくつも手掛けないと、誰も振り向いてくれないという表れでしょう。


 お金がない、ないから買わないと呟く、パンピーでさえ、自分の趣味であるマンガやアニメ、ブランド物のバッグ、特撮のおもちゃには無尽蔵のごとく、お金を投資する傾向が強いですし、無駄なものには極力、お金、時間を使わない、そういうスタイルに若者が変貌を遂げただけなのかもしれません。


 現代は、情報量の多い、トレンドが錯綜する、ネット社会です。

 SNSに始まり、ゲーム、ブログ、LINE、電子書籍、多くの媒体がネットを通して情報を網羅し、昔のように新聞やラジオ、雑誌からでしか情報を得られない時代とは、そもそも次元が違います。


 私は最近になって、当たり前の事実と向き合うようになりました。

 自分の作品が読まれない、レビューを貰えないというのは、つまり若者の心に見合うだけの対価を提供できていないからではないのか? 市場の問題ではなく、自分の作品に問題があるのではないか? そう思うようになりました。


 自分の作品を読んでいただき、何かしら心の琴線に触れることができれば、読者はそこに何かしらの爪痕(レビュー)を残そうとするものだし、やはりレビューが少ない、読まれないということは、時間に見合うだけの対価を提供できていないことが、そもそも根っこにあるような気がします。


 まあ、卵が先か、にわとりが先かの理論になってしまいますが、やはり読んでもらえなければ、そこに新しいウェーブが生まれないのは事実ですが、ただ闇雲に、むやみやたらに読んでもらうだけでもダメなんだなって改めて思います。


 一度、読んでいただいた読者を離さないこと、もう1つ、もう2つと他の作品を読んでもらえるように仕掛けを考えることも、もちろん重要です。がしかし、やはり読者に読んでもらって、なにかしら心に刺さるものが提供できないなら、あきないはそこで途切れてしまうものだということを強く意識するようになりました。


 厳しい言い方になりますが、読者が増えない、読んでもらえないということは、やはり読者の貴重な時間を搾取するだけで、時間泥棒に等しく、それに見合う内容を提供できていないという点において共通項かなと思います。


 読書をして語彙を増やしたり、オリンピックを観て感動する心を養ったり、映画を見て自分の視野を広げるなど、インプットの作業を今以上に続けていく必要性を感じます。


 読者は、心が洗われるような素晴らしい作品に出会うことを今か今かと心待ちにしています。読者の求めているものを提供できてさえいれば、おのずと結果も評価も付いてくるように思います。そうでないなら、それはどこに原因があるのか、今一度、振り返ってみる必要があります。


 宣伝など外側の販促も大事ですが、それだけで終わらないのが、電子書籍、WEB小説の醍醐味だいごみです。


 作品の質を高め、外見に見合うだけの中身、内面を提供できるよう、時には理論武装することも必要ですし、今一度、初心に帰って考え直すべき必要があるのかなと思います。


 宣伝、キャッチコピーなど外側のパッケージに比べ、中身、内面が見劣りするものであっても、これまたダメダメです。読者は、読書の時間に見合った対価を求めていること、深く胸に刻んでください。

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1人でも多くの読者にカクヨムを読んでもらい、1つでも多くレビューいただくにはどうすればいいか? 婆雨まう(バウまう) @baw-mau

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