第11話 願い事見つけた。

「すごい……! 本当に葉っぱで出来ているみたいだ」


 カイコに手招きされて、桑の木の陰へとやって来た旅人の前には見事な仕立ての着流しが吊るされていた。

 

「どうかな? 気に入ってくれたっ!?」


「いや、すごいとは思うけど、こんな高価なものを貰えないよ……」


 深いよもぎ色をした着流しには、全身に淡い金色の葉脈のような刺繍が施されている。

 決して派手ではなく、落ち着いた仕上がりではあるのだが、旅人にはあまりにも不釣り合いな代物と言えた。


「高価──!? 何その斬新な誉め言葉っ! ちょっとよく分からないけど旅人さんのために頑張って作ったものだから受け取ってくれないと私もイモちゃんたちも困っちゃうよ! それに、ほら見て、この葉脈のところなんてすっごい苦労したんだよ? これはね、葉脈骨格カイコフレームって言ってね……」


 カイコが嬉々として着流しの機能を説明する。


 なんでもこの着流しは生きており、水と光さえあれば多少傷んでもすぐ元通りになるらしい。

 更にはこの着流しから真の着用者として認められれば、ふんだんに蓄えた光合成エネルギーを意のままに操る事すらできるという。


(なんだそれ……)


 旅人には何の事やらさっぱり分からない。

 ただ、その着流しは人の世で旅人が感じた事のない暖かみに溢れたものだった。


「ねっ、ねっ! すごいでしょっ!? だから貰ってちょうだいお願いよっ!」


 なぜか旅人にカイコが手を合わせてお願いする。

 周囲ではイモちゃんたちも同じように胸の前でちんまりと手を合わせていた。


(なんでこっちがお願いされてるんだろう……?)


 旅人は不思議に思う。


 カイコやイモちゃんたちだけでなく、ミノスケやカワセミ。それにメダカ号だってそうだ。

 この地の住人たちはなぜか旅人に良くしてくれる。


 何か裏でもあるのではと旅人は一瞬愚かな事を考えるが、頭を振ってすぐに打ち消した。

 どこか楽しんでいるようにも見える彼女らだが、そこに悪意や打算がない事だけは、はっきりと理解できていたからだ。


(そうか。そういう事か……)


 そして旅人はようやく理解する。

 自分が困っているように周りから見えていた事を。そして、ただそれだけの事だった事を。


 困っている人に手を差し伸べるのに理由など必要ない。

 金銭でほぼ全てが決まる人の世で暮らしてきた旅人には、それがとても尊い事のように思えた。


「……ありがとう。大切にするよ」


 旅人が礼を告げると、カイコたちも嬉しそうに微笑んでいた。





 星の明かりが静かに照らす夜の川。旅人を乗せた巨大な笹舟がゆっくりと下っていく。


「なんだか、頂いてしまってばかりだな……」


 旅人は呟くと、リュックサックほどの大きさがある瓢箪ヒョウタンに口を付ける。

 爽やかな酸味と共に胸の奥からじんわりと暖かいものが広がっていく。


 カイコが別れ際に渡してくれたその瓢箪には、たっぷりと桑の実のリキュールが入っていた。

 かなりの重量があるはずなのだが、葉っぱの着流しを着た今の旅人には不思議と軽々と持ち上げる事ができた。


 船首に目を向ければ、船頭を勤めるカワセミも同じような瓢箪を抱えている。

 酒好きの彼女も旅人と同じものをカイコたちから送られていたのである。


 そして、ミノスケはと言えば、リキュールの代わりに桑の葉がたくさん詰まった葉っぱの風呂敷を貰っていた。

 今はその陰に隠れるように、何やらごそごそと作業している。

 

 賑やかな道中とは違い、祭りの後のような、とても静かな帰路だった。


「──できたのですっ!」


 静寂の中、ミノスケがふいに声をあげた。


「何が?」


 旅人が訊ねるとミノスケは「どうぞですよ」と言って、藁で編んだ草履を差し出した。


 見れば身に着けていた蓑の藁がまたいくらか減っている。


「自分で履きなよ……」


 旅人は着流しに古びたスニーカーという奇抜な格好をしていたが、それでも旅人の部屋に藁を敷いてしまって以来、裸足で過ごしているミノスケよりはまともな格好と言える。


「おおー、真っ黒ですよ」


 旅人に指摘されてようやくその事に気付いたミノスケは、汚れた足の裏をぱっぱっと手で払う。

 それからにっこりと微笑んだ。


「旅人さんとお揃いさんにするのですよ。ミノスケはちゃんと考えているのです」


 ミノスケはそう言って旅人の前に草履を置くと、ごそごそと第二の草履作りに取り掛かる。


「そうか。忘れてた訳じゃないのか。ありがとう……」


「はいです。ミノスケはこう見えてしっかり者さんなのですよ」


 旅人はすっかりボロボロになっていたスニーカーと靴下を脱ぐと、ミノスケがくれた草履に履き替える。


 走っても脱げないように足首に巻きつけるストラップが付いたとても履き心地の良い草履だ。


「──今夜は星が綺麗だね」


 いつになく口数の少ないカワセミが久しぶりに口を開いた。

 もしかすると桑の森での失態を恥じているかも知れない。


「ああ、本当だ……」


 旅人が視線を上げると、無限に広がる星空があった。


 自分の居場所さえ分からなくなってしまいそうな暗闇の中に、星だけが静かに輝いている。


「……」


 手を伸ばせばまるで届きそうでいて、それでも永久に手の届く事のないその星空を、旅人はただ無心で見つめた。


「むむぅ……?」


 ミノスケは草履作りを中断して旅人の顔をじっと見つめた。

 そして、ぶしっと藁を毟り取ると、旅人の頬を拭う。


「うわっ! 何を――!」


 ──するんだ。と言い掛けて旅人は、自分がなぜか涙を流している事に気付いた。


(な、なんで泣いてるんだよっ……!?)


 涙の訳は旅人自身にも分からなかった。

 だけど、その事が無性に恥ずかしくて、旅人は着流しの袖で顔を乱暴に拭うと、思い出したようにカワセミを見た。


 恐らくカワセミも気付いていたのだろう。それでも彼女は何も言わずに空を見上げたままだった。


「……」


 旅人は自分の藁で涙を拭いてくれたミノスケと、ただ気付かぬ素振りをしてくれたカワセミに、胸の奥が暖かくなるのを感じた。


「なんでもないよ、大丈夫だから」


 旅人はミノスケの頭に手を置くと、二人に向かってそう告げた。


(いつか、お返ししなくちゃな……)


 旅人は、この地で貰った想いにいつか報いる事ができるようにと、星空を見上げて小さく祈った。


 無限に広がる星空では旅人たちを見守るように、夏の大三角形が優しく輝いている。

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永久の森の旅人 ~眠れない夜の書~ fin @kizibato

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