第12話 ライブ
日曜日になった。
俺は昨夜の長門との会話が頭にこびりついて、ライブどころではなかったが、約束は約束だ。
ずっと小さかった子供の頃、行くはずだった買い物や遊園地の予定が親の都合で吹き飛んで、涙ながらにあきらめたことは何度もある。
だから、妹にはそんな思いをさせたくないが、こっちも事情があるんだし……こうやって大人になっていくうちに、てめえ勝手な大人になって子供の頃のつらさなんか忘れていくんだろう。
ミヨキチが言っていたライブは、知名度の低い地方アイドルだったし、小規模な会場だと思っていたのだが、離れた町の野外ステージで開催されるらしい。
当然雨なら中止だが、残念ながら三月中旬にしては異様に暖かい。
ドアチャイムで我に返った俺がドアを開けるとミヨキチが笑顔を返した。
「おはようございます!」
並ぶと背丈はもう朝比奈さんより少し低いくらいだから、ちょっとどぎまぎする。玄関を飛び出した妹と並ぶとやはり年の離れた姉妹だと誰もが誤解することだろう。
その背後からミヨキチの後をつけていたとしか思えないタイミングで、古泉が顔を出した。
品のいいコットンシャツに灰色のライトウェイトジャケットと、大手衣料品店ウェブサイトから抜け出てきたような姿だった。足がすらりと伸びているから茶色のノータックチノパンがよく似合う。
「天候も良好で、よかったですね」
「お前一人か」
「僕だけではありません」
見れば音もなく黒塗りタクシーが一台止まっていて、ロマンスグレーの紳士が姿勢良く運転席に座り、白い手袋を着けてハンドルに乗せている。目が合うと笑顔で頭を下げた。
俺は古泉を脇に呼んで、小声で言った。
「子供連れは危険じゃないのか。昨日の話を忘れたわけじゃないだろ」
「ご心配なく。信頼度の高い情報筋からその点の保証は得ています」
「いや、俺の言っているのはだな、俺が目標なら、子供を巻き込む可能性があるんじゃないか」
「先日も説明したように、我々はある種の協定下にあるので、二次被害はないはずです」
俺が問い詰めようとしていると、早速タクシーに乗り込んでいた妹が言った。
「キョン君、はやくー」
「あの、いいんですか。会場までだと結構かかるんじゃ」
開いたタクシードアの前で、古泉をすまなそうに見上げたミヨキチは気遣いを忘れない。
「いえ、お構いなく。今日は僕も楽しみにしてるので、これくらいは全然」
古泉も礼儀を忘れずに応答すると、ミヨキチはぺこりと頭を下げて、タクシーに乗った。
なにが“今日は僕も”だ。おまえがドルヲタのはずがない。カメレオンのごとく周辺環境にすばやく適応するこいつのことだから、昨夜にアイドル読本かなんかで仕入れた知識を、いかにもそれらしく語り始めるに違いない。
結局、古泉は助手席に座り、子供二人と俺は後部に座った。
車が動く前にしなければならんことがある。
「新川さん、先月はどうもありがとうございました」
「なんの、あのかわいらしいお嬢さんはお元気ですかな」
「ええ、おかげさまで」
「それはよかったですな。一時はどうなることかと思いましたが」
新川さんは気さくに応えて車は動き出した。
車は特殊なサスがしこんであるのか、新川さんの運転のせいか知らないが走行は異様になめらかだった。
一瞬、これは車体重量があるせいで、余分な重量はたぶん防弾・対テロ系の装備が……、とか考えなくてもいいことが脳内で勝手に走り出す俺の横では、さっそく小学生二人組がきゃいきゃいと話の花を咲かせている。
この場違い感というか、命を狙われているはずの俺は一体ここで何をしているのか。古泉はなぜか余裕だ。
女の子たちの話題は例のグループに移ったらしい。
「中学生から、高校生くらいまでの集まりなんです。まだあまり有名じゃないんですけど」
「これからどんどん有名になるよ。きっと」
妹が横から口を出す。俺としては未成年を働かせて労働基準法に違反しないのか、ぐらいの感想しかない。まあ、ライブ当日に言う話題ではないだろう。
「たしか、市の観光大使にもなって、県外にまで出張するとか」
