第4話 葉っぱと樹液とカブトムシ。

 旅人はミノスケに手を引かれ、森の奥へと進んで行く。


 恐ろしく巨大なこの森では植物だけでなく、時折姿を見せる生き物たちも巨大な姿をしていた。


 電信柱のようなペンペン草の上では、人の子ほどもありそうなリスが昼寝をしている。

 頭上を覆う影を目で追えば、熊のようなムササビが優雅に旋回していくところだった。


 旅人はそれらにいちいち驚愕しつつも、ミノスケの後に着いて行く。


(これは、本当に現実なんだろうか……)


 人の世の常識がまるで当てはまらないような場所である。

 旅人は夢でも見ているのかと微かに思案するが、さすがにそのくらいの判別はつく。


 しかし、奇妙だったのは何も周りの景色ばかりではない。旅人自身も、なぜか昨日までとは比較にならないほど身軽になっていたのである。


(重力が少ないのかもしれないぞ……)


 試しにミノスケに手を離してもらい、垂直飛びをしてみると、高所の苦手な旅人は軽く失神しそうになってしまった。以来、ミノスケの手をしっりと握っている。


 それでも旅人はこの状況をどこか楽しく感じ始めていた。


「……不思議な場所だね」


「はいです。この辺は葉っぱさんが格別に美味しいのです」


 ミノスケは嬉しそうに足を止めると、とんちんかんな返事を返した。そして徐に近くの葉っぱを毟り取り、もぐもぐと口に頬張り始める。


「……」


 唖然とする旅人に、ミノスケは何を勘違いしたのか葉っぱを一枚を差し出した。


「たびびろふぁんろ、むぐっ。お一つどうぞです」


「……そうくるか」


 旅人は受け取った葉っぱをまじまじと見つめる。

 人の頭ほどもありそうな大きな葉っぱだ。表面が飴細工のようにつるつるしていて意外と食べられそうになくもない。

 ちらりとミノスケを見れば、実に美味そうに食べている。


(そういえば、しばらく何も食べていない……)


 ふいに空腹感を覚えた旅人は、一口くらいならばと試しにかじってみる。


「苦っ……! あれ? でも意外と食べれそうだっ!?」


 レンコンのようなしゃきしゃきとした歯ごたえで食感は決して悪くない。

 臭みもなく、口や喉にスジが残る事もなかった。そして自然と体内に溶け込んでいき、じんわりと力がわき上がる。


「このちょっと苦いのが通好みの味なのですよ。旅人さんにもいずれ分かる日が来るのです」


「分かりたくないなあ……」


 旅人は葉っぱを眺めてしばし思い悩むも残さず食べる事にした。


 そこから先の道中は大きなヨモギやらミツバやらを見つけては、ミノスケのうんちくと共に文字通りの道草を食べながら、旅人は進んで行った。





「いよいよ決戦の時なのです!」


 葉っぱの食べ過ぎで旅人のお腹がたぷたぷし始めた頃、ミノスケが前方を指差してそう言った。


 ミノスケが指し示す先には立派なクヌギの大樹が佇んでいる。


 旅人のちょうど頭くらいの高さの所からオレンジ色のぶよぶよした樹液が垂れており、そこにはこれまた大きなカブトムシが張り付いていた。


「でっか……!」


 鋼のように強靭な黒くて分厚い外骨格には、茶色く変色した無数の細かな傷がある。幾多の激戦を潜り抜けてきたであろうその勇姿は、昆虫の身でありながら歴戦の勇士を彷彿とさせる。


「……金剛丸さんです。これまで数多の虫さんを倒してきた古強者さんなのですよ」


「確かに強そうだな……」


 旅人がごくりと唾を飲むと、ミノスケも神妙に頷き返す。そして旅人の背をぐいぐいと押し始める。


「はいですよ。ではどうぞなのです旅人さん。存分に捕まえてくるのです」


「えっ? ちょっ、待った──!」


 意外と力の強かったミノスケにあっさり押し出された旅人の目の前では、金剛丸がさして警戒した様子もなく悠然と樹液を吸っている。


(近くで見ると本当にすごい迫力だ……)


