第7話

 懐中電灯が造る光の輪の中には、どこまでも真っ直ぐに伸びている通路があった。その両脇にはどこまでも列なっている棚の群れ。彼らはどこまでも途切れず、ぼくらが行き過ぎると闇の中に溶けていった。

 いきなり大村が立ち止まった。

「もう5分は歩いたよな」

「ああ」

「トンネルがこんな遠くのはず、絶対無いよな」

「ああ」

「じゃあ、反対に来たんだ。5分とちょっと、反対に歩く。それでトンネルだ」

 そのはずだ、と僕は心の中でつぶやいたが、大村は既に反対方向は歩き出していた。

 帰りも行きと同じ光景が灯りの中に見えた。本当に逆方向へ進んでいるのか、不安になるくらい同じ光景だった。

 さすがに手は放していたが、青野は僕の直ぐ隣を歩いていた。

 ぼくらは光源の裏側にいたから、彼女のことは見ると言うより、感じることしかできなかった。

 自分の脚さえ見えないんだ。脚どころか胸から下が、腕だって、見えない。感じることしかできない。

 見えるのは、通路と棚の一部、大村の背中。それで全部だった。

 けれども、そのおかげで、青野の呼吸が乱れていくのがよく分かった。

 早すぎるんだ。

 長身の大村のテンポが上がりすぎて、僕でもきつくなっていた。

「おい。もう少し、ゆっくり歩いてくれ」

 僕は声を掛けた。けれど、大村には聞こえないようだった。

「嘘だろ」彼が毒づくのが聞こえた。

「おい」

「ちきしょう」大村は立ち止まって叫んだ。

「もう10分は歩いてるぞ。5分で、トンネルに着くはずじゃなかったのか?答えろよ。ふざけんな!」

 暗闇に向かって喚き散らしていた大村は、いきなり駆け出した。

「ふざけんなあっ!」

「おい。待て。待てったら」

 後を追うしかなかった。灯りが、唯一の光が行ってしまう。取り残されたら真っ暗だ。

 けれど、僕の背後の暗闇で、何かが砕ける、小さな音がした。

 そして、柔らかいものが固いコンクリートにぶつかる音と、くぐもった悲鳴。

 僕は立ちすくんだ。

 その一瞬の間に、僕は闇の中に完全に呑込こまれてしまっていた。

 その闇は粘りけのある液体だった。重くて、手脚に絡み、息さえできない。

 闇の中を、僕は泣き声を頼りに引き返した。

 そうするしかなかった。大村にはもう追いつけそうにない。この暗闇で一人になるのは地獄だった。

「青野さん。そこか?」

「もういや」いきなり青野は絶叫した。「もういやあぁっ。家に、家に帰りたいいぃっ」

 転んだままの彼女が手脚を振り回して、のたうっているのが、闇の中、気配で伝わってきた。

「恐い。恐い。恐い。助けて。お願い。もういや。家に帰りたい。助けて。お願い」

「青野さん!」

「いやだ、いやだ、いやだ。あたし、こんなトコ、来たくなかった。絶対に、絶対に嫌だった。恐いのいやなのに。恐いの大嫌いなのにぃ」

「青野さん。お願いだ。落ち着いてくれ。頼む」

「でも、先輩が。あんな話して。恐いよね、青野さんって。

 そうですねって、はいって、言えばよかった。言いたかった。

 それなのに。

 迷信。非科学的。下らない。バカみたい。

 バカはあたしだぁ。大バカはあたしの方だぁ。

 なんで、そんなことを言う。どうしてそんなことを言う。言いたくないのに。絶対、嫌われたくないのにぃ。

 先輩怒っちゃって、じゃあ、バイト応募するんだねって。もちろんですって。

 いやなのにぃ。絶対いやなのにぃ。こんなトコ、来たくないのにぃ。

 いやだ。あたしがいやだ。こんなあたしもういやだ。バカじゃないの?こんなあたしをどうにかしてぇ。助けて。誰か助けてぇ。

 いやだ。家に帰りたい。家に帰して。助けて。お願い」

 意を決して近づくと、彼女の手に散々ぶたれた。けれど、その腕に力はこもってなくて、大して痛くもなかった。僕はそのまま、暴れる青野を抱きしめて、強引に押さえ込んだ。

「青野さん、頼む。頼むから、落ち着いてくれ」

 彼女はようやくもがくのを止め、泣きじゃくるだけになった。

「……ごめんなさい……。わたし……わたし……」

 僕は何も言わないで、彼女のことをもう一度抱きしめた。

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