Chapter.6『無償の愛を捧げ尽くした者達の決して聴こえることのない鎮魂歌』
あれから俺は、どれくらい戦っただろう。
パリ。モスクワ。香港。ムンバイ。アテネ……あらゆる場所で、何体ものイミューンを相手にして、俺はイデアクレインに乗ってここまで戦い抜いてきた。
俺は世界を何度も救ってきた。キミの命を、代償として。
勿論、葛藤がないわけではなかった。
どんなに俺が全人類の存亡のために戦ったところで、千鶴が死ぬという結末を変えることはできない。寧ろ、世界を守るために戦えば戦うほどに、千鶴の命は蝕まれていってしまうのだ。
守られる側の人間……千鶴の祈りによって救われた人々は、それを知ることもない。
英雄として讃えられることもなければ、見返りだってないのだ。そう思うと、俺としてと居た堪れなかった。
されど、それが千鶴の決断。
彼女が決めた、彼女自身の命の使い道。
この世界に生きる全ての者たちに捧ぐ、無償の愛なのだ。
千鶴だけが痛みを背負う選択。彼女がそれを望むのならば、俺も共に傷付くだけだ。
きっとこの戦いが終わった後。命を使い果たした千鶴は一人眠って、俺だけがその過去を過去として背負ったまま生き続けることになるだろう。二人だけが傷付く世界。それはまさしく、修羅の道だ。だが、今はそれでも構わないとさえ思えた。
彼女が俺を愛してくれている。それだけで俺はこの先、たとえ二人にとって過酷な未来が待ち受けているのをわかっていようとも、耐え忍ぶことが出来ると思えた。
そして、俺が初めてイミューンと戦ったあの日から、1週間が経った。
西暦2019年12月24日。
俺たち二人にとって、最初で最後のクリスマス・イヴ。
「やあ。今日も来たよ、千鶴」
部屋のドアを潜ると共に、俺はいつもの挨拶をする。返事はなかった。
この一週間の間に千鶴の病状は急激に悪化し、彼女はこれまでの個室の病室から集中治療室へと移されていた。なんでも彼女の抵抗力が日に日に弱まっているらしい。医師は原因がわからないと言っていたが、俺はそれを知っている。
俺は千鶴の側まで歩み寄ると、手近な椅子に腰掛け、彼女の髪をそっと撫でる。ベッドに寝かされた彼女はあらゆる生命維持装置に繋がれており、口や鼻にもチューブが差し込まれている。意識はもう3日前からない。呼吸すら、自力では出来ない状態だった。
「そうだ、千鶴。今日は君に見せたいものがあってね……」
そう言って、俺は持っていた手提げの紙袋からあるものを取り出す。
「じゃーん、千羽鶴! 本当は毎日1羽ずつの予定だったけど、千鶴に元気になって欲しくて、昨日徹夜で作ったんだ!」
俺が取り出したのは、折り紙の鶴がきっちり1000羽連なった千羽鶴だ。俗信とはいえ、病気快癒・長寿が叶うとされるそれは、まさしく俺から千鶴への祈りでもあった。
「へへっ、バカのひとつ覚えかもしれないけど、それでも大したもんだろ。いつも通りに吊るしておくか?」
千鶴に問いかける。彼女からの返事はない。
いつも通りならば病室の窓際に鶴を吊るしていたところだが、この集中治療室には残念ながら窓がなかったため、俺は代わりにベッドの柵に持って来た千羽鶴をかけた。
「そうそう、それからもう一つ。……はい、コレ」
言って、俺はカバンの中から綺麗にラッピングされた四角い箱を取り出した。丁寧に包装を解き、中身を開封する。
「いわゆる、クリスマスプレゼント……ってやつかな。今日ってば、もうイヴなわけだし。これ、俺が選んだにしては、結構洒落てるだろ?」
中に入っていたのは手頃なサイズのスノードームだ。ガラス玉の中、ラメパウダーの雪がしきりに降り積もるちっぽけな世界の中で、厚着をした少年と少女が手をつないで笑っている。
たった二人だけの小さな世界。それは寂しくも見えたが、それでも笑顔を絶やさない男女を見ると、自然と俺の心も緩んだ。
