第19話 甘い吐息


 帰宅するともう十時を過ぎていた。

 逆算すると、俺はあの部屋にいた時間はそんなに長くないようだ。

 机上の携帯の振動音で我に返った。

 最初に聞こえたのは朝比奈さんの小さな溜息だった。

「キョンくん……。ごめんなさい」

「頼みがあるんですね?」

 今夜の俺はもう驚く脳内リソースがほとんど残っていない。

 夜に朝比奈さんから溜息コールがきたということは、そうなのだ。もう難題はやめて欲しいところだ。

「バレンタインのお返し……、用意できました?」

「ええ、一応は」

「それ、あたしのを涼宮さんにあげてもいいですか」

「は?」

「い、いえ、違います。あたしの用意したお菓子を涼宮さんにあげてくださいってことなの」

「さっぱりわかりませんが」

「あのう、あたしにもさっぱり」

 今度は俺のほうが溜息をついた。

 またしても大人の朝比奈さんだ。中途半端なギリギリ最小限の情報を禁則のかかった朝比奈さんに与えたんだろう。

「さっき、連絡というか指示があって……」

「こっちもかなり準備に手間をかけたんですがね」

 う、ちょっと嫌みな言い方になったか?

 しかし何の理由もなくこれまでの努力を無に帰するのは抵抗がある。朝比奈さん(大)は何を考えているんだろう。

 俺に何をさせようとしているのか、たまには理由を聞きたい。

「理由はわからないんですか。ひょっとしてそのお菓子に未来製沈静薬でも入ってるとか」

 なら時々、部室のお茶請けにでも使いたい。ハルヒが暇をもてあましているときなんかはとくにだ。

「ううん、違うの。あたしが指示されたのは、あたしが用意したのをキョン君にわたして、キョン君が涼宮さんに渡すときに二月のお礼ですって言えば、いいんじゃない……かな?」

 なんかものすごく自信なさげである。朝比奈さん(大)はどこまで具体的な指示をしたんだろう。

 携帯を握りしめ、朝比奈さんの息づかいを聞きながら俺は考える。

 俺はこれまでも朝比奈さん(大)の依頼を忠実に守ってきた。しかし、もし依頼を守らなかった場合どうなるのか、は全く不明だ。

 俺が依頼通りにしなかったら、あの人は俺を怒ったりするんだろうか。


 まあいい。だが古泉と一緒に作ったチョコは相当な量だ。校門前で配布するわけにも行かないから、SOS団の今後のおやつにでもするか。

「それで、そのう……、もう二月じゃないし、別にあたしはいいんですけど……、学校の目立つところであたしがキョン君にチョコ渡したら変ですよね」

 ぜっんぜんかまいませんとも。ハルヒの目が光っているところでは当然ダメですが。

「靴箱の中に入れておきます。キョン君、必ず……お願い」

「わかりましたが、それだけでいいんですか」

「あたしもこれ以上、なにも。いつも本当にごめんなさい」

 謝るのは大人の朝比奈さんのほうだろう。いつもながら自分イジメはやめたらどうだろうかと思うのだが。

 朝比奈さんの別れのおやすみなさいの声が醸し出す余韻に俺はしばらく浸ってから、布団をかぶって寝た。

 どうもなやましくていかん。あやしい夢を見なきゃいいが。

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