そらきた。やっぱり予習してやがったな。
ミヨキチは花が咲いたような笑顔を浮かべて言った。
「そうなんです。全員この町の出身なんですよね」
「あたしも参加できるかなぁ」
やめとけ、妹よ。ミヨキチならともかく、おまえはやめとけ。とまた夢をぶちこわすようなことを言いかける。
「歌やダンスのほかに町の歴史や地理、この町の名産など覚えなければならないそうです。勉強も大変みたいですね」
と、また予習知識をご披露しやがる古泉と、話し相手をまっすぐに見つめるミヨキチ、茶々を入れる妹、そしてなんとなくぶすりと黙り込んでいる俺を乗せてタクシーは薄緑色の春の市街をかろやかに抜け、郊外にある野外ステージに着いた。
「ここでお待ちしております」
と、新川氏がいった。
公園前の駐車場は半分ほど埋まっていた。地方テレビ局の中継車も来ている。
「いいんですか? タクシーの待機料金って高いんでしょう?」
「いえ、気にしなくていいですよ」
古泉はさわやかに優しい笑顔でミヨキチに答えた。む。気に障るぞ。
こいつの会話術というか、話題提供能力はハンパない。古泉は車中にいた三十分少々で、二人の少女の良き話し相手の地位を不動のものとしていた。なんだかな、だ。
会場はすでに巨大な演台がセットされ、周囲をとりかこむように結構な人が集まっている。演台の背後と左右にライブ用の大型スピーカーと照明装置がみえた。
「座席指定とかあんのか?」
「いえ、先着順のようですね」
最前列狙いで今にも走り出しそうな妹の手を押さえるのに苦労する。古泉の右手はミヨキチがしっかり握って、ちょっと緊張の面持ちである。
親子連れのほかにカメラをぶら下げた大きなお友達が数名――。
巨大な望遠レンズ付きのカメラをもった小太りの連中が結構な割合でいるからだろう。
開演時刻にまだ余裕があるせいか、前から三列目くらいの席に古泉と俺の間に妹とミヨキチ、という配置になった。
頭に浮かんだ疑念を古泉にただそうにも、あいだにいる妹とミヨキチはそわそわとステージのあちこちに視線を飛ばしている。
まもなく、開演となった。
が、観客が実に礼儀正しい。部分的に野太い声が混じるほかは声援もさわやかだ。歌の途中に声がけはないし、静かに聞いている。
地方アイドルユニットとはいえ、ダンスも本格的にレッスンを受けているらしい。歌声も年齢相応の華やかさがあっていいね。妹もミヨキチも夢中になっている。
と、俺も危うくそっち方面に足を踏み入れそうな雰囲気になりつつ、舞台に上がった女の子たちを眺めていた。ま、一人で来るところじゃないよな。
そのとき――。
突然、俺は既視感を覚えた。
舞台で踊ったり歌ったりしているグループの一人に見覚えがある、というか顔が似ているならまだしも、その子が踊っている姿をどこかで見たことがあるような気がするのだ。
一人だけメイクが濃いような気もするし、きれいに髪はセットしてはいるのだが強い癖毛なのがわかる。ダンスもグループの中ではダントツにうまい。色白のほっそりした手足が軽快に動いている。
そして……一瞬、確かに目が合った。
と、舞台はアクロバチックなアクションと歌にかわり、周囲の歓声が大きくなる。妹の声も混じっていた。
ミヨキチはとみると、舞台のアクションが絶妙な箇所では率直に驚いたり、胸をなで下ろしたりとまことに所作がかわいらしい。
見覚えのある子はそれから出てこなかったが、それからはあまり舞台を楽しめないまま、アンコールが終わるまで、俺は座っていた。
「ありがとうございました!」
会場を出てすぐの広場でミヨキチは髪を揺らして深くお辞儀をした。古泉にだ。
同伴したのは俺だろ。と言う気持ちをくみ取ったのか知らないが、続いて俺にお辞儀する。
「あっ」
妹が小さく声を上げて、指さすその方向には仮設のグッズショップがある。俺たちはかなり早く来たから、まだ設営中だったらしい。
妹のあとをミヨキチも小走りで後を追っていった。
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