「なあ、千鶴。この二人、俺たちに似ていないか? 俺は、そう思ったよ」
スノードームを枕元に置きつつ、俺は尚も動かなくなった千鶴に語りかけ続ける。
「たとえ世界から他のものが全て消えてしまっても、千鶴さえ居てくれれば、俺は笑って生きていける。そんな気がするんだ。だから……」
駄目だ。今ここで、千鶴の前で泣いてはいけない。
そのように理性が必死に塞き止めようとしたが、溢れ出る感情の洪水を俺はついに抑えきることができなかった。
「ごめん、千鶴……。君と痛みを背負うって、どんなことにも耐え忍んでやるって、俺、決めたはずなのに……。涙が、止まらないんだ……」
俺の心身は既にボロボロだった。
千鶴の願いを叶えようと奮闘する俺と、そんな千鶴を見て無粋だとわかっていても彼女の身を案じてしまう俺。
“覚悟”と“本心”の戦いが、常に俺を追い詰めていたのだ。ただの中学三年生が背負うにはあまりにも重すぎると、自分でさえ思う。この葛藤がそのまま『世界の命運』へと直結しているのだから、尚更だ。
だが……いや、だからこそ、今更引き返すこともできなければ、迷っている時間もない。悩むことなど、もう十分にやったはずだ。
──心、イミューンが現れた。場所は……。
“妖精”の自分を呼ぶ声に、俺は身を翻す。齢十五歳の少年が向かう先は、まさしく修羅の道だ。
(俺は行くよ、千鶴。君の願いを叶えることが、俺の願いだから)
だから、安心して。
尻目に千鶴の姿を焼き付けて、俺は病室を出ようとした。
──ありがとう、心くん。
ドアを潜ろうとしたその時、背後から“声”が響いた。
風前の灯火のような、今にも消え入りそうな少女の声。
俺は、やっと涙を拭うことができた。
*
東京都 渋谷上空。
折角のクリスマス・イヴの昼過ぎだというのに、その空はどこまでも灰色だった。そんな曇り空に、動く黒点が幾つもある。数は百……いや、それ以上かもしれない。黒い物体の隊列は一斉に翼を広げ始め、鉛の雨のように東京のコンクリートジャングルへと降り注いだ。
──奴らめ、ついにこれほどの戦力を投入するまでに至ったか……。
跳躍してきたイデアクレインを地面に降り立たせると、“妖精”が忌々しげに吐き捨てた。
曇り空を仰ぎ見る。無数の“イミューン”が飛び交い、さらに上空には円盤型のマザーシップまでもが佇んでいる。しかし、俺や“妖精”が圧巻したのはそれらに対してではない。
円盤型よりもさらに高高度。成層圏さえも超えたその先に、真っ黒な巨大リングが見えた。直径にして100キロメートルはあるその輪状の建造物は、中心部で紅い電撃のようなものを放ちながら、こうしている間にも円盤型を生みだし続けている。
──あれが“
「ワープゲートってやつか……? つまり、あれさえ破壊してしまえば、この戦いも……」
問い質すと、“妖精”は毅然として応える。
──ああ。おそらく奴らとの戦いも終わる。これが最後の闘いになるだろう。
「そうか……」
本当なら、それを聞いた俺はもっと喜ぶべきなのだろう。だが、どうも手放しには喜べなかった。そんなことよりも、今は現状の把握のほうが気がかりである。
「“妖精”。イデアクレインは、あとどれだけ戦える……?」
『千鶴の命はあとどれくらい保つ』とは聞かなかった。そういう聞き方をしてしまうと、俺の信念も揺らいでしまうことが目に見えていたからだ。千鶴のためにも、俺は俺自身に対して非情であり続けなければならない。ただそう思っただけのことだ。
──フルパワーで稼働し続けて八分。そうでなくとも、二十分が限界といったところだろう。
「わかった。最短でケリをつける」
──いいのか心、それはつまり……。
“妖精”は言いかけたが、それ以上を言及することはなかった。その気遣いだけでも、俺の心は少しだけ救われた気がした。
「行くぞ、
