第5話 蒼い衝動。

  旅人は茜色に染まり始めた夕暮れの森をミノスケと並んで歩いていた。

 昼間よりも少し冷たくなり始めた風が火照った体に心地よい。


(なんか楽しかったな……)


 訳の分からない事ばかりだったが、それでも確かに楽しかった。それは旅人が久しく忘れていた感情である。


 旅人が感謝の気持ちで隣を見れば、ミノスケは例の樹液酵母を大事に抱えて、そして時折食べていた。


「ミノスケ……ここは一体、どこなんだ……?」


 口にしてしまえば何かが終わってしまうような気がして、ずっと聞けずにいた事をついに旅人は切り出した。


(もう、満足したから……)


 ミノスケは足を止めると、咀嚼していた樹液酵母をごくんと飲み込む。

 そして、翳りのない真っ黒な瞳で旅人を見つめる。

 

「