第26話 初志貫徹、死ぬ気でやってみることの大切さ!

 もし、あなたが、医者から余命宣告を受けたらどうしますか?

 医療機関に見捨てられ、手の施しようがないって医師に宣告されたら、そのとき、あなたは果たして素面しらふでいられるでしょうか?


 わたしなら、思い残すことがないよう、色々な残務を片付け、やり残したことがないよう、すべてやり尽くしたうえで死にますね。


 残務整理含め、相続含め。

 生命保険の受け取りのこと。

 保有してるマンションのこと。

 墓、納骨のこと。

 すべて解決した上で、この世を去りたいと思います。


 人は死ぬ。

 必ず死ぬ。

 いつか絶対、必ず死ぬ。


 この名言を残したのは、オウム真理教の麻原彰晃教祖ですが、残念なことに、この名言は的を射ていて、誰も死を迎える運命をくつがえすことはできない。


 それが早く訪れるか遅く訪れるか、幸福のまま死ぬか、不幸のどん底で死を迎えるかの違いはあっても、人は死を連想する、ジョーカーを、残念ながら使わないまま不老長寿を叫ぶことはできない。


 自分には、まだまだ時間があると思うから…。

 だから、こうしてクズグズできるのであって、もしも残りの人生が半年で終焉を迎えるというのなら、こうしてはいられないでしょう。


 人は死ぬ。

 絶対死ぬ。

 そして、それを避けて通ることは誰にもできない。


 あなたの時代が終わり、それが子供の時間となり、いつしか引き継ぎを受け、そして孫の時代へと移り変わり…。この世に不老長寿の薬がないかぎり、人は、いつしか死を迎え、今生の別れをこの世に告げなければならない。


 今の自分は、あり余る時間のなかで、時間が無限にあると脳内錯誤しているだけで、バッド・エンド・ロールが耳元に流れていることにすら気付いていない、愚か者に近い。


 もしもあと1年、あと1年で、この世に別れを告げなければならない、そう仮定するならば、あなたは今、明確にまぶたにやるべきことを思い浮かべることでしょう。


 最近、体の調子が悪く、もしもこのまま体調不良のまま、命を失ってしまったら、自分はこの世に何を残せたのだろう? そんなことをふと考え、この記事を書いてみました。


 なんでも死ぬ気でやってみて!

 これは、自分に向けられた、応援歌のようなもので、自分を鼓舞するために放たれたことである。


 一生、頑張り続ける必要はないのかもしれませんが、あるとき、ほんの一瞬でいいから、これ以上は頑張れないってくらい、頑張ってみるのも一興だと思う。 


 死ぬまでに、「あれ以上の作品はもう自分には書けない」って思えるような傑作を書いてみたいなと思う。みたいというより、そう思うなら絶対に書き上げるべきですよね。


 体調は万全ではありませんが、残りの人生を有意義に送るためにも、今、頑張っておきたいと思うようになりました。


 なんでも死ぬ気でやってみて!

 長い人生の、ほんの1年、2年でいい。


 短い人生の中で、ほんの一瞬、本気になる時期があってもいいんじゃないのかなって思う。


 死ぬ気でやってみて、そしてもしダメなら、また違う道を模索すればいいんじゃないのかな? 


 もしも失敗して、人生に思い切り挫折して、これ以上はないっていうくらいの屈辱を味わっても、そこからもう一度、這い上がり、リベンジすればいいだけの話で、けして命を奪われるわけじゃないんだから、威風堂々と前に進み、何事にもチャレンジする精神を忘れないよう心掛けたいなと思う。



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