第8話
少女は電車に乗り、揺れる。
ロングシートは満席で、吊革から手が生えている。
休日というのは人が家から出る日だ。普段怠惰な連中も、休みだけは一秒も時間を無駄にしまいと躍起になる。人間とは得てしてそういうものかもしれない。
ひしめく車内で少女は顔見知りがいないか確認する。日陰に生きている人間は、私事の時間を見られるのを恐れる。
顔を伏せ沈黙。酸素の濃度が薄く、たまに首を上げ息を大きく吸い込み、また俯くを繰り返す。その動作はまるで鳥が餌をついばみ飲み込む様で、一駅過ぎ、また一駅と進む間に何度も行われ、ようやく目的の駅に到着する頃には首が折れてしまいそうになっていた。
へとへととなりながら電車降り、プラットフォームを抜ける。待ち合わせた場所はルサルカのグッズを買いに来た街。その駅内にある金の時計と呼ばれる場所。美咲は身をそわりとさせ小さく浮き足立ち、落ち着かない様子で何度も携帯電話を確認する。
約束の時間十五分前。周りの人間は次第に番となって離れていく。
十四分前。再び携帯電話を眺める美咲。しきりに前髪をいじり乙女の香りを漂わす。朱に染まる頬。潤む瞳。歳相応に美しく、歳相応の恋をしている。
十三分前。十二分前。十一分前……人の流れとは裏腹に、時が長い。額に汗が滲み、美咲は手鏡で化粧が落ちていないか落ち着きなく見ている。そんな折に一人。彼女に迫る人影があった。
「もし。ペレストロイカ殿でございますか?」
そう呼びかけた男の風貌はショートカットの金髪。薄い唇に左右のえくぼ。大きめのサングラスと白いシャツに緩く絞められた細いネクタイ。長身からはスラリと長い足が伸びている。
その男からは透き通った高い声が、少女が憧れ、何度も聞いたペスニャ手の声が、少女に向かって発せられていた。
「ルサルカ様……あの、あの! 私……!」
取り乱し、言葉が上手く出ない。美咲はしどろもどろとなり、汗が粒立つ。
「これこれ落ち着きなされ。兎も角、何処かで珈琲でも飲みませう」
美咲は大きく頷き「はい!」と喜びを噛み締めるように返事を重ねると、ルサルカは、「では」と美咲の手を握る。その動作に熱を上げながらも何とか歩き、美咲は引きずられる様にして喫茶店に入った。そこは、夏美と話し、バブライブに誘われた場所であった。
「いやしなし、感激でございますな。ペレストロイカ殿とこうして茶をしばけるとは」
「そんな、私の方こそ……むしろ、よかったのですか?」
「よかったのですか? とは?」
「私の様な者とお会いして頂きまして、内心、申し訳なく思っております」
「これは異な事を。麗しの乙女よ。あなたの為なら、某は月にいたって駆けつけますぞ」
「まぁ!」
頼まれたコーヒーは減らず、二人は話し、語った。スカイプをしていたとはいえ実際に会えば興がのる。盛り上がりはPC越しの比ではなく、とりわけ美咲の口はよく動いた。孤独に苛まれた彼女にとって人と言葉を交わす事がどれほどの快楽であるか、それは、同じ経験をした人間にしか分からぬだろうが、彼女が心からの笑顔を見せているという事は、誰が見ても明らかであった。
店内の客層が二度程変わり、ようやくグラスが空になった二人は店を出ると、次に向かった先はカラオケボックスだった。
人前で歌う。それは美咲にとって初めての経験だった。最初こそ恥ずかしそうに、口をすぼめてボソボソと囀る様にマイクに向かっていたのだが、ルサルカが何の気後れもなく歌唱を披露してからは自らも存分に歌声を晒し、息を切らした。
「楽しいですわ! カラオケってはじめてなんですの!」
「いやいや。喜んでもらえて何より。どれ、某がドリンクを汲んできましょう」
空になったグラスを持ったルサルカに「私が行きます」と美咲は言ったが、「ペレストロイカ殿。ドリンクバーの使い方をご存知で?」と返されたので「お願いいたします」と諦めた。
小さな部屋に一人残された美咲は、何やら浸っているようであった。油断すれば肌が触れ合う空間で、憧れていた人間と時間を共有しているという現実。惚けないはずがない。
時間は既に三時間経っている。もう三時間もしたら、彼女は家に帰らなければならない。それを思ったのか、美咲の表情は複雑であった。
「やぁやぁペレストロイカ殿。お待たせいたしました」
美咲は「ありがとうございます」と言ってルサルカが差し出したジュースをストロー越しに味わう。彼女は甘いものをあまり飲まないせいか、味がわからず妙な顔をした。
「おや、お口にあいませんでしたかな?」
「いえ、ちょっと、歌い疲れてしまいまして……」
「それならば、次は昼食にしましょう」
そう言ってルサルカは伝票を持ち廊下に出た。美咲は「払います」と財布を出したが「男気でございますから」とそれを制し先に立って歩を進める。
仕方なく財布をしまい、ルサルカの後を追う美咲。しかし彼女の足取りは重くフラついている。その様子は決して疲れなどではなく、何か別の要因が作用していると見て取れるものであった。
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