第3話

 馬蹄形のトンネルは45度の角度で、真っ直ぐに落ち込んでいた。トンネルの内側は2人が並んで立てるくらいの広さがあり、コンクリートで塗り固められていた。

 足下の階段は、これも鈍色のコンクリート製で、あまり汚れていなかった。特に埃が積もっているようでもない。

 そういえば、トンネルの中には蜘蛛の巣も見当たらなかった。

 ただ、例の嗅いだことのない匂いがここでもした。

「足下、気を付けてね」

 白菜が警告を繰り返したのは、これで3度目くらいだったろうか。

「ここも業者の人が掃除してくれたんですか?」僕は尋ねた。

「いいや。どうして?」

「封鎖されてから何十年も立ってるはずでしょう。埃も積もってないし…」

「多分、外部と空気の流通がほとんど無いんだよ」

「酸素は」青野が詰問口調で言った。「呼吸に問題は無いんでしょうね」

「もちろん。既に何人も下に降りてるんだ。なんなら、カナリアでも持っていくかね、ハハハ」

 青野にめつけられて、不意に笑いを収めた白菜は、身をひるがえしてトンネルに入った。

 大仰おおぎょうに肩をすくめながら大村が続き、口を真一文字に結んだ青野が続いた。

 僕は最後にトンネルに入った。

 入った瞬間、ノイズフロアがすっと下がる感覚があった。まるで無音室に入ったようだ。

 外光が差し込むせいで、トンネルの内部は意外と明るかった。青野の華奢きゃしゃな背が、それだけ浮かんで見える。

 僕は手を伸ばして、壁に触れてみた。

 びっくりするほど、冷たかった。手触りも、ひどく滑らかだったから、氷を連想するほどだった。けれど、擦りあわせてみた指先は乾いていた。

「足下、気を付けてね」

 白菜の声がしつこい残響を伴って響いた。彼の革靴が発てる足音もそうだった。

 上から見るトンネルの奥には、まるで水のように闇が溜っていた。

 下るにつれて、闇の水位は足首から膝、腰へと上がり、とうとう僕は闇の水面下に首まで沈んだ。

 想像と違って、地下の空気は大して埃っぽくもなければ、淀んでもいなかった。

 けれど、闇に潜った瞬間、ひんやりとしたものに取り込まれた感覚があった。闇が口の中にまで入り込んで来るような感覚があった。

 僕は、小さな光の粒が口からあふれ出し、あぶくのように頭上へと漂っていく様を想像した。

 トンネルを高さにすれば3メートルほどだろう。なのに、いつまでも地下にたどり着かないような気がした。


 最後に僕が地下に降り立った。

 振り向くと、コンクリートの壁に、トンネルの出口がほの白く浮かび上がっていた。

 それ以外、周囲は闇で塗り込められていた。ねっとりとした闇の底にぼくらは沈んでいた。

 まったく何も見えない。

 それでよく分からないが、大きな四角い部屋の横腹に出たようだった。

 僕を待っていた白菜は、壁に沿って右手に向かった。直ぐに彼の存在は消え、手にした懐中電灯の灯りだけが残った。

 懐中電灯の灯りが、気まぐれな海月くらげのように、棚の群れに舞い降りては、一瞬だけ、その骨組みを照らし出した。

「あれ?」

「どうしたんです?」

 白菜は壁のスイッチを操作していた。

「おかしい。電灯は点くようにしてあると言われてたんだ」

「もし、懐中電灯の光で作業することになるなら、大部手間取りますよ」大村が言った。

「分かってる」白菜はスマートフォンを取り出した。顔だけが青白い光に浮かび上がる。

「おかしいな」しばらくして白菜はつぶやいた。「繋がらない。地下だから、電波が来てないのかな」

 彼はスマフォを諦めると、「ちょっと間、ここで待ってて」と言った。

 それから、曖昧あいまいな感じで懐中電灯を差し出した。前に出かけた大村を突きのけるようにして、青野がひったくるように受け取った。大村は露骨に肩をすくめて見せた。

「じゃあ。直ぐに戻るから」

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