第14話


 さて夜半ば。玄関を開ける音が響き美咲はリビングに行く準備をした。

 乱麻の様な髪に櫛を通す手がぎこちない。平静を装っているが、彼女は父と母を恐れているようであった。

 過去、叱責された経験は無論あるが此度の様に家庭外まで巻き込んだ失態は初めてである。その罪の重さも罰の計量もおよそ未知数であり不安であろう。細い髪が悪戯に揺れ、濡羽色の光沢波立つ。すると階段を上る軽い足音。廊下を通り、部屋の前で止まって。ノック。


「美咲さん。お父様がお帰りになられました」


 時計を見れば三十分が経過している。美咲にとってその時間がどの様に感じられたか知る由もないが、正していたはずの身なりが返っておかしくなってしまっているのを見るに心穏やかでなかった事は確かだった。




 部屋を出て、母の後に続きリビングに入る美咲。父親は頬杖をついていたが、二人の登場により背を正し、わざとらしく腕を組んで威厳を示す。


「美咲。楓から聞いたが、随分と皆様をお騒がせしたようだね」


「はい。お母様をはじめ、学校に勤める方々。通う生徒。友人に多大な迷惑をかけてしまい、大変申し訳なく思っております。いかような処分も甘んじて受ける心算でございます」


「うむ。その気持ちはいい。しかし、私は罰し方を知らぬ。仮にパソコンを取り上げたところで事の後だ。意味は薄いだろう。したがって……」


「したがって?」


 美咲が復唱すると父は大きく咳払いをして言葉を続けた。


「したがって、全ては楓に一任する。さて楓よ。美咲をどうしたらいいと思うかね」


 万二郎の問いに楓は悩むそぶりを見せ、ゆっくりと口を開く。


「そうですねぇ。では、しばらく、私と共にお稽古を致しましょうか」


「……!」


 美咲の顔がみるみると青くなっていくのが分かる。まるでこの世の終わりを迎えたかのようにあんぐりと口を開き、そこから悲鳴の代わりに魂が出てきそうなほど彼女は悲愴に満ちていた。


「まぁともかくだ。美咲。お前が無事でよかった。本来ならば怒鳴りつけて平手の一つでもくれてやりたいが、そこまでしなくとも賢いお前なら分かるだろう」


 父の言葉に我に返った美咲は、小さく「はい」と呟いた。目に溜まる涙。彼女にとって、今日の父の態度は体罰よりも堪えた。

 信頼。

 父は私を信頼してくれている。それを私が裏切った。

 美咲の心情は、恐らくこんなところであろう。罵倒されるよりも、殴られるよりも、愛すべき親の信に応えられぬのが、苦しく、辛い。美咲はそういう人間である。もっとも、両親もそれを見越しての対応であるのだが。


「では、食事にしましょう」


 母親がタイミングよく暖かい料理を机に並べ始める。美咲はそれを手伝い、侘びの意味を込め父に酌をする。


「一杯どうだ」


 そんなことを言う父を咳払いで咎める母。団欒。笑い。美咲の緊張は解け、朗か。万二郎も楓も、内心は美咲をもっと叱りつけ自らの監視下に置き、その生涯を雁字搦めにしてやりたいという気持ちは多分にあるであろう。しかし、それは子にとっての幸福に繋がらない事をよく知っている。親とは、そういうものである。美咲においても、いつかその真意を理解する日がくるであろう。数年先か、数十年先か……







 月日は流れ、美咲は歳を一つ重ねた。


「あらお父様。こんな時間に朝食を摂るだなんて珍しいですわね」


「あぁ。部下がようやく育ってきてね。おかげで仕事が減ってしまったよ」


 やれやれといった様子で白米を頬張る万二郎であるが、その顔はどこか嬉しそうであった。


「そうなんですが、でしたら、一つお願いが」


「何だね」


「来週の休日。夏美さん達と美術館に行く事になったのですが、送ってくださいませんか」


 万二郎は愛娘の思わぬ願いに一瞬声を失ったが直ぐに我へと帰り「勿論だとも!」と声を張り上げた。美咲は笑いながら「ありがとうございます」と礼を述べ食事を始めるとあっという間に平らげ、「ごちそうさま」といって食器を片付ける。それから自室へ戻って身支度をして登校。嵐のような一と時に、万二郎は呆気に取られながら食事を続けた。







「おはようございます」


「おはようございます。美咲さん」


「美咲殿! ご機嫌麗しゅう!」


「本日も良き朝でございますな!」


「いやはや夏の暑さが堪えます!」



 美咲は夏美の他に、例の女三人組とも交友を持つようになった。ルサルカの一件以来、彼女達は自らの見識の狭さを恥じ、それを美咲に打ち明けたのである。

「突然そんな事を言われても……」と、当初は困惑していたが、話すうちに親睦が深まり、いつの間にやら行動を共にするようになった。


「騒がしい事だ」


「あら本宮さん。今年は試合に出られるといいですわね」


「お前が面倒起こさなきゃ出られるさ」


 本宮はあの事件後。結局爪の怪我が治らず試合には出られなかった。美咲と夏美はそれを自分達のせいだと言って彼に詫びたが、その時は「俺の不足だ」と言って彼女達の陳謝を一蹴した。が、時が経つにつれその事をネタに軽口を吐くようになり美咲はすっかり呆れかえってしまっていたのだった。


「もうペレストロイカは卒業かい?」


「えぇ。webサイトもバブシュカ動画も観ますけれど、バブライブは飽きましたわ」


 その言葉通り美咲はPCに向かう時間が少なくなった。それ以上に、人と話し、接する楽しみを覚えたのだ。


 「あなたも、もうお歌いになられませんの?」


「……何の事か分からんな」


 意地悪そうに笑みを浮かべる美咲から本宮は目をそらし、いつものように野球の動画を見始めた。



 窓から風が吹く。太陽の熱を帯びた熱い風が少年少女の体を撫でる。夏は未だ始まったばかり。この一瞬を重ね、子供は熟し、成長していく。

 三浦 美咲。十七歳。彼女の物語は、まだ始まったばかりである。

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