第7話 新たなる日々の始まり。

「夢じゃ、なかったんだ……」


 差し込む朝日に目覚めた旅人は、どこかほっとした気持ちで天井を見つめていた。


 人の手の加わっていない木の洞の天井は形こそ歪だったが、不思議な暖かみが感じられる。


 昨夜は暗くて気付かなかった事なのだが、壁には大きな横穴が空いていて、そこが中二階のようになっていた。


「──へっ!?」


 そして、そこにはなぜか黒髪の少女の姿があった。旅人の位置からは表情こそ見えないが、背中のおさげが楽しそうに揺れている。


「……人間さんはこういう手の込んだものがお好きなのですよ。むぅ、確かに美味しそうですね……じゅるり。──あ、ちょっと付いてしまったです。まあ、これも隠し味という事なのです」


「お、おい、ミノスケ……」


「あ、お目覚めですね旅人さん! おはようございますですよっ!」


「うん。おはようございます……って、そんな所で何してるんだっ!?」 

 

「おおー、さすがは食いしん坊さんの旅人さんです! お察しの通りなのですよ! ミノスケは朝ごはんを作りに来たのです! えへんっ!」


「いや、全然察してない……」


 ミノスケがぴょこんと寝床に飛び降りると、その拍子に抱えていた謎の球体がころころと転がり落ちる。


「なんだこれ……?」


 旅人は足元まで転がってきたそれを一つ手に取ってみる。

 ずっしりとした重量感。まるで油粘土で作ったソフトボールのようである。


「ふふふっ! 油断も好きもないのです! ミノスケが旅人さんのために端正込めて作ったのですよ! さあ、たんとお召し上がれです!」


(食べ物なのか、これ……?)


 旅人がおずおずとミノスケを見れば、キラキラと眩しいほどに黒い瞳を輝かせている。


「い、いただきます……」


 表面は弾力があって少し固かったが、噛んでみれば口の中で優しく溶けていく。


「意外に美味いっ!!」


「──わーい、わーいっ! やったです! それはですね、特別美味しい葉っぱさんとドングリさんを、じゅるっ。なんと大クヌギさんの樹液さんでですね……じゅるるっ。つまり、とーっても美味しいのですっ!」


 ミノスケはよだれが垂れてきて途中で説明を諦めた。


「……ミノスケも食べれば?」


 寝床にはまだ二つも謎の球体が転がっている。


「いえいえっ! これは旅人さんのために作ったのですよ! 全部食べてほしいのです……じゅるり」


「これ一個で限界だよ」 


「むっ! なんと今日の旅人さんは小食さんです! これは大変、大変です! もったいないおばけさんが出るのですよ! それでは仕方なくミノスケもいただくです!」


 ミノスケはそう言って謎の球体を拾うと、旅人の前にちょこんと座って食べ始める。


「むぐっ! これは本当に美味しいのですよ! ミノスケは天才料理人さんだったのですね!?」


「ハハッ、それを言うなら自画自賛だろ?」


「はて? ちょっとよく分からないです。ジガジさんとはどなたなのですか? ミノスケにも分かるようにお話してほしいです」


「あ、いや、なんでもない……」


 ずっしりとした質量で、旅人が朝から食べるには少し重かったが、それでも残さず食べる事にした。


「──おやっ? 出遅れてしまったようだね」


 洞の入り口からカワセミが顔を覗かせる。肩にはツタで編んだ大きな網を担いでいた。


「あっ、カワセミさん。水草さんを取ってきたのですか?」


「いや、木の実を集めてきたんだよ。旅人君にはこっちの方が良いかと思ってね」


 カワセミはそう言って洞の中へと網を引っ張り込んだ。中には巨大なクルミやラグビーボールのようなドングリがごろごろ入っている。


「木の実ならミノスケにも採れるのですよ? カワセミさんは本当にガッカリさんなのです……」


「なっ!? 私はガッカリさんなどではないぞ! せっかくだから旅人君も誘って川に出かけようと思ったんだ! 君は知らないだろうけどね、人間は水浴びが大好きな生き物なんだ! 無知なやつめっ! ハハッ! 虫だけに無知なやつっ! アハハハハッ!」


(この二人、喧嘩ばかりしてよく疲れないなあ……)


