第14話 凝固


「キョン」

「……ん?」

「あんた携帯を持ったまま、たっぷり一分はフリーズしてたわよ」

 答えに窮すとしかいいようがない。

 昼食が終わっていつもの面子による昼休みのお食事会が散会し、ハルヒが学食から戻ってきた、ところまでは覚えているのだが。

 教室内の通話は禁止なんだが携帯が震えた瞬間、無意識のうちに取っていたらしい。古泉からかと思ったのだ。しかしご当人からだとは。

 朝倉来襲をハルヒには伝える事は出来ない。

 なにしろ謎の転校なのだ。あのとき倦怠に傾いていたハルヒはこのときとばかりに過剰反応し、朝倉ミステリーを解決するためにマンション管理人の爺さんから事情聴取までしたのだ。そして……。

 俺の脳裏にあの踏切でのハルヒの一気に語った話や、その夜の悪夢が浮かび上がる。

 あの一連の流れのトリガーを引いたのが朝倉だったのか?

 だめだ。絶対にハルヒには話せない。導火線に火をつける事にもなりかねない。


「みせなさいよ!」

 思わず、ちょっと速すぎるスピードでポケットに入れてしまった。

 こんなときのハルヒのカンは尋常じゃないからな。部室ならともかく教室で投げ飛ばされるのはごめんだし、これを機に騒ぎ始めるのはもっとまずい。

「もしかして? あのポスターを見たって連絡じゃないの? つまり依頼なんでしょ。でも、あんたは関わりたくないんであたしから隠そうとしている。違う?」

 う、なんか話が妙な方向に走り始めている。ハルヒ的には俺が依頼を隠匿しているのは既定事実化しているらしい。

 ハルヒはガタッと音を立てて席を立ち、退避行動を取りつつある俺を制した。

 今日も退屈授業でダウナーだった午前中の様子はどこへやら、再び瞳に生気がみなぎっている。

 こうなったらどんないいわけも通用しないレベルの好奇心が顔に表れていた。

 くそ。無駄な抵抗と知りつつ俺は反撃を試みる。朝倉よりはましだ。

「こいつらはニセモンだから、捕まえろとか言ってたろうが。俺たちに依頼が来たわけじゃないだろ」

「依頼人はあたしの団に依頼しているのよ。たとえきっかけがニセのポスターだとしてもね。いい? あんたがやってんのは裏切り行為なのっ!」

 すでにハルヒの右手は俺のネクタイを固く握りしめており、開かれた左手は携帯を要求している。まずい。


「涼宮さん、これを渡してくれって頼まれたんだけど」

 ついさっきトイレに行ったはずの国木田が現れ、一枚の紙をハルヒに渡す。円環マークがちらりと見えた時点で俺はあのポスターだと気がつく。

「さっき長門さんと廊下であって、渡してくれって」

「有希が?」

 なぜだろう。見つけたんなら部室でハルヒに渡せばいいのに。

「正面玄関の掲示板に張ってあったんだって。でも、これを貼ったのは涼宮さんじゃないの?」

 ハルヒはわざわざ届けてくれた国木田に礼も言わず、じっと紙面を見て考え込んでいる。

 と、そのとき午後の始業を告げるチャイムが鳴って、国木田は特に気に障った様子もなく、自席に戻っていった。

 俺が席に着いた途端、背後の女が言った。

「これはあたしに対する挑戦だわ」

 話は別な方向にそれたが、こっちも穏やかならぬ展開になってきた。



 放課後になった。

 少しばかり傾いたのどかな陽が差し込む部室で、俺と古泉は碁盤を囲んでいた。

 部室に入ると何となく熱気がこもっていたので、少し窓を開けてある。グラウンドからは野球部の面々が放つかけ声が遠く聞こえている。

 SOS団三人娘はなぜか現れない。かわりになぜか喜緑江美里さんがいて、お茶を淹れている。

 ハルヒはホームルームが終わった途端どこかにすっ飛んでいき、二年の朝比奈さんは確か補講があるとか聞いた覚えもある。長門は何の用事かわからない。ハルヒは当然予測不能だ。

 で、喜緑江美里さんが何でここにいるのかというと、俺と古泉が今後の対策――と言っても実に乏しい案しかないのだが――を話していると、静かに部室に入室してきたのだ。

「涼宮さんに相談があるんです」

 と小さく言うものだから、俺たちはまさか廊下で待っていろとも言えず、座ってもらおうとしたのだが固辞して、喜緑さんはお湯を沸かし始めた。

 今日は朝比奈茶ならぬ喜緑茶になるらしい。

 彼女がいるせいか、メール関係の話はしたくない。この人の立ち位置がよくわからない。古泉もなぜかその話はしない。


 となると、目下の懸案事項と言えば、いよいよ明日に迫ったホワイト・デーだ。

「どうやって渡すかな」

 俺はもう凝った演出だのイベントはあきらめていた。

 ろくに考えもせずに俺はぱちりと盤上に石を置いた。まったくのヘボ碁だが、適度な会話をしながらには最適だ。勝ち負けにこだわらないならな。

「ホワイト・デーと言っても恋人同士のそれではなく、単なる儀礼的なものですよ。僕の場合は、そうですね……、”副団長より、団長へ尊敬を込めて”なんてどうですかね?」

「じゃ長門と、朝比奈さんには? 二人からももらっただろ」

「“副団長より、文芸部長へ”とでもカードに書きましょうか。朝比奈さんには”おいしいお茶をありがとうございます”とか」

 あほか。ロマンチックにやれとは言わないが、なんか慇懃無礼にすぎるだろ。意外とおまえも無粋なところがあるんだな。

「あなたより目立たないようにするためですよ。……冗談です」

 と言って古泉は破顔する。やれやれだ。

 会話と盤面に手詰まりを感じていたそのとき、ドアが勢いよく開いた。


 ドアの風圧とともに現れたハルヒは大股で先頭を切り、次に朝比奈さん、そして長門が音もなく入ってきた。三人とも手に大きな紙袋を持っている。

「なんだそれ」

「部費の残額をつかって買い物してきたの」

「それ文芸部費だろ」

「有希がいいって」

 長門が頷いて承諾の意を表明した。

「何を買ってきたんだ?」

「あたしがお茶を切らしたって涼宮さんに言ったら、三人で買い物に出かけるって……」

「そ。煎茶に番茶にハーブティー、ドクダミに、杜仲茶まで。紅茶はなんとよりどりみどり八種類もあるわよ」

 ハルヒは紙袋から箱を取り出し、長机にドサリと置いた。ゆうパック中型箱くらいの中にはお茶の包みやらアルミ包装の密封パックがぎっしり詰め込んであった。これだと全員が毎日浴びるほど飲んでも卒業まで持ちそうだ。しかも、まだ二箱もある。

「四月から新入生がくるでしょ? 我がSOS団の名声を聞きつけて、入団希望者が大挙してやってくるかもしれないじゃない? 候補生にお茶の一つもあげないとね」

「それと、あんたが忘れてなければ、あたしが送ったやつの三十倍くらいのお茶請けが明日のいまごろにはこの机に積み上がるわけだし、そのときにお茶を試飲するつもりなの。キョン、わかってるわね? 三十倍よ?」

 ちっ、まだ忘れていないと見える。

 ハルヒに釘を刺され、俺は溜息をつき、古泉はちょっとだけ肩をすくめた。

 ま、用意はできている。後はどうやって渡すか、だが。

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