 まるで戦車の大砲のような巨大な角先まで含めると、全長160センチメートルはあるだろう。

 角の根本の頭部には二つの黒い目玉があり、知性すら感じさせる眼差しを旅人に向けている。


「や、やあ。どうも……」


 旅人が一先ず挨拶してみると、金剛丸は関節をギチギチと鳴らした。まるで「何か用か?」とでも問うているかのようだった。


「さあ、今です旅人さん! 今こそ旅人さんの、悪の人間さんパワーを見せてあげるのです!」


 ミノスケはいつの間にか近くの草むらに身を隠し、顔だけを覗かせて応援している。


「そんなものないから……」


 ぼやきながらも旅人は、金剛丸の背中にそっと手を伸ばした。

 漆黒の重金属で出来ているかのような巨大カブトムシ。それは男なら誰もが心惹かれるであろう浪漫に溢れた存在である。


(す、すごい……)

 

 まるで巨大な岩石か、或いは鉄塊にでも触れているような感触だった。

 試しに軽く引っ張ってみるも、強靭な鍵爪が大クヌギにがっちりと食い込んでいて微動だにすらしなかった。


「おおー、さすが旅人さんです! もう一押しなのですよ! 金剛丸さんはもはや虫の息なのです!」


「どこがだよ……って、まあ虫ではあるのか?」


 旅人はぼやきながらも金剛丸の両脇を掴むと、木に足をかけてぶら下がってみる。


「ほら無理だよ。ぴくりとも――って、うわっ!!」


 金剛丸は旅人が煩わしかったのか、体を揺すって振り落とすと、そのままブオォォーンと凄まじい羽音を響かせて空の彼方に飛び去っていった。


「わーいわーい! やったのですよ旅人さん! 旅人さんの大勝利です! これで樹液さん採り放題なのですよ!」


 ミノスケは尻餅をついた旅人の周りを嬉しそうに跳ね回ると、大クヌギの樹液に飛びついた。


「それが欲しかったのか……」


 旅人が腰をさすっている間にも、ミノスケはバスケットボールほどの大きさの樹液酵母の塊を三つほど抱えて戻ってくる。


「さあ、お召し上がれですよ旅人さん。栄養不足の旅人さんにはぴったりなのです。残さず食べるのですよ」


 ミノスケの差し出すオレンジ色の塊は、ぶよぶよしていて、それでいてなぜか脈打つように発光している。


「なんか、グロいな……」


「さあ、遠慮はご無用ですよ旅人さん。どんどん食べて、どんどん大きくなるのです!」


 ミノスケは時折見せる押しの強さで旅人の顔に樹液酵母をぐいぐいと押し付けてくる。


「──分かった、分かったから!」


 旅人は恐る恐る樹液酵母を口にした。


「……まあ、食べられなくはないけど」


 ねちゃねちゃしているが、上品な甘味と酸味で決して味は悪くない。栄養価も高いのか体中に力がみなぎる気さえする。


(でも、なんで光ってるんだ……?)


 旅人はやはりその不気味な見た目に馴染めずに、残りは全てミノスケに押し返した。


「いいですか、旅人さん。好き嫌いばかりしていると、大きくなれないのですよ?」


 ミノスケが母親のような小言を口にしながら、小さな体でむしゃむしゃと樹液酵母を頬張っている。


「そうだなあ……」


 旅人は金剛丸の飛んでいった空を見上げていた。


 茜色に染まり始めた西の空には、一本の白い軌跡──飛行機雲が延びている。


(あれってまさか、金剛丸じゃないよな……)

 

 旅人は飛行機雲の先に、金剛丸の姿が微かに見えた気がした。


 旅人と金剛丸。

 後にこの森の命運を大きく左右する事になる二つの存在が、その日初めて出会ったのである。

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