●うたた寝しているお姉さんの服に【本編】
計画を立ててから一週間、私はずっとお姉さんの事を観察している。
以前からたまにお姉さんがその辺でうたた寝してるのを見かける事はあったのだけれど、いざうたた寝しているお姉さんの服に触手を忍び込ませようと考えていると、中々その場面に出くわさない。
弟弟子は最初のうちは毎日ソワソワしていたのだが、一週間経った今ではそろそろ飽きてきたらしく、すっかりいつも通りだ。
私もだんだん飽きてきた。
そんな時だった。
ほとんどの弟子が帰って、私も自分に割り当てられた触手達の世話を終えて、今日はもう帰ろうとしていた夕方、お姉さんは窓辺でうたた寝をしていた。
夕日に長い睫毛が照らされて目元に影が落ちている。
触手はさっき部屋に全て飼育部屋に戻してしまったので、お姉さんの服に触手を忍ばせるには一度取りに戻らなくてはならないが。
それにしても、お姉さんは本当に美人だ。
確かもう四十歳過ぎているはずなのに、見た目は二十代前半、下手をしたら十代後半に見える。
窓辺に寄りかかって眠るその姿はまるで絵画のようで、私は思わずその光景に見蕩れてしまった。
眠る姿はまるで人形のようだ。
しかし、その時私はある違和感を覚えた。
呼吸している気配が全く無いのである。
元来色白の肌は、夕日に照らされてわかりにくくはあったが、そもそも血の気が引いて青ざめているようにも見える。
心配になって私はお姉さんの顔に耳を近づけてみたが、息をしている音が聞こえない。
まさかと思って手首で脈を取る。
脈が取れないばかりか、身体がひんやりと冷たい。
胸に耳を押し当てるが、心臓の音も聞こえない。
私はお姉さんを揺さぶったり頬を軽く叩いたりしながらお姉さんを呼んだが、お姉さんは全くの無反応だった。
いよいよマズイと思った私は、誰かいないかと声を上げた。
たまたま部屋の前を通りかかった弟弟子にもお姉さんが呼吸もしておらず心停止状態なのだと伝える。
慌てて彼も手に持っていた小さな触手達が入ったバズケットを持ったまま駆け寄ってきた。
私は救急車を呼んでくるので、彼にお姉さんをを見ておいて貰えるよう声をかけて部屋を出て行こうと立ち上がる。
「ふあ~。よく寝た。あれ、どうしたの二人共?」
直後、お姉さんの間の抜けた声が背後から聞こえた。
振り返れば、何事も無かったかのようにお姉さんはあくびをしている。
「なんだ、ただ寝てただけじゃないか」
弟弟子が呆れたように言う。
ありえない。
だって、さっきまでお姉さんは本当に……
「ああ、私ちょっと人より眠りが深いらしくって、一度寝たら中々目を覚まさないのよね。それで勘違いしちゃったのかも」
お姉さんは申し訳無さそうに私達に言い、結局全て私の勘違いという事で片付けられてしまった。
家に帰ると私は祖父母にお姉さんの事を尋ねてみた。
小学生の頃、お姉さんの仕事を手伝うようになってからすっかり触手の魅力に取り憑かれた私は、両親を説得して祖父母の家で暮らすようになった。
夏休み明けからは小学校も転校したし、中学もこちらの学校に通っている。
学校の友達と離れるのは寂しかったが、今は電話やメール、SNSでやりとりができるので、特に寂しいとは思わなかった。
何より、今は多少生息圏が広がったが、当時触手はこの地域にしか生息していなかったというのも大きい。
私は学校の友達よりも、触手と離れたくなかった。
両親も祖父母も私がそう話せば、今しかできない事もあるだろうと私の希望を優先してくれた。
触手を保護し、人々の生活に浸透させ、それを広める今の仕事に、私はとてもやりがいを感じている。
私はこの仕事に人生を賭けて取り組みたい。
それはさておき、今はお姉さんだ。
お姉さんは祖父の弟の娘で、父のいとこにあたる。
祖母の話によると、お姉さんは二十歳の頃に家族で出かけた帰りに事故に遭って両親を亡くしているらしい。
お姉さんはその後すぐに触手を育てて貸し出す事業を始めた。
「最初はあんな見た事も無い変な生き物どうするのかと思ってたけど、今じゃこの村の一大産業だもんなあ、大したもんだよ」
感慨深そうに祖母は言った。
「……触手は、元々この地域に生息してたんじゃないの?」
「あれ、そうだっけ? でもそういえば、触手はあの時見たのが初めてだったなあ」
言われてみれば、というように祖母は首を傾げる。
少なくとも、三年前までは触手はこの地域にしか生息していなかった。
そして、約二十年前に初めて確認されたとすると、これはものすごい発見だったのではないだろうか。
のん気に繁殖させて民間に貸し出している場合ではなく、もっと国をあげてその生態を調査すべき案件のはずだ。
だというのに、皆触手を異様な程当たり前に受け入れている。
考えてみれば、小学生の娘が突然そんな正体不明な生物を拾ってきて、それに人生を賭けたいなんて言い出して、なぜうちの両親はあっさりと受け入れるばかりか、応援までしてきたのだろう。
だんだんと考えるうち、私の中で触手という存在に対する違和感が出て来た。
もしかしたら、この違和感の正体が、お姉さんが今日、突然生き返った事と関係しているのかもしれない。
そう思うと、途端に今まで当たり前に接してきたお姉さんや触手が得体の知れない何かのように感じられて、恐ろしくなった。
恐い……恐い……!
