第2話

 美咲の休日はおよそ青春と呼ぶには実りのないものであった。

 朝早くに起きるものの微睡み離さず床で燻り怠惰を尽くす。昼近くになってようやっと起きたと思ったらPCの電源を入れ食事も摂らず動画を再生する。白痴の如く口を半開きにさせ幾時間。小腹を満たす為にリビングへと降りていき置いてあるパンを齧ってまた部屋に戻る。そんな事の繰り返し。


 母、楓はカルチャースクールへ通っていて土曜日曜は不在。名実ともに一人きり。気がつけば陽は頂点を降り外はオレンジがかった色合いに染められていた。美咲の口が閉じられそわりと身体を揺する。彼女はいつだってこの時間に不安を覚えた。何もせず一日が終わるのが惜しいのだ。

 だが、だからといって別段やることはない。それがより焦燥感を強め、身体を震わす。そんな時は逃げるようにしてベッドに入り込み惰眠を貪るのが常であった。


 しかし今日の美咲は違った。どういう心境の変化か身支度をはじめ、年相応な出で立ちとなり万全。部屋を後にし階段を降り、玄関を経て外に出る。

 美咲のいなくなった部屋にある付けっ放しにされたPCのモニタには、ペスニャ手グッズ販売と書かれたサイトが表示されており、その一覧の中にはルサルカの名前も含まれていた。彼女が珍しく外出した理由はそれである。


 電車で二駅。趣味が露呈する事を避ける為に近くのショップは避ける。

 美咲はバブシュカ動画を見ている事を伏せていた。それが恥ずかしいと思っているからである。


 彼女はオタクと呼ばれる事を恐れた。社交性がなく、非現実に没頭する人間と見られたくなかった。側から見れば、現状とそう変わらないにもかかわらず。


 改札を通過し雑多。広がる構内に建ち並ぶ店々。美咲の街の駅は地下もなければ私鉄もない寂れたボロ小屋である。三十分ばかりの移動でこうまで差が出るものかというほど立派な作りであった。

 美咲は慣れた足取りで通路を突っ切り構外へ出た。湿度高く蒸し、薄い汗が伝う。薄手のカーディガンが邪魔になったと見えて小さくたたんで鞄にしまい、いくらか涼やかそうになった。


 道行く人々はこぞって複数。往来だというのに美咲は肩身が狭そうである。端を歩く彼女の姿は挙動不審で格好のいいものではないが、本人は気付かぬのか知らぬのか、まったく治す素振りも見せずに大道から小道に抜けて街はずれ。時間にして十分余り。大手グッズショップ[アニメトロ]に到着した。

 入店すれば人波騒めく魔の海峡。アニメ漫画ゲームのバミューダトライアングルを踏破しフロアを上がれば特設コーナー。ペスニャ手グッズ販売。その一角に美咲が求めたルサルカの缶バッチやタオルが置かれている。それを片っ端から引っ掴み素早くレジに向かったと思えば、いつの間にやら清算を済ませそそくさと店外へと出て行く。全く無駄のない、合理的な動きであった。


 外に出てすぐさま深呼吸をする美咲。一時間近くかけてやってきた割にはあっけなく目的は達成された。そうしてどこか満足気な表情を浮かべ、喫茶店にでも行こうかしら。というような様子で呆けていると、彼女の背後に人影が現れた。美咲と同じくアニメトロの利用客である。その人影は、自動ドアの前で立ち止まっている美咲に激突した。


「申し訳ありません!」


 美咲はつんのめりから立ち直して「いいえ私も邪魔でしたので」と、自らも謝罪を持ってして応えた。応えたのだが……


「あの、もしかして、三島さん?」


 突如として自分の苗字を呼ばれ、美咲はギョッとした。恐る恐る声の主を見ると、そこにいたのは同じクラスの永野 夏美であった。


「永野さん……」


 お互いが、二の句を告げれぬまま固まり見つめ合う。妙な空気が流れ、行き交う人々が一様に彼女達のロマンスの欠片もない瞳の交換を見物していった。


「とりあえず、場所を移しませんか?」


 どちらが言い出したか分からぬが、どちらが言ったとしてどちらも納得したであろう。ともかく、美咲と夏美は無言で近くの喫茶店へと移動したのであった。

 



「三島さん、アニメとかお好きなんですか?」


 アイスコーヒーを啜り終え、美咲は「いいえ」と返す。しかし、「ではなぜあそこに?」という質問に窮し、仕方なしに本当の事を白状し顔を赤くした。


「あら! あらあらまぁまぁ! 実は、私もルサルカ様の事、好きなんです!」


 美咲は驚いた。夏美は普段おとなしい少女である。悪く言えば陰気。伏し目がちで絶えずおどおどと沈黙を通す根暗で、まともに話をしたことのある人間は数える程しかいなかった。そんな彼女がこうも声を貼り笑顔を見せるとは、予想できなかったのだ。


「あの、永野さん……」


「夏美でよろしいですわ」


「夏美さん。少し声が大きいです」


 夏美は手で口を抑え「はしたない姿を見せてしまいました」と可愛らしい笑顔を見せた。学校では見せない表情に、美咲はどう対応していいか頭を悩ませているといった風である。


 夏美は決して醜女ではない。むしろ可憐で美しい女性だ。透き通る様な白い肌に長く艶やかな黒髪。華奢な肢体とこじんまりした体躯。普段から今の様に振る舞えば孤独も消え失せるだろう。


「夏美さんは、どうしてあそこにいらしたんですか?」


 訝しげながら美咲は自分がされたものと同じ質問をした。


「もちろん。美咲さんと同じ目的でございますわ」


 苗字呼びから何の躊躇もなく名前呼びに変わり内心狼狽えるも、美咲は薄まったアイスコーヒーを飲み落ちついている素振りを見せる。冷たい液体が喉を通り嫌が応でも冷静になとなって「そうですか」と返し、まるで興味がなさそうに振る舞う彼女であったが、それは夏美の発した言葉により無益なものとなった。


「美咲さん。一緒に生放送バブライブを致しませんか?」

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