俺の声に呼応するように、白き巨人は背中の両翼を広げる。“祈りのイデア”によって形造られたその翼は、これまでに悔しくも滅んでいってしまった全ての世界線に住まう人々や、この世界で生きる事を望む人々の、そして何より千鶴の願いが込められている。
そのような、神々しいまでに白銀の翼。背負う俺はそれを羽ばたかせ、刹那、イデアクレインが翔び立った。
曇り空の上空へと躍り出た鳥巨人に、“イミューン”の編隊が一斉に攻撃を開始する。浴びせられる無数の赤い光線をかわし、避けきれないものに対しては群青色の
俺の意思に応えるように、白き巨人は加速し、旋回し、急転する。さらなる大群が押し寄せてこようものなら、俺はイデアクレインの両翼から幾多ものホーミングレーザーの矢を放ち、それらを殲滅していった。
次々とイミューンを葬り去って行きながら、尚も上昇し続けていく。標的として狙うは、内部からイミューン数体を排出し続けている円盤型のマザーシップだ。
ある高度まで達したイデアクレインがその場で静止する。空中に佇んだままイデアクレインは両手を左右へ突き出すと、掌へと光を収束させていく。
(ありったけの力を……、
直後、イデアクレインの広げた両腕の掌から、群青色の光が一斉に溢れ出る。光の矢と形容するにはあまりにも大きく、太すぎるエネルギーの塊は、周りに群がっていたイミューンごと、両側のマザーシップを撃ち貫いていった。
「まだだ、イデアクレイン! このまま……ぶん回せ……ッ!!」
両手から膨大なビームを放つイデアクレインが、そのまま回転を始めた。光の鞭のようにうねるエネルギーは、周囲にいた敵たちを無慈悲に飲み込んでいく。
灰色の雲が切り裂かれ、頭上に漆黒の環が広がる。残す敵はあの巨大なリング……“
(正直、俺がいま背負っているものの重さなんて、把握しきれてない。持て余してるとさえ思う……)
左の拳を握り、右胸に当てる。空虚。
千鶴の持っていただけの想像力が、自分にはない。イデアクレインの翼には数多くの命や祈りが宿っていると言われたところで、実感が湧かない。というのが、俺の本音だった。
(でも、そんなことはどうだっていい。千鶴が世界に対して無償の愛を捧げると決めたのなら、俺は……)
右の拳を握り、左胸に当てる。生命の鼓動が、直に伝わって来る。
(君のために、俺の持てる全てを賭けるだけだ……ッ!!)
飛翔。残る力の全てを振り絞り、イデアクレインは再び上昇を開始した。雲を振り切り、オゾン層すらも突破し、白き鳥巨人は一瞬にして、暗闇の支配する宇宙へと到達する。
眼前に、リングの中心部……赤い
両の掌に持てる力の全てを集束させる。俺は球体に取り付くと同時に、その両方の拳を前方へと押し出した。
「ぐっ、があああ………………ッ!!」
イデアクレインが球体へと触れた瞬間、赤い棘が全身へと突き刺さった。痛覚が暴走し、俺自身の体にも鋭い痛みが駆け抜ける。
「が……はぐぁ…………ッ!」
こちらもバリアを展開し、迫り来る棘をなんとか相殺しようとする。しかし、全てを防ぎきることはできず、さらなる赤い棘が鳥巨人の身体を、そして俺の血肉を突き破っていった。
自身の死すらも想起させる、絶望的なまでの痛み。
されど、それを背負う覚悟など、とっくにできているのだ。
「くっ……! 千鶴ぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅッ!!」
もはや喋るだけの力すら残っていないはずの俺の体を、執念が突き動かす。必死に体勢を取り戻したイデアクレインは眼前の球体を引っ掴むと、両手でそれを取り押さえる。
「うおおおおおおおおおおおおおおおああああああああああああッッ!!」
文字通り、最後の力を振り絞って、両拳に全てを込める。
球体は必死に抵抗するも虚しく、やがてイデアクレインに押し潰された。
刹那、砕け散った球体を中心部として、見たこともないような真っ黒な光が広がっていく。