その夜、私は一人布団に包まってただ震えた。
今となってはなぜあれ程までに触手の繁殖や事業の拡大にやりがいを感じていたのかわからない。
これではまるで、自ら触手の手先になって、種の繁栄に貢献している見たいじゃないか。
もう全てが恐ろしかった。
触手も、当たり前のように触手の存在を受け入れる周囲の人間も、何より、頭ではこんなに恐ろしいと思っているのに、感情の部分でどうしてもそれら全てが嫌いになりきれない部分がある事が恐かった。
まるで自分の感情も触手に支配されているかのような気分だ。
いや、じっさい気分ではなく、本当に支配されているのかもしれない。
そうだとすると説明のつく事が多すぎる。
私は自分がこれからどうすべきかを考えた。
触手という存在の不自然さに気付いてしまった以上、この違和感に目をつむって、今まで通り過ごす事なんてできない。
かといって、触手から離れ、誰も私を知らない遠くで暮らすというのも現実的ではない。
それに、ここ数年で触手のブリーダーは数十人増えた。
彼等がまた弟子を取っていけば、ねずみ算的に爆発的に触手ブリーダーや彼等が育てる触手も増えるだろう。
それに、触手は海外でも関心を集めているし、既に海外にも触手ブリーダーや愛好家は少ないが存在している。
これから拡大していく事を考えれば、私が生きているうちに世界中どこにいても触手を目にする時代が到来する事も十分ありえる。
どこにも逃げ場は無いのだ。
私はその事実に絶望すると共に、腹をくくった。
翌日の早朝、うっすらと空が白み始めた頃、私はお姉さんの家を訪ねた。
田舎だからと油断しているのか、お姉さんの家は玄関も窓も、全く施錠されていなかった。
まあ、泥棒や暴漢が押し入った所で、どうせ触手に取り押さえられるのがオチなので、むしろ危ないのは忍び込んだ方なのかもしれない。
床を這っている触手を横目にそんな事を考えた。
どうやらお姉さんは夜、家の中で触手を放し飼いにしているらしい。
家の中を進んでいけば、なぜかキッチンに灯りがついており、お姉さんが二人分のお茶を入れていた。
「いらっしゃい。こんな時間にどうしたの?」
既にここに来るのがわかっていたかのような様子でお姉さんは私に微笑みかける。
「……お姉さん、触手ってなんなの?」
意を決して私はお姉さんに問いかける。
「なんで明らかに今まで見た事も無かった生き物を皆当たり前に受け入れられるの? なんで皆好意的に紹介するだけで、驚いたり騒いだりしないの……?」
私が言い終わると、お姉さんは目を丸くして、驚いたように言った。
「それ、自分で考えたの?」
そうだと答えると、お姉さんは少し考える素振りを見せた後、わかった、全て私に話すそうと言ってくれた。
案外あっさり教えてくれることになり拍子抜けしつつ、私はお姉さんに促されるがままに席に着いた。
「まず最初から話すとね、触手って別の星から来た、地球外生命体なの」
「えっ」
あんまりに突拍子も無い話だが、触手の存在自体が非常識だし、実は妖怪か何かじゃないかと思っていた私は、驚きはしたものの、妙に納得してしまった。
「今から二十年以上前になるんだけど、実はね、その時、この身体の元の持ち主、あなたのお父さんのいとこは家族と一緒に死んでるの」
「は?」
突然何を言い出すのかと私は顔を顰めたが、お姉さんは話を続ける。
「単独の交通事故って事になってるんだけど、本当はね、触手を乗せたUFOがものすごいタイミングでぶつかっちゃったからなのよ」
「んん?」
世間話でもするがごとく、軽い感じでお姉さんは話すが、意味がわからない。
「それでね、一番遺体の損傷が少なかったこの子の身体を私達の技術で直して、私達がこの星で根を下して生きていけるようその協力者に仕立て上げたの」
「待って、それじゃあお姉さんの中身って……」
私の背中を嫌な汗が伝う。
「ええ、触手よ。普段は身体に張り付いて電気信号を送る事で操縦していたのだけれど、昨日はうっかり操縦している個体が離れてた時に見つかっちゃって焦ったわ」
失敗失敗、とお姉さんは笑う。
「この星の環境や生態系を調べる必要もあったし、私達の食料の確保をする必要もあった。人間の体液は栄養価も高く、とても美味しかったし、幸い人間達は私達が飛ばす電気信号による暗示にかかりやすい事もわかったわ」
