第6話 まどろみの日
「よっ!」
肩への打撃で一瞬覚醒する。俺は北高への登坂が始まる少し前の横断歩道で信号待ちしていた。
打撃を放ったのは谷口だった。
「なにシケたツラしてんだよ。春だってぇのに」
「春だと自動的に喜びを表現しないといけないのかよ」
「キョン、目の下にクマができてるよ。よく寝てないみたいだね。ゲームでもしてたの?」
国木田が谷口に続いて俺の視界に入ってきた。
二人して俺をのぞき込むようにしてる。俺はかなりもっさり歩いていたらしい。これでも少し早めに出たはずなんだが。
「まあ、原因はお前の後ろのあの女だろ?」
「ひょっとしてホワイト・デーで涼宮さんになんか要求されてるの?」
いつもながら国木田は鋭い。普段はおっとりした表情ながらこいつは妙な観察眼がある。
「僕はもう用意したよ」
「えっ!」
谷口が大声で感嘆符を吐き、少し前を歩いていた女子二人が一瞬振り向いてなにごとかを呟き、また目をそらした。たぶん、キモいとか哀れとかそんな語彙を二人のあいだでご披露し合ったようだ。
三人の中でもらっていないのは谷口だけか。俺はちっともうれしくないが。
「国木田ぁ! お前、チョコもらったのか」
「義理だよ。義理義理。余ったからお情けでくれたんだよ。きっと。でもお返しはしないとね」
「誰だ、その奇特な女は!」
「ほかのクラスの子だよ」
そういえば、国木田が惚れたハレたの感情に身をまかせたのを見たことがない。
中学の時から何でもそつなくやってのける。そんな国木田にあいつも一目置いていたっけ。
「俺を差し置いてまさか国木田が、そうきたか」
「僕はちゃんとマシュマロを買ってきたよ」
「お返しはマシュマロって宇宙法則でもあんのかよ」
「そういうわけじゃないけどね。キョンは?」
ハルヒをびっくりさせるような案はなかなか思いつけないでいる。
もう国木田みたいにこだわりなく、くれたからお返しする程度の友チョコにお返しホワイト・チョコくらいの軽い流れでもいいような気がしてきた。
たとえ俺が返礼しなくてもハルヒが落胆はしないだろう。まあ、腹立ちまぎれになんか無理難題をふっかけてくるかもしれないが。
意外とニセポスターの件でホワイト・デーなんか忘れてるかもしれない。
そういえば、去年の文化祭で俺を酷使するのに忙しかったせいで、ハルヒは近年隆盛を極めるハロウィンをすっかり忘れていたのだ。ハルヒはしきりに残念がり……最終的に俺のせいにした。
だから、また新たな思いつきの電撃があいつの頭に走ったら、こんなつまらないイベントなんか忘れてしまう可能性だって十分ある。
俺が黙りこんだせいか、谷口はちっと舌打ちをし、それからはずっとバレンタインとホワイト・デーという商業主義的迷信についてケチをつけ続け、やがて話題は来月やってくる新入生の女子への期待感に飛んだところで、俺たちは正面玄関でシューロッカーに靴を投入していた。
バニースーツを着て校門まえでビラ配りをする女に羞恥を求めても無駄だろうし、無限に続くかと危惧された炎天下、俺たちを数百年にわたって引きずり回したやつに謝罪の意を求めるのも甲斐無きことではある。
まさかと思うが、横を歩くハルヒの表情は何かの見間違えでなければ、それら無縁だったはずの遺憾の意が表れている、と強弁してもいいかもしれない。
というのは授業中、ハルヒが俺に注意喚起を促す技、すなわちシャーペン突っつき攻撃をしたのだが、俺が熟睡の極みに沈んでいたせいで、二度、三度そして思わずペン先に力を込めすぎたおかげで俺は痛覚を絶叫に高効率で変換してしまい、授業が中断してしまった。
英文法の授業中だったが、英語の女教師はなぜかそのまま席を立ち教室を去った。
その後、すぐに職員室に呼ばれたのは言うまでもない。……ハルヒは呼ばないのかよ。
教室に戻るとハルヒは珍しく待っていた。
部室までの短い旅路ではあるが、今日は二人とも当番じゃなかったから、方向を同じくする俺とハルヒは旅の友ってわけで、話題は昨日の続きになった。背中の痛みは抜けてないし、まだ頭はゾンビだ。寝たはずなんだが。
教室を出た直後は黙ってそれらしい謝罪の欠片を少しばかり表情に乗せていたハルヒだが、渡り廊下の手前くらいで、すっかり元の調子に戻っていた。
「思い出した?」
「何をだ?」
「来週の、」
「まだ検討中だ。というか、強制はホワイト・デーの精神に反してないか」
「有希とみくるちゃんもほとんど寝ないで作ったのよ? あんたはその気持ちを踏みにじるわけ?」
強めの視線を飛ばしやがったので、俺も見つめ返すとぷいっと目をそらした。
ハルヒが自分の名を出さず、長門と朝比奈さんの名前だけを出すのはちょっとおかしかった。そう、あの短い一日だけのポニーテールと同じくらいには。
だから俺はこう答えた。
「もらって嬉しくなかったわけじゃないし、お返しはするさ」
ハルヒは何も言わずまっすぐ歩みを続けていて、こっちを振り向きもしなかった。
でも、ほんの少し、ハルヒの足取りは軽いように見えたのだ。
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