 争い事の苦手な旅人はそんな事を考えるながら、二人の様子を眺める。


「むぅ。カワセミさんはデリカシーさんまでガッカリさんです。旅人さんは大のお風呂嫌いさんなのですよ?」


「アハハッ! 何を言うかと思えば、この旅人君のどこに風呂嫌いの要素が──あっ! 本当だ!」


「え、何……?」 


 旅人は服の臭いを嗅いでみる。


(ちょっと匂うかな……)


 旅人は町を出て以来、風呂にも入っていないし、洗濯もしていなかった。

 そして、せっかくの機会なので川へと向かう事にするのである。 





 旅人の新居から小一時間ほど歩いたところで目当ての場所にたどり着いた。

 森の中とは違って草木は少なく、代わりに大きな丸い石がごろごろと転がっている。


「これって……」


 そして積み重なる石の先には、キラキラと初夏の日差しを反射させる真っ青な水面が見渡す限りに広がっていた。


 カワセミは川と言っていたのだが、向こう岸らしいものは一切見当たらない。

 煌めく水平線の向こうからは巨人の手のひらような入道雲がもくもくと立ち昇ってきている。


「本当に川なのか……?」


「はいです。お水さん飲み放題ですよ」


「そっか……」


 呆然とする旅人の手を引き、ミノスケは川辺の石に座り込む。


(確かに流れてるみたいだ……)


 圧倒的な量の水は静かに流れていっている。大河と呼んでもまだ差し支えのある、海のような川だった。


「おおーいっ! 旅人くーん! 君もおいでよーっ!」 


 到着するなり川に飛び込んだカワセミが元気に手を振っている。


 水辺が大好きな彼女は、川の上を忙しく飛び駆っては水中深くに潜っていき、また気持ち良さそうに水上に飛び出してくる。


「ミノスケはここで待っているのです。旅人さんは元気に遊んでくるですよ」


「うん……じゃあそうするよ」


 旅人も川に飛び込むと、早速衣服を脱いで洗い始めた。

 川の水はとても冷たかったが、照りつける初夏の日差しが心地良い。


(川から見ても水平線って言うのかな……?)

 

 旅人はじゃぶじゃぶと服を洗いながら、ふとそんな事を考える。

 

 カワセミは奇声をあげながら水上を飛び回り、ミノスケは石べりでぱしゃぱしゃと水を撥ねて遊んでいた。


 旅人はそのどこか非現実的な光景に、ふいに寂しさがこみ上げてくるのを感じていた。


(こんな所で何しているんだろう……)


 旅人は足元の川の流れにじっと視線を落とすが、雄大な川の流れは旅人に何も語りかけてはくれなかった。


「ヒャッホーゥ! 旅人君見て、見てっ! 私の華麗なる飛び込み──おわあッ!?」


「あんぐっ!」


 旅人のすぐ側にカワセミが飛び込もうとした瞬間、水面が大きく盛り上がり、そこから鮮やかなオレンジ色の巨大魚が跳び跳ねた。


(な、なんだッ!?)


 そして、キラキラと眩い水しぶきを跳ねかせながら、カワセミを頭からぱくりと食べてしまう。


「はもはも……」


「──むぅー! むぅー!」


 巨大魚の口の端でカワセミの足の先がバタバタと足掻いている。


「な、何て事が……」


 一瞬にして惨劇の舞台となってしまった川の中、旅人はおずおずと後退る。


「はもはもはも……るええっ!? きみはらあれ?」


「な、なんか喋ってる……」


「──ぶぺぇっ! まっずーっ!」

 

 巨大魚はそう言ってカワセミを吐き出した。

 その勢いたるや凄まじく。カワセミは水切り石のように川面を何度も跳ねながら川辺の石に激突した。


「──ギャフン!」


「わわわっ! 酷いのですよカワセミさん! ミノスケまで水びたしさんなのですよっ!」


 一先ずカワセミは無事なようで、ミノスケの抗議の声が旅人にも聞こえてきた。


「ギラギラしたのが飛んでると、ついつい食い付いちゃうとか思わない?」


「とかって言われても……いや、思わないけど……」


「じゃあさ、じゃあさ。今のって逆キャッチ&リリースじゃん! とかって思わない?」


「いや、どうだろう……」


「そっか、そっかーっ。あ、ところで君はだれ? 僕はメダカ号だよ」

 

「メダカ、なのか……」


(またヘンなのが出てきたな……)


 どこか愛嬌のある声で旅人に語りかけるメダカ号は、全長5メートルを悠に超える巨体であったが、確かにその姿はメダカのように見えなくもない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る