その辺もとても運が良かったとお姉さんは話す。
「元の星は惑星としての寿命を追えて消滅してしまって、私達は次に暮らせる星を求めて宇宙をさ迷っていたのだけれど、機械トラブルで不時着した星は、素晴らしい楽園だったのよ」
うっとりとした様子でお姉さんは言う。
「この身体は例外的に使わせてもらっているけれど、自由に動かせるのは死体だけだし、身体を操縦してる間は食事できないし、新たに操る身体を得ようとする位ならその体液を啜りたいから、他の人間に危害をくわえる気は無いわ。そこは安心して。私達はね、人間との共存共栄を求めているのよ」
お姉さんは熱弁する。
「でも、それだけの知能があるのなら、人間と交流しようとは思わないの?」
私が尋ねれば、お姉さんは静かに首を横に振った。
「思わないわ。相手に高い知能があるとわかると、人間は警戒するでしょう? それに、私達は人間の体液は好きだけど、人間の精神性には惹かれないわ。だって、あんまりにも未熟なんだもの」
「未熟?」
お姉さんの言葉に私は首を傾げる。
「私達は全ての個体がそれぞれに電気信号を発してそれでお互いの記憶や意識を共有しているの。そうして人間の暮らしを今まで二十年程見てきたけれど、良き友人にはなりそうに無いわ。勘違いしないで欲しいのだけど、人間という種族は好きよ? とっても。ただ同じ土俵に立ってコンタクトしたいとは思わないだけ」
お姉さんは脚を組みなおして嘲笑するように言った。
「でも、それならどうして今あなたは私とそんなに腹を割って話してくれているの?」
「興味が湧いたから、かしらね。今までいなかったんだもの。暗示を自力で破って私達の存在に疑問を持った人間なんて。だから、事実を話した時の反応が見てみたくなったのよ」
それで感想は? とお姉さんは笑う。
「その前に、いくつか聞いてもいい?」
「いいわよ。何でも聞いてちょうだい?」
「お姉さん以外の人間の身体を乗っ取ったりとかはしてないんだよね?」
「してないわ。今のところ必要ないしね」
「人間に危害を加えようとは考えて無い?」
「無いわ。だって人間以上に美味しい体液を出す生き物なんて宇宙を探し回ってもきっと他にはいないわ! 私達は自分達の種がこの星で繁栄しつつ、その体液を啜り続けられればなんでもいいの!」
顔を両手で覆い、恍惚とした表情でお姉さんは言う。
「人間全体じゃなくて、私個人なら、あなた達とお友達になれる?」
「……あら、意外な質問ね。もっと嫌悪感や恐怖を私達に抱くと思ってたのに」
きょとんとした様子でお姉さんが私に言う。
「確かに最初はびっくりしたし、ちょっと恐かったけど、特に害があるとも思えないし、それに、色々話は聞いたけど、やっぱり私、あなた達の事、嫌いになれないから」
「……今あなたと接しているのは、親戚の女性の死体に入った触手なのだけれど」
「触手がお姉さんの身体を乗っ取ったのが二十年以上前なら、その時まだ私生まれてないし、小さい頃から私と仲良くしてくれたお姉さんは、あなた達で間違いないもの」
私がそう話すと、お姉さんは静かに席から立ち上がり、私の目の前に立った。
そしてその細く白い指で私の首をゆっくりとなぞる。
「…………もし、あなたが私達を恐れて逃げようとしたり危害を加えようとしたら、この場でくびり殺して、この子みたいに身体を貰おうと思っていたのだけれど」
「でも、しないんでしょ?」
私が言えば、お姉さんはクスリと笑った。
私が右手の小指を出して言えば、お姉さんは呆れたように笑ったけれど、自分の小指を出して絡めてくれた。
逃げるのが無理なら、受け入れてしまおうと私は今朝腹をくくった。
「そうね。じゃあ、友達になってあげる。でも今話した事は誰にも内緒よ。もし話したら、さっき言ったような未来があなたに待っているわ」
「わかった。私と触手との秘密よ」
そして気付いた事が一つある。
やっぱり、暗示なんてナシにしても、私は
●本編おしまい●
田舎にて 和久井 透夏 @WakuiToka
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