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白川津 中々

第1話

 夜。

 深夜というにはまだ浅いが十分に闇が支配する刻。少女は食い入るように自室でPCのモニタを眺めていた。


 一定の清潔感と可愛らしさこそあれ、特筆すべき点のない、面白味のない部屋。PCが置かれているデスクの横には木製のラックがあり、その内の一列は、とあるカテカゴリによって占められている。


 バブシュカ動画。ペスニャってみた。


 日本のweb文化に現れた投稿型国産動画サイト[バブシュカ動画]はサービス開始当初こそ一部のギークやネットフリークが利用しているだけであったが、2010年現在においては爆発的にユーザー数が増加し、メインとなる層が変化していく。そのきっかけとなったのが[ペスニャってみた]である。


 00年代後期。一人のユーザーがその美声を歌に乗せサイト内に上げると、瞬く間に再生回数が増加。ユーザーは一躍時の人となりメディアにも取り上げられるようになるが、知名度の向上に比例し、二匹目のドジョウを狙う投稿者が次々に現れていった。これこそが流行の起点。ペスニャの原点である。

 つまり、ペスニャってみたとは素人の歌唱動画なのだがそこからプロの歌手になった者も少なくなく、今ではすっかりサブカルチャー寄りのアマチュアシンガーがデビューへの登竜門としてバブシュカ動画を利用するようになっていた。

 彼らはペスニャ手と呼ばれ、その中の一人である[ルサルカ]は、今、少女がもっとも熱を上げているペスニャ手であった。


「美咲さん」


 ルサルカが上げた動画を鑑賞していた少女は、ドア越しからの呼び掛けに「はい」生返事を返す。


「お父様がメロンを買って来てくださいましたから、一緒に頂きましょう」


 美咲は「分かりました」と返事をし、一時停止をクリック。うんざりしといった様子でリビングへと向かう。


 彼女はさしてメロンが好きというわけではない。しかし人の感情に敏感である美咲は両親の本意を汲み、食べたくもないメロンを食べに行ったのである。美咲の父母は美咲と会話をしたいのだ。


 階段を降りた先にあるリビングには、網目の入った皮に、糖度の高そうな橙色の可食部を露わにしたメロンが美咲の父親の前に置かれていた。


「どうだね美咲。果肉の赤いメロンは」


 父、万二郎は得意気にカットされたメロンを持ち上げ、誇らし気に鼻を鳴らした。美咲は席に着き一口。「美味しいですわ」と答えたがその実味など舌に乗せた先から忘れてしまったといった様子で表情は固い。


「美咲さん。駄目ですよそんな顔をしては。不遜に見えますわ」


 母である楓が美咲を柔らかく咎めるも当の本人は「すみません」と心込もらぬ謝罪をするばかりで一向にその顔を崩す気配がない。言葉を失う両親。美咲とて、好んで場にこの様な空気を作りたいわけではないのだが、いかんせん思春期の少女。その心情は、地獄よりも深く。ラヒュリントスよりも複雑である。おおよそまともな大人がその心持ちを分かるはずもなく、また、その無理解が美咲を意固地にさせているのである。


「美咲。学友はできたのかね? 夏も近い。もし海や山に行くのであれば、車を出すのもやぶさかではないが……」


 万二郎は威厳たっぷりに娘に接しようと努めるのだが、それこそが彼女の不信を募らせていると気がつかない。


「ありがとうございますお父様。しかし、いらぬ心配でございます」


 美咲は急いでメロンを平らげ、手を洗い部屋へと戻って行った。再び口をつぐむ両親。その後、万二郎は溜息を一つ吐き煙草に火を着けた。


「楓や。私は美咲の心が分からない」


「年頃というのは、悩み頃でございます。子供も親も」


 善き妻であり善き母である楓の言葉に、万二郎は幾らか救われた様な面持ちで紫煙を燻らす。


 一人娘が可愛くないはずがないのだが、自分では美咲の心を動かせない。どうする事もできないと悟りここ数年。彼は我が子への干渉を控えていた。

 それでも前までは少なからず笑顔は見せていたのだが、美咲にPCを買い与えて数ヶ月が経つ頃には、会話さえろくにできずにいる。諸悪の根源は明らかであった。しかし、かといって美咲からPCを取り上げれば余計に関係が悪化し、家庭崩壊の危機も視野に入れなければならない。それが分からぬ万二郎ではなかった。