それは傷だらけのイデアクレインさえも一瞬にして飲み込み、そして俺の意識もまた、闇の中へと沈んでいった。
*
次に目覚めた時には、俺はまだイデアクレインの中にいるようだった。
傷口を貪るような風を感じる。眼下には空が広がっている。そこでようやく俺は、自分が今落下しているのだということに気付いた。
すかさず俺は逆さまのまま落ち続けているイデアクレインの体を起こさせようとイメージを送る。
が、駄目。翼を失った鳥巨人は、俺の意思に応えることなく、重力に従って落下を続けていた。もう飛行するだけの力も残っておらず、
(そうか。千鶴はもう……)
自分でも意外なほどに、俺はその事実をすんなりと受け入れることができた。思えば、“妖精”の声も先ほどから聞こえない。何もない空で、俺は独りだった。
そう、独り。
千鶴が自らの命を燃やして守られた世界。俺は千鶴を失った過去を背負ったまま、この世界で孤独に生きなければならないのだ。
それが千鶴の望んだ結末。そして、俺が選んだ道なのだ。
「……はは。見ろよ、千鶴。君と俺が守った世界だ」
落下する自分の頭上に広がるのは、都会の街並み。そこは、お世辞にも綺麗だとは言えない場所かもしれない。
だが、今日も人々はそこで暮らしている。今日だけではない、明日も明後日も、歩み続けることができるのだ。
人の数だけ、物語がある。それが終わることなく、この先も続いていく。
そう思うだけで、俺は誇らしい気持ちになれた。
「ん? あれは……」
視界の端に、こちらへと向かってくる飛行物体を捉える。イミューンではない。それらは自衛隊の戦闘機たちだった。
疲弊しきった俺には、それが天からの迎えの使者のようにさえ見えた。人の乗った機械が、近づいてきてくれている。そのことに俺は安心感を覚えると共に、意識が次第に遠のいていくのを感じた。
「千鶴……。終わったよ……」
この世界は……。
そこで、折原心の意識は途切れた。
報告
西暦2019年12月24日15時38分。
東京都渋谷区上空において、“未確認生命体β”を捕捉。
防衛部隊は戦闘機一個部隊を出撃させこれに対応、目標を撃墜した。
なお、“未確認生命体β”は何故か反撃することもなく、以前に報告があったバリアなどの類も用いることはなかったとのことだが、それらについての原因は不明である。
都会の喧騒、というやつだろうか。けたたましいまでの、人の足音、声、車の音、サイレンの音。
渋谷のスクランブル交差点。その真ん中に、傷だらけの俺は倒れていた。全身からは、決して少なくない量の血が流れている。
周囲には──おそらく鳥巨人のものであろう──無数の白い羽根が散らばっている。周りの人間にも、それは奇妙な光景に映っている事だろう。先ほどから行き交う人間たちは皆、俺の方を見てどよめいていた。
誰かが俺を抱え、顔を覗き込めながら必死に何かを喋っている。しかし、残念ながら今の俺にはうまく聞き取れなかった。
(……あ、雪)
眩しく輝く空から、白銀の光がゆったりと降り注ぐ。俺にはそれが、この世のどんなものよりも美しくみえた。まるで、千鶴がキャンバスに描いていたような、幻想的な光景。もしかしたら、ここはその世界への入り口なのかもしれない。
気付けば、俺は天空へと手を伸ばしていた。
手を伸ばせば、届きそうな気がしたのだ。
──二人だけの、ちっぽけな世界。
光の中から差し伸べられる手。
──でも、寂しくないよ。
俺はその手を、握り返す。
今日は、二人だけでパーティをしよう。
キミと話したいことが、まだたくさんある。
二人の愛を祝して、クリスマスソングを唄おう。
今年のクリスマス・イヴは、素敵な想い出になりそうだ。
インフェクテッド・イヴ 完
インフェクテッド・イヴ 東雲メメ @sinonome716
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