第10話

 張りのある重い声。逞しい肢体。涼やかな瞳に坊主頭。

 立っていたのは、クラスメイトの本宮。野球部の、朝いつも動画を観ている本宮である。そして後ろには、小さく身を縮める夏美がいた。


「いい大人が女殴ってんじゃないよ。情けない」


 淡々と喋りながら本宮は二人に近づく。隆は身構え「止まれ!」と叫んだ。


「何なんだ貴様ら。殺すぞ」


「あんたみたいな奴が怒鳴ると、それだけで笑えるな。子犬が吠えてるみたいだ」


 構わず進む本宮。隆は威勢こそいいものの腰が引け怯えている。


「来るな!」


 震えた声で威嚇するも、一向にその足を止めない乱入者に気圧され、隆は美咲ごと車に飛び乗ろうとした。瞬間。本宮が距離を詰める。同時に美咲が車とは反対側に倒れ込み、バランスを崩した隆は本宮に捕まりその顔に拳を浴びた。鼻を抑えながらよろめき膝をつく隆。その状態から更に顔に蹴りが入り、倒れて動かなくなった。


「行くぞ」


 本宮は夏美にそう言うと、美咲を助け起こして抱きかかえ、入り口へと向かっていく。右拳から血が滴っているがまったく意に介さず直進。夏美は倒れている男を一瞥し、遅れて二人の後をついて行った。




 外は相変わらず陽射し強く、遠くから蝉の鳴く音が聞こえる。ため息を一つ吐き、本宮がやれやれといった様子で口を開いた。


「こいつを休ませんとな。俺の家が近いから、永野。お前も来い」


 「えぇ!?」と妙な声をあげる夏美を尻目に、本宮はタクシーを止め美咲を後部座席に放り込む。そうして自動販売機で水を買って美咲の方に投げ、助手席に座り運転手に行く先を告げた。運転手は怪訝な表所を見せたが言われた通りの道を辿る。面倒事は御免だといった様子である。



 そうして、到着。



「気持ち悪い…………」



 タクシーから降りた瞬間。美咲がそう呟き、近くの側溝に胃の中にあるものを吐き出した。


「酒を飲まされたな。気づけよ座敷童子」


 火照った顔と僅かに香る酒臭に気付き、本宮は小馬鹿にしたようにそう言った。


 事実。隆はカラオケでドリンクを取りに行った際に、少量の酒と粉末状にした睡眠導入剤を美咲のグラスに仕込んでいた。本来はここまで作用するものではないが、耐性のない美咲には必要以上に効果があったのだろう。


「お酒なんて、飲んだことないんですもの……分かるわけないですわ」


 美咲は反論したが、その声に力はない。しかしなんとか歩ける程度には回復し、自分の足で本宮について行った。



「おじゃまします」


 歩くこと数分。入り込んだ路地を抜けた場所にある古く広い木造建築。よく掃除が行き届いた、趣のある家屋。それが本宮の家であった。二人の少女は居間に通され、雑に出された冷たい茶を飲んだ。茶菓子はない。


「とりあえず座敷童子。お前は寝ていろ」


「その座敷童子っていうの、止めていただけませんか」


「馬鹿を言うな。その形で他にどんな渾名があるというのだ」


「名前をお呼びになればよろしいじゃありませんか!」



 二人の掛け合いに夏美はおもわず吹き出した。美咲はそれを睨んでから

コホンと咳ばらいを一つして、取り直したように口を開く。



「そもそも、なぜあなた方があそこにいらしたんですか?」


「永野から、あの優男は危ないから一緒に監視して欲しいと言われてな。カラオケ屋の前で二時間暇を潰すのは難儀だったぞ」


 本宮がそう話すと、続いて夏美が口を開いた。


「あの、本宮さん。私達の放送を観たらしくて……」



 座敷童子のやつ、最近見ないな。



「と、尋ねられてきたんです。それで美咲さんがルサルカ様とお遊びになると聞いていましたので、事情を話してお頼みしたわけでございます。日時と場所は美咲さんから伺っていましたので……」


「……あなたのアルガ、年齢と出身地で選別してましたわよね」


 バブシュカ動画はプロフィールを設定する事ができる、夏美はそれを確認し、自身のアルガには同年代と同一県の人間を意図的に入れないようにしていた。


「俺は中学の時引っ越してきたから、住所がこっちになってないんだよ。それに、アカウントは兄貴のを使ってるから年齢も違うんだ。ペレストロイカ殿」


「詐欺ですわ!」


 美咲は激昂し、尻に敷いていた座布団を本宮に向かって投げた。が、体良く交わされ座布団は壁に貼ってある[宮本]と書かれた野球選手のポスターに直撃。その後、畳へと着地した。


「おいおい人様の家だぞ」


 関係あるかという風に机を叩く美咲。しかしすぐにフラつき倒れこむ。本宮は「救い難い」といって氷枕を投げ、文句を言いながらも美咲はそれを頭に乗せ、そのまま寝入ってしまった。




「あの、宮本さん。本日は本当にありがとうございました」


 寝息を立てる美咲の隣で夏美が深々と頭をさげる。


「気にするな。ただ珍しく部活の練習が休みだったから惰眠を貪ろうと考えていたが、なに、まったく遠慮をする事はないぞ永野。これからもどんどん面倒事を持ち込んできてくれ」


 長々と女々しい皮肉であったが、夏美はひたすらに謝り続け、本宮は辟易している風であった。


 午後になり、陽が落ち始め早々。美咲が起き上がり本宮に茶を所望した。

 本宮は「まったく図々しいやつだ」と言って茶を出し、美咲はそれを飲んだ後、今更ながらに本宮に謝罪をしたが本宮はその言葉をいい加減に聞き流し、「大丈夫ならもう帰れ」と二人を追い出した。

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