第28話 とある作家の断筆について物申す。

 小説家が断筆するとき…。

 少し後ろ向きな、不穏なタイトルを敢えてかかげてみました。


 小説家は、常にファイターでなければならない。

 心の内面をえぐる、クレイジーなボクサーでなければならない。


 作家が情報発信者である以上、誰かの胸に希望を抱かせ、夢を与えるのが本懐でなければ、きっと誰の胸にも言葉は響かないでしょうし、絵空事で話は終わってしまう。


 単なる娯楽としての小説というものもこの世には多数存在するとは思いますが、私、個人的には、小説家は夢を売るのが商売で、心に小さな炎をともす、きっかけ作りをするのが作家だと思っています。


 なので、もし、あなたが少なからず作品を上梓し、情報を自ら発信して、誰の胸にも小説を届けることができない、読者の心に小説が刺さらないとすれば、それはもう虚無の世界であり、自己満足のオナニー小説を書いているにすぎない。


 いや、そうではない。

 わたしは書くことが好きだから書いているのだ。

 楽しいから書いているに過ぎない。


 そういった心構えで、小説に向き合っている方も中にはいるかもしれませんが、私はそうは思わない。


 あなたが個人のブログに文章を綴っているならいざしらず、文章を紡ぐサイトに自分の創作物をアップしている以上、それは一人でも多くの読者に読んでもらいたいと心のどこかで願っていて、願わくば、プロの物書きとして大成たいせいしたい、そう心に思い描いているはずだ。


 だからというわけではありませんが、人様から自分の文章を認められ、レビューがつけば嬉しく思うわけだし、コメントに一喜一憂するわけです。


 もし自分はそんなつもりで書いているわけではない、単なる気晴らしにすぎない、そう真っ向から否定するなら、なぜ自分の日記として、誰の目にも触れないようにこっそり書かないか、多くの人の目に触れるように小説やエッセイを掲載するのか、もう一度、原点に立ち返る必要がある。


 それはあなたが人から認められたいという承認要求を満たすためであり、自分の考え方に同調してもらい、読者と気持ちを共有したいと願う裏返しでもある。人とのつながりを心のどこかで願っているからです。


 もしあなたの書く文章が、誰の目にも留まらず、ワンウェイ(一方通行)で、独りよがりだとすれば、それは日記の片隅にでも書き留めておくべきもので、自分の欲求不満を満たすだけの、自分のためだけに書かれている文章にすぎません。


 100人の内、1人でいい。

 3人でもいい。


 あなたの意見に同調し、反論でもいい。

 なにかしら読者に考えさせる場を提供し、社会に疑問を投げ掛ける。


 自分のために書く文章も、時には必要です。

 けれど、もし創作を2年、3年と続けてきたなら、いい加減、自分のためだけに書く文章というものから卒業して、人のためになる、人に希望を与え、人生の夢を謳歌するような文章を連ねるべきだと思う。


 もしあなたが読者から完全にスルーされ、誰の胸にも文章が刺さらず、読者の心に波風一つ、立てられないとすれば、そのときは筆を断つ時で、自分と向き合う時が訪れていることに気づくべきです。


 小説家は夢を与えるのが商売です。

 読者に夢、希望を与えて、なんぼです。


 もしくは、考える場を提供するため、敢えてクエスチョンを投げかけるのが本懐というものです。


 読者にスルーされるような文章をいくつ書き連ねても、それでは意味がないし、なにかしら逆説的な意見でもいいので、考えさせる場を提供すべきだと私は思う。


 ちょっと思うところがあり、敢えて厳しいクエスチョンを投げてみました。これは自分への戒告かいこくであり、つまり懺悔ざんげの言葉なのです。


 

 

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