第27話 文章を上達させたいなら、書いて書いて書きまくるしかない。

 文章を上達させたいなら、ひたすら書いて書いて書きまくること、そして他の人が書いた文章、新聞でも雑誌でも、読んで読んで読みまくることが大事かもしれない。


 よく過去作にこだわる余り、過去作に手を加えてばかりの人がいる。

 大手の出版社が公募する文芸誌に、過去作ばかりエントリーし、どういうわけか新作を書こうとしない無限ループを繰り返す。


 それはそれで大義名分のあることだとは思いますが、昔、ある芥川賞作家が言っていましたが、もし文章を上達させたいなら、書いて書いて書きまくることが肝心だと言っていたのを思い出す。


 人間、喋るのをやめて殻に閉じこもってしまうと、やはり自分の言葉で語るのが億劫になってしまって、かしこまって言葉が続かなくなってしまう。


 出し惜しみして文章を書くのを面倒がったり、暫く文筆の世界から遠のいてしまうと、気の利いた言葉が浮かばなくなってしまうのはもとより、いきな言葉がひらめかなくなってしまうのはもはや自明の理でもある。


 アイデアを出し惜しみしたり、いつでも同じ水準の文章を書けると思い込むのは思い上がり、自惚うぬぼれというもので、アイデアは、出し惜しみすれば、やがて枯渇するし、気の利いた言葉がいつしか思い浮かばなくなってしまう無知蒙昧むちもうまいな機械人間に陥ってしまう。


 私は時々、喋るのが億劫になってしまって、文章に起こすのが面倒になってしまったり、貝殻のように自分の内面に閉じこもってしまうことがよくある。


 感情が外に向かず、うまく言えませんが自閉症のように内にこもってしまう。

 そんな自分をもったいないことだなと思っていても、それはそれで性分でもあるので、どうにもあらがうことができず、自分が退化していくのを楽しんでいる。


 文章を書く作業というのは、生ものなので、日々、それはそれで鍛錬していかないと、やはりびてしまう。


 ここぞというときに繊細なタッチで、文章をつむぐことができなくなってしまったり、書き始めと最後とで温度差が発生してしまったり、過去の作品と、今の現状の作品に明らかな差異が生じてしまったり…。


 今の現状が、過去作に比べて、ポップにはじけているなら、それはそれでありだなとは思いますが、もし未来志向で、しぼんでいくというか、退化していくなら、それは既にインプットの量が足りていない状況に陥っているわけで、大変危険な領域にあると断言していい。


 何度も言いますが、文章は生ものです。

 生きている、言霊ことだま手繰たぐり。

 それが文章、言の葉だと言っていい。


 そのときそのとき浮かんだ、瞬時の閃きが物を言うわけで…。

 もちろん、日々、同じ文章が書けるわけではないことは、もはや言うまでもないことです。


 文章を書く作業がもし苦痛でないなら、日々、1000文字でもいい。

 2000文字でもいい。

 日々、書き続ける作業を怠らないことが、成功への鍵へと通じるような気がしてならない。


 継続は力となりうる。

 継続するからこそ、書ける文章というものが、そこにはきっとあるはずである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る