写真

λμ

写真

「どうよ? 最近。写れてる?」

「やー、ちょっと無理っすね。やっぱデジカメってムズいんすよー」


 ミナミは苦笑いを浮かべながら、顔の前で手を左右に振っている。一時期はテレビにしょっちゅう出ていたミナミでもデジカメに映るのが難しいとは、思わなかった。

 ヤザキはため息をついた。


「やっぱアレ? 多重露光とかないとキツい感じ?」

「やー。多重露光もあるんスけど、やっぱフィルムカメラなら、直接フィルムいじればいいじゃないすか。デジカメとか、データっすよ? 俺のころはパソコンなんてなかったっすもん。いじれませんよ、あんなの」

「まぁなぁ。あーあ。俺もたまには、写りてぇんだよなぁ」


 ヤザキはビルの手すりから身を乗り出し、路上を見下ろした。豆粒ほどのサイズで見える人々は、今日も生き生きと歩き回っている。

 こっからみると、アリンコと変わらねぇよなぁ。

 ヤザキはつきそうになった溜息を飲み込んだ。


「お、あそこ、カメラもってんじゃん」

「え、マジすか、どこ?」

「あれだよ。あれ」


 ヤザキが見つけたのは、安っぽい青色のカメラを持つメガネの男だ。レンズの先には、幸の薄そうな女がヘンテコなピースサインをして立っていた。最近の若い奴は、などと言いたくはないが、妙な格好をしている。

 いずれにしても、真昼間のオフィス街でカメラを構える人などそうはいない。ヤザキには絶好のターゲットに思えていた。

 しかし。

 さっそく写りに行こうとしたヤザキを、ミナミが止めた。


「ヤザっさん、あれダメっすよ」

「あん?」


 出鼻をくじかれたヤザキは、思わず眉を寄せた。いったい何がダメだというだろう。ヤザキの目には、ごく普通の撮影風景にしか見えない。しかも使っているのは古臭いポラロイドのカメラのようだ。どう見ても写るのが難しいデジカメではない。


「なにがダメなんだよ。チャンスじゃんか。お前、テレビとか出たくねぇの?」

「やー。あれチェキ会っすよ」

「チェキ会? あー? なんだっけそれ」

「あれっす、インスタントカメラで写真撮ってーってやつで」

「それならいいじゃねぇか。インスタントなら映れるだろ?」

「無理に決まってんじゃないすか」

「はぁ? デジカメもダメでフィルムカメラもダメって、何なら写れるんだよ!」

 

 ヤザキのは語気は荒くなっていた。

 元々ヤザキはカメラについて詳しい男ではないし、写りたがりでもなかった。初めて写真に写ったのも、たまたま思い出の場所に帰ったときで、許可もなく撮られたことに怒りこそすれ、喜ぶことはなかった。


 そんなヤザキが写真に撮られることを喜ぶようになったのは、テレビに出ることができたからだった。ヤザキにとってテレビ出演はある種神聖なもので、自分のような一般人が出られる世界ではない、と信じていた。それが、たまたま名も知れぬ人間の写真に写り込んだことで、出られてしまったのだ。


 自分の写った写真がテレビに映っているのを知ったとき、ヤザキは泣き崩れんばかりに喜んだ。まさか自分のような奴がテレビに出られるとは、と思い、それはもう一度出たいという欲望を生んだ。それ以来、ヤザキは、いまと同じように大した知識もないままに、カメラの影を探して日々を過ごしていた。

 ヤザキは申し訳なさそうに頭を下げ続けるミナミの姿に、ため息をついた。


「悪ぃ。怒鳴ることなかったわ」

「いえ! そんなことねぇっす! ちっと調子乗ってました! すんません!」


 ミナミは頬に傷もつ自由業のように、仰々しく頭を下げ続けていた。

 ミナミは、ヤザキがカメラを探している頃に出会った男で、ヤザキよりもカメラについて詳しく、それこそ何度もテレビに出ていた男でもある。


 出会った当初のミナミは人に追われて困っており、それをヤザキが追い払ってやったことで親しくなった。ヤザキが助けてやったのは、写真に写る方法を教えてもらいたい、という打算的な理由による。

 しかし、ちょっと助けてやっただけだというのにミナミはいたく感激し、ヤザキをアニキと慕うようになってしまった。そうして打算から始まった先輩後輩という関係は、気づけば十年を超え、いまでは共に過ごすのが普通になっていた。

 ヤザキはいつまでも頭を下げ続ける律儀な後輩に、笑いかけた。


「もういいって。気にしてねぇし」

「すんません!」

「つかさ、なにがダメなのよ。フィルム?」

「や、あれイベントじゃないすか。多分、チェキ会ってやつなんすよ」

「何それ?」

「あー。えっと、アイドルのイベントで」

「アイドル!? あのナリで!?」


 ヤザキは、男たちが列をなしているさまで、何かのイベントなのだろうとは思っていた。しかし、女の十人並みの顔と安っぽい衣装は、ヤザキの知るアイドルとは似ても似つかないものだった。