「今はただ、黙して語らず……か」


 深く吸い込んだ煙が呼吸と共に吐き出される。頬杖をつき思案する万二郎の姿は、先まで貼り付けていた家長としての威厳が少しばかり崩れている様に見えた。





 さて。親の気持ち子知らずとはよくいったもので、部屋に戻った美咲は再びPCに顔を向け腰掛け動画を再生した。しかし、先ほどとは違い、どこか上の空でその表情は険しい。


「友人なんて……」


 弱々しく響く卑屈な呟き。次に漏れる言葉は決まっている。それは……


「友人なんて……いらないんだから……」


 美咲は孤独である。だが決して疎まれているというわけではない。実際、話は通じるし常識もわきまえている。それなのになぜ親しい人間がいないのかといえば、考えすぎる性格が災いしていたのだった。


 前述の通り彼女は親の意を察しメロンを食べ、気まずい空気に申し訳なさを覚えるくらいには人並みの心がある。だが、その思慮深さが返って人を遠ざけている事に気がついていない。要は間の取り方が下手なのだ。自分がいていいのか。話に参加しては悪くないか。私の一言で傷つかないだろうか。そんな事ばかりを思い、悩む。悩み、そして腹を立てる。どうして私を分かってくれないのか。と。ひたすら、考える。


 美咲は項垂れた後、寝支度をして静かにベッドへ入り目を閉じた。呪詛のような言葉を残して。


「朝になったら世界が滅びていますように」




 願い叶わず朝。

 着替え登校。足取り重く鬱屈。座りては黙。孤。

 教室内は騒がしく、どうにも居心地が悪そうである。


「やはりルサルカはいい」


「聞くところによると水面下でオリジナル楽曲を作成中との事であるぞ」


「CD化待ったなし」


 美咲は奥歯を噛み締めていた。この場合の彼女の心理は実にわかりやすい。


 憤怒。


 自分の方がよりルサルカに対して深い知識と理解を持っているという自負。それを伝えられないジレンマ。


 彼女の腹を悪戯に刺激しているのは自称web情報通の女三人組である。あれやこれやと騒ぎ立てるが、その実ロクな知識はなくただ知りたての言葉を口から出してしたり顔をしているだけに過ぎない。


 美咲はそれが我慢ならなかった。ならなかったが、ぶつける物がなく、ただただ腸を煮え繰り返すばかりなのである。

 どうしようもなく机に突っ伏す美咲。すると今度は別の騒音。彼女は体を起こし隣を睨みつける。その眼光の先には、数人の男。音の正体はその内の一人。涼やかな顔に似合わない坊主頭の彼の名は本宮。キ印が付く程の野球好きで、毎朝仲間達と野球の動画を観るのが日課であった。


「申し訳ありませんが、静かにしていただけないでしょうか」


 美咲はてんで野球に興味がなく、毎日まるで理解の及ばない音声を聞かされるのが堪らなく嫌であった。そうしていつも文句を垂れるのだが、男達は知った事かという風にそれを退けるのである。


「悪いができん相談だ。廊下で寝ていろ座敷童子」


 馬鹿笑いを上げる男達に青筋を立てながら美咲は肩を落とし頬杖をついた。どうしようもないといった様子である。

 彼女の日常は終始こんなものだ。雑踏に取り残されて一人、影を落とすばかり。相容れず、交れず。ひたすらに孤独。退屈。

 何を考えているのか、あるいは何も考ええていないのか、ともかく美咲が無言で黒板を眺めていると、予鈴と共に風が吹いた。梅雨の香りがする、湿り気のある風。その風が吹き抜けると、一日が終わっていった。

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