第6話 大きな栗の木の洞で。
「この栗の木の洞なんてどうだろう? 適度にヒカリゴケが群生していて、夜目の効かない旅人君にも住みやすいと思うんだが」
カワセミは翼もないのになぜか自由に空を飛べたし、ミノスケは器用に木を登る事ができた。
しかし、人間である旅人にはいずれもできない。おまけに旅人は高い所が大の苦手である。
カワセミの勧める物件はたいていが巨大な木にぽっかりと口を開けた洞なのだが、そういった事情もあって高所にあるものは選択肢から外れていった。
いくつか物件を廻るうちに永久の森には夜の帳が降り始めている。
今回カワセミが勧めてきた物件は、幹周りが悠に20メートルはありそうな巨塔のような栗の木だ。
旅人が背伸びすれば手が届くほどの高さの所に大きな洞が出来ている。
天高くそびえる栗の木の枝に遮られて星明かりすら届かない場所だったが、周囲には青白く発光するヒカリゴケなる植物が群生していて仄かに明るい。
この地にしては珍しく大地に芝も生えておらず、むき出しの地面には小さなクレーターのような陥没があちらこちらにできており、ヒカリゴケの青白い輝きと相まってどこか神秘的な雰囲気のある場所だった。
「ミノスケも栗さんが大好物さんなのですよ。旅人さんのお家の条件にぴったりなのですね!」
「どんな条件だ……」
「なぜかこの辺りには住む者が少なくてね。秋にはたわわに実ったイガ栗が隕石の如く降り注いで、それは素敵な場所なんだが……」
「それが原因だよ……」
「おおー、今から楽しみなのですよ!」
旅人は不安げに頭上を見上げる。
遥か上空を覆う枝先には幸い栗はまだ実っていないようである。
「まあ、まずは入ってみると良い。これほどの優良物件そうはないよ」
「早速、お邪魔するのですよ!」
ミノスケとカワセミはさっさと洞の中に入っていくと、旅人も仕方なくその後に続いた。
洞内には8帖ほどの空間が広がっていた。
入り口からなだらかな下り斜面になっているため、そこも含めるともう少し広いかも知れない。
天井は背伸びしても手が届かないほどに高く、そこにもヒカリゴケが繁っているため薄明るい。
木の中だというのにじめじめした感じもなく、それなりに快適な空間だった。
「どうだい旅人君? 多少手狭だけど、寝るには問題ないだろう?」
「ま、まあ、意外と悪くないかな……」
雨風を凌ぐには十分過ぎる位である。おまけに家賃まで無料とくれば、イガ栗の恐怖を差し引いても十分にお釣りが出そうだった。
「おおー、それは良かったのです! それでは、後はミノスケにお任せさんなのですよ!」
ミノスケはそう言って藁の帽子と長靴を脱いだ。
帽子を被っている時は見えなかったが、ミノスケは黒髪を眉毛の辺りで真っ直ぐ切り揃えていて、後ろ髪は一本の三つ編みになっていた。
「……?」
旅人が不思議に思って見ていると、ミノスケはなぜか帽子と長靴の藁をバラバラにほぐし始める。
「……ふむぅ。これは大仕事さんなのですよ」
ミノスケはそれだけでは足りないと見ると帽子の藁をほぐし終えると、着ていた簑の藁までぶしぶし毟り始める。
「え、おい。ミノスケ……?」
「心配ご無用ですよ旅人さん。ミノスケが素敵なお部屋にしてみせるのです!」
ミノスケはにっこりと微笑むと、ほぐした藁を床にせっせと敷き始める。
「フム、虫けらなりの心遣いという訳か……ならば、私も一肌脱がせてもらおうか!」
今度はカワセミが「えいや!」とローブの袖を引きちぎる。青、銀、橙色の羽毛が洞内を舞った。
「──ええーっ!? ちょ、ちょ、ちょっと!」
「むぅぅ……カワセミさんの羽毛さんはお目めがチカチカするのですよ」
「フンッ! これだから虫は愚かだと言うのだよ! 人の世では羽毛の寝具が大人気なのさ!」
「旅人さんは藁のお部屋に住みたいのです!」
「何だとっ!」
ミノスケとカワセミは競い合うように衣服をほぐしては床に敷き詰めていった。
(なんだこれ……)
状況にまるで理解の追いつかない旅人は、ただただ呆然と見ている事しかできなかった。
◆
「完成なのです!」
「うむ、これはなかなかのものだな!」
「……」
旅人の新居となった栗の大樹の洞内には藁が敷き詰められて、その上から目にも眩しい羽毛が敷かれている。
確かに快適そうな空間ではあるのだが、それを為した二人の姿は酷いものだった。
ミノスケはずっと被っていた帽子も長靴もなくしてしまい、今では藁で編まれたキャミソールのようなものしか着ていない。
カワセミのローブもボロボロだった。両袖は肩口からばっさりとなくなって、くるぶし辺りまであった裾も今では膝下までしかない。
「二人とも……服が……」
「また作れば良いのです。旅人さんは何も心配する必要ないのですよ」
「そうだよ旅人君。ちょうど換羽の時期だからね。このくらい薄着の方が都合が良いさ!」
そう言って二人は満足げに笑った。
「……」
これまであまり人に良くしてもらった経験のない旅人にとって、それはあまりに衝撃的な出来事だった。
「さあ、旅人さん。早速寝るのです。寝るお子さんは育つのですよ」
「そうだね。今日は疲れたろう? 良ければ私が子守唄を聞かせてあげるよ」
「ムッ、用済みさんはさっさと帰るのですよ!」
「……二人とも、本当にありがとう」
柔らかな藁と羽毛。そして何よりも暖かい真心に包まれたその場所は、旅人にとってこの上ない新居となった。
(今日は本当に良い一日だった……)
久しく忘れていた充足感に包まれて、旅人はすぐに穏やかな眠りへと落ちていく。
ミノスケが「お腹が空いたら食べるのですよ?」と言って、怪しく発光する樹液酵母を枕元に置いていった事を除けば、その日は旅人にとって、人生で最も安らかな夜だったのかも知れない。
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