第4話

 雑談の中で、美咲は失言に近いことを言った。

 

「あの三人なら協力してくれたのではなくて?」


 あの三人とは、例の女三人組である。

 美その言葉に夏美は視線を落とし、一言。


「あの方々は、少々苦手で……」


 バツが悪そうに答える夏美。その姿を見て美咲は柔らかく笑う。


「あら。私もですのよ」


 他人の陰口というのは秘密の共有。共通の敵は結託を生み心の距離を瞬時に近づける。この場にいる少女二人も例に漏れず、いつの間にやら無二の親友の如く笑顔を交わす様になっていた。時が流れ夜近く。美咲の携帯電話に着信。母からである。美咲は渋々とそれを取り淡々と受け答え終えた。そうして時計を確認し、はたと気づく。


「申し訳ありません。つい、長居をしてしまいました」


「いいえ。私も人とこんなに話すのは初めてでございまして、止め時を忘れていました」


 夏美は駅まで美咲を送って行った。そうして電車が来るまでまた少し喋り、別れた。


 電車の中で、美咲には笑みが浮かぶ。それは意図したものではなく、自然と溢れる生理現象だと見て取れた。ボックスシートに座っていた彼女は窓の闇に映る自身の顔を見て表情筋の緩みを正すと、みっともないと思ったのか、頭を掻き「駄目ですわね」と呟いた。しかし、少し経てばまたにやけ、また正す。そんな事を繰り返しながら電車は駅に着き、彼女は帰宅した。


「あら美咲さん。何かいい事がありました?」


 家に着き、開口一番であった。美咲は母の言葉に「なぜですか」と聞けば「顔が綻んでいらっしゃるから」と返され手で顔を触る。

 その様子を見て楓はくすりと笑い「ご飯にしましょう」と言って、それ以上はなにも聞かなかった。


 父親は未だ帰らず母子二人。しかしそれは見慣れた光景であり、むしろ、早くに家にいる方が、彼女達には違和感があるだろう。


 食事を済ませ美咲は自室へ入る。点けっ放しになっているPCにはメッセージが数件着ており、その中には夏美からバブシュカ動画の[アルガニザーツィヤ]への招待が含まれていた。

 アルガニザーツィヤとはコミュニティの事であり、いってみれば会員制のサークルである。夏美は自分のアルガニザーツィヤを作っていて、今日、二人が放送したバブライブは彼女のアルガニザーツィヤに入っている人間にしか観る事が出来ない[ドーミク放送]だった。アルガニザーツィヤのメンバーは[チレーン]と呼ばれ、またアルガニザーツィヤは長ったらしく、だいたいはアルガと略される事が多い。


 美咲は早速夏美の作ったアルガに入り、ページ内にある掲示板に『本日はありがとうございました』とペレストロイカとして書き込む。直後、すぐさまレスポンス。電子の一区画が盛り上がる。


 友人のいなかった彼女にとって、他人との交流は麻薬であった。時を忘れひたすらにキーボードを打つ。途中から夏美。いや、リェータも参加したが一時間ほどで睡眠に時間を当てるといって消えるとチーレン達はペレストロイカに夢中となり、ペレストロイカもチーレン達とのやり取りに愉悦を覚えた。


 気が付けば朝であった。

 空は薄いブルーが澄み雲に影がかかる。雀の囀りがよく響き騒。ペレストロイカは美咲へと戻り、椅子の上で目尻を抑えて「しまった」と嘆く。





 教室はいつもの様に騒々しい。女三人組が高い声を上げ、男連中が野球の動画を観る。しかし美咲は動じなかった。いや、反応できないというのが正しいだろう。徹夜などした事もなかった彼女は初めて迎える不眠の境地に慣れない様子である。耳に入る音も目に映る映像も脳に届かないといった感じで、まるで人形の如く一点を見つめていた。恐らく、眠いと意識する事もできていないだろう。

 隣に座る本宮はそんな美咲の姿に気付き異様なものを見る様な目で彼女を眺めたが、すぐさま視線を外し動画に視線を戻した。




「美咲さん。昨晩徹夜なされたんですか?」


 昼。美咲は夏美と弁当を使っていた。これは夏美の提案であり、美咲は少し考えた後、「いいですわ」と受け入れたのだった。


 考え込んだ理由は睡眠不足による思考力低下もあるだろうが、恐らく、日陰者同士が傷の舐め合いをしていると思われやしないかと意識したのであろう。彼女の性格上、断れはしないのに。


「えぇ。ちょっと羽目を外し過ぎてしまいましたわ」


 虚ろな目で受け答えをする美咲は何も掴んでいない箸を汲みに運び、咀嚼し、飲み込んだ。言葉を失う夏美。美咲の弁当箱には彩だけが残り米がなかった。


「美咲さん。あの、起こしますので、少し休まれた方が……」


 美咲は沈黙の後、「あぁ」と頷いて夏美に言った。


「ごめんなさい。私、どうやら眠かったようです」


 彼女は机に突っ伏してすぐに寝息を立てた。







「本日も、ミラーシ・リェータム。はじまりますわ!」


 学校が終わり、二人はまた夏美の部屋でバブライブを放送した。ペレストロイカには昨日ほどの緊張はなく、終始自然体で喋り、二人の少女の笑顔がナロートを喜ばせ、また、それが二人の少女を喜ばせた。そうして三十分が過ぎ、放送が終わると少女達は少女達だけの話に花を咲かせる。


「面識のない方々なのに、こんなに楽しく話せるなんて何だか不思議な気分ですわ」


 放送を終え美咲が愉快気にそう言った。


「そうでございますわね。でも、もう慣れてしまいました。生身の人とお話しするのは苦手なままなのですけれど」


「夏美さんはもったいないですわ。せっかくお美しいのに」


「そのお言葉は。そっくりそのままお返し致します」


「え?」


「えぇ。美咲さんは、とても美麗で素敵な女性でございますわ」


 夏美の一言に声を失う美咲。困惑した顔に険はなく、驚きと羞じらいに満ちている。


「そ、そんなこと言われましたら、わ、私、困ってしまいます……」


 その様子を見て夏美はくすりと笑い、「美咲さんが放送を始めたら、たちまち人気者になりますわ」と言って美咲をさらに困らせた。





 夏美に駅まで送ってもらい美咲は帰宅した。そして母との食事。終始無言。しかし思いつめているというよりは、何かしら決意を固めたといった感じであった。空いた皿を洗い自室に篭り、PCの電源を点ける。そして、バブシュカ動画を開き、アルガ作成のリンクをクリックした。


[ペレストロイカのグラスノスチ]


 それが彼女のアルガだった。


「初めましてみなさま。ペレストロイカでございます……」

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