第5話

 懐中電灯は棚と棚の間の通路に、こちらを向いて落ちていた。ぼくらはその光源を目指して進むことになる。暗がりに順応した目にはひどく眩しく、却って何も見えなかった。

「大村ぁ。どうしたあ」

 僕はもう一度大声で怒鳴った。

 青野は僕の少し後ろを歩いていた。叫び声の後で、立ち上がったのは彼女の方が早かった。灯りに向かって、棚の間に分け入ったのも。

 おかげで、僕は「君はここにいろ」とか、その手のバカな台詞を口にせずに済んだ。

 脇に回り込むと、僕は懐中電灯を拾い上げた。光を見つめていたせいで、目がバカになっていた。並んでいるはずの棚の陰さえ見えない。

 見えているのは光の中の青野だけだった。

 彼女は両手で自分の肩を抱くようにしていた。震えているように見えた。僕は彼女から光を反らした。

「大村ぁ。返事しろぉ」

 僕は再び怒鳴って、棚の間を電灯で照らした。整列した棚の群れが一瞬、光の中に浮かび上がって、消える。本当にどこまでも列が伸びていた。

「わたしね」青野が不意に言った。

「え?」

「さっき、棚の間に」

「さっきって、これを落っことしたとき?」

「そう。そのとき。わたし見たの」

「何を?」

「なんて言うか……」

「人影?」

「違う」

「じゃあ、動物?」

「……違うのよ……」

 自分の見たものを伝える語彙ごいが、彼女には思い付かないようだった。

 僕は頭を掻こうとして、凍り付いた。

 何かがすぐ傍にいる。

 後ろに、だ。

 振り向きざまに、懐中電灯の灯りを突きつけた。

「ばあ」

 大村が言った。


 向こうずねを抱えて、大村は手近の棚に寄りかかった。

「痛ってぇ。何も思い切り蹴飛ばさなくても」

「今のは彼女が正しい」僕は言った。

「金的にもらわなかっただけ、ありがたいと思えよ。それとも、俺がゴッチ式パイルドライバーでもお見舞いした方がよかったか?」

「洒落の分かんねぇ奴らだ」大村は笑って、足を掴んでいた手を放した。

「定番だろ。お話しの序盤で、ぎゃあああっなんてさ。慌てて、駆けつけると、決まって誰かの冗談なんだ」

「ホラーの定番だろ。だとすると、俺たちはこれから一人ずつ殺されなきゃならない。言っとくけど、最初に殺されンのはおまえだぜ」

「へへへへ」彼はその場で飛び跳ねた。「ああ。まだ痛てぇ」

「ほら」僕は懐中電灯を投げてやった。

「持ってろよ。これからはそう言うジョークはなしだ」

「いいとも。場を和ませようとして、あんな強烈な蹴りをもらったんじゃ割が合わない」

「場が和むわけがないだろ」

 僕は振り向いて青野を探した。

 ホンの数メートル離れているだけなのに、彼女の姿は闇に塗り込められてほとんど見えなかった。

「青野さん。戻ろう」

 青野は返事をしなかった。ただ、数歩前に出た。

 わずかな懐中電灯の照り返しでさえ、彼女の目がひどく虚ろなのは分かった。

「青野…さん?」

「どっち?」

「え?」

「トンネルはどっちなの?どの方向にあるの?わたしたちはどこから来たの?」

 僕は立ちすくんだ。地上に通じるトンネルがどこにあるのか、まるで見当が付かなかった。

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