 ヤザキは嘆息した。


「はー……時代は変わるねぇ」

「あ、はい。そっすね」

「なんだよ。お前、分かんのかよ?」

「や、その、続き、いいっすかね?」

「んあ? ……ああ! 悪ぃ。忘れてたわ。なんでダメなんだっけ?」

「や、まぁ、ヤザっさん知らないと思うんすけど、アイドル関係で写っても、放映権の関係とかメンドいことになって、テレビ出れないすよ。ヤザっさん写るの目的っつーより、テレビメインじゃないすか。それだと、ああいうんじゃ無理かなって」


 捲し立てるように語ったミナミに、ヤザキは素直に感心した。写真に写り込むことばかり考えていて、その後のテレビに出るために必要なことまでは、考えたことがなかった。


「っはー……。なるほどねぇ。良く知ってんねぇ、そんなこと」

「ヤザっさんが写りたいって言ってたから、ちょっと勉強したんすよ」


 ミナミは鼻の下を撫で、してやったりといった様子で口の端をあげた。

 嘘だな。

 ヤザキは、ミナミがその仕草をするときは大抵は嘘である、と知っていた。

 ミナミは無自覚なようであったが、鼻の下を撫でるのは緩んだ口元を隠したくなるためであり、隠すのはそれが後ろめたい笑いだからだ。


 もちろん、人によっては自分の容姿を気にして隠すということもあるが、ミナミはそういう男ではない。なにしろ外見でいえばヤザキも良く知る男性アイドルに似ており、しかも綺麗な姿のままだ。つまり、隠したいのは笑顔そのものではなく、その笑顔の裏にある感情ということになる。


 いまで言えば、ヤザキのために勉強した、ということばが感情の源泉となっている。おそらく褒めてほしいのだろう。恩人に対して情に厚い男に見せたい、というのもあるかもしれない。

 とはいえ、ミナミの人間としての小ささは、ヤザキにとっては救いでもある。


「まじか。悪いな」

「別に、ヤザっさんのためなら、楽勝っすよ」


 御しやすいのだ。

 適当に礼を言っておけば、その気になって低いレベルで喜んでくれる。

 ミナミの方が若いゆえに新しい知識にも詳しく、その気になればヤザキなどあっさり追い越してしまえるはずだ。そうならないのは、ヤザキに対する恩義から、ミナミは自分で自分の目標を低く見積もってくれているのである。


 それゆえに、ヤザキにとってミナミの小ささは、自分の矮小さを忘れさせてくれる防波堤でもあった。そのまま俺に憧れていてほしい、それがヤザキの願いでもある。

 ミナミのためにも、ヤザキ自身、器が大きいのだ、と見せる必要があった。


「やっぱ俺もお前みたいに勉強しないとダメかぁ」

「や、俺が勉強しますから、ヤザっさんはそのままでいっすよ!」


 ミナミは笑顔を浮かべ、胸を張ってみせていた。

 ちょろいな、こいつ。

 ヤザキは心中でそう呟き、写真に写る方法、そしてその先の大目標として、テレビに写る方法について頭を巡らせていった。


「あ! そういえばお前の友達って、なんとかセンサーに写れるって話じゃん」

「あー……マジマっすか?」

「名前なんていいよ。それ、だめなんか?」

「センサーに写っても写真に写らなきゃダメっすよ」

「ダメかぁ。誰か出れるやつ、知らねぇの?」


「噂なら一人知ってんすけど……」

「なんだよ! 知ってんじゃんか! どんな奴よ? デジカメ写れる!?」

「写れるんすけどぉ……」

「なんだよ、もったいぶんなよ」

「あいつ、地縛霊なんすよ」

「地縛かー! 地縛霊じゃダメだわ! あいつら動けないじゃん。教えてもらいたくても恨み強すぎて話になんねぇじゃん。地縛霊じゃダメだわー!」

「そっすよねぇ……」


 ヤザキとミナミは知らなかった。

 心霊写真として写り込むためには、地に縛られるほどの思いの強さがなければならないのだ。かつてヤザキが写真に写り込んだのも、自らが命を絶った場所に行き、思いを馳せていたからだった。そしてミナミがテレビに出ることが多かったのは、たった一度写った写真が霊能者の元に持ち込まれ、ヤザキが除霊者を追い払ったからだった。


 ヤザキとミナミは忘れていた。

 二人が立つ場所が、ヤザキとミナミが飛び降りたビルであり、十数年に渡って、毎日飛び降り続けていたことを、忘れていた。それゆえに二人は無為な会話を繰り返し、ここから動くこともなくなっていた。


 動けなくなった二人は、気づいていなかった。

 二人は互いに、この地に縛りつけあっていることに、気づいていなかった。

 今日も二人を見上げ、誰かがカメラのシャッターを切る。いつ誰が写真を撮っても、ビルの屋上の片隅には、並び立つ二人の男が写っていた。

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