第9話 桑の森の恐怖!
「おおー、速いです! すごいですよメダカ号さん!」
「ふっふーん!」
「待て、待てーいっ!」
旅人とミノスケを背に乗せて、メダカ号がぐんぐんと上流に泳いでいく。
少し後ろをカワセミが凄まじいバタフライで追いかけてきているが、その差は一向に縮まらない。
(気持ち良いな……)
視界の先には抜けるような青空と煌めく水平線。太陽はさんさんと降り注ぎ、メダカ号が撥ねた水しぶきに小さな虹を作る。
旅人は長く患わされてきた頭の中のもやもやがすっと晴れていくような、とても爽快な気分になっていた。
(そうだ、向こう岸は……)
旅人がふと対岸に目を向けると、水平線の彼方に微かに蜃気楼のようなものが見えた。
よくよく目を凝らせば、それは灰色のビル群のようにも見える。
「旅人さん。向こうは聖域のお外ですよ? あまりじーっと見ていると吸い込まれてしまうのです」
「そうなのか……」
ミノスケに諭されても、旅人の目は対岸を向いたままだった。
その先には旅人のかつて暮らしていた世界があるのかもしれない。
未練などあるはずもないのだが、その時の旅人はなぜだか目を離す事ができなかった。
「そろそろ到着するよーっ!」
メダカ号の声に旅人がようやく視線を前方に向けると、川の一角を巨大な影が覆っていた。
岸から伸び出た無数の木の枝が、絡まり合いながら川の上空に広がっているのである。
「あれが桑の森……?」
「はいです! 桑の葉っぱさんが食べ放題なのですよっ!」
岸辺の奥は先に行くほど薄暗い。密集した木の枝が日光を遮っているためだ。
そして、その枝を辿った先にはたった一本の桑の巨木が静かに佇んでいるのである。
◆
「こっちですよ! カイコさんたちは、桑の木さんのお側で暮らしているのです」
「君は何にでもさん付けするんね……」
カワセミが呆れ顔でミノスケに言う。
川でメダカ号と別れた一行は桑の森へと足を踏み入れていた。
桑の葉が日差しを遮っているため、辺りは苔むしていて薄暗い。
どこか不気味な雰囲気のする場所だった。
(誰かに見られているような気がするぞ……)
旅人は周囲をキョロキョロと見回しながら歩く。
「──ミノスケはお行儀が良いのです。ミノスケにお名前を付けて下さったお婆さんもそうおっしゃっていたのですよ」
「はぁ、それは良かったね。……ん? どうたんだい? 旅人君」
「うーん。どうもさっきから誰かに見られている気がして……」
旅人はカワセミと一緒になって周囲を見回すが、やはり何も見つからない。それに日差しが届かず草木がほとんど育っていないため、周囲には身を潜めるような場所もなかった。
「誰もいないよ? きっと気のせいじゃないさっ! もし何か出てきても私がコテンパンにしてあげるから、旅人君は安心していたまえ! シュッ、シュッ! カワセミパーンチッ! フフ、フハハハハッ! てい、ていっ!」
(全く安心できないな……)
一人でシャドーボクシングをして喜んでいるカワセミを見て、旅人はますます不安になってくる。
そんな旅人たちの頭上では、桑の葉に隠れて、百を超える円らな瞳が様子を伺っていたのである。
「さあ、見えてきたですよっ! あの辺です! あの辺がカイコさんたちのお家なのです!」
「これが……」
暗がりの中、巨大な桑の木がどっしりと佇んでいる。
大地を掴むようにがっしりと張り出した根はまるでダムの配管のように分厚く、樹皮に連なるささくれは錆びた鉄板のように重厚だ。
苔むした大地に佇むその様は、時の彼方に忘れ去られた巨大要塞のようである。
(すごい……)
この木は一体どれ程の時を過ごしてきたのだろう。
心震える思いで旅人は見つめていた。
「──カイコさーん! ミノスケですっ! ミノスケが来たですよーっ! カイコさーんっ!」
ミノスケが呼び声に応えるように頭上で桑の葉がわさわさと揺れ始めた。そして、そこから白いイモムシたちが顔を出す。
「「う、うわあああーっ!」」
旅人とカワセミは同時に悲鳴をあげた。
何せそのイモムシたちの数たるや凄まじく、頭上を真っ白に染めあげている程だ。
おまけにその大きさも尋常ではない。体長1メートルを超える巨大イモムシたちである。
そして、群がるイモムシたちの中から、髪も肌も着ている服まで真っ白な一人の少女が飛び出した。
細められた瞳だけがミノスケのように真っ黒である。
「わーいっ! ミノスケちゃーん! いらっしゃーいっ!」
「こんにちわですよ、カイコさん! わーい、わーいっ!」
ミノスケとカイコは跳び跳ねて喜び合う。
何やら楽しげなその様子に釣られたのか、白いイモムシたちもポトリ、ポトリと落ちてきた。
「「ひゃあっ! うひゃあああーっ!」」
旅人とカワセミは抱き合って悲鳴をあげた。
その頭の上に「混ぜて、混ぜて」とばかりに何匹ものイモムシたちが積み重なっていく。
ミノスケとカイコは喜び合い、旅人とカワセミは悲鳴をあげる。
そして、頭上からイモムシたちが楽しげな様子で降り積もる。
普段は静けさが支配する桑の森に、その日はいつになく賑やかな声が響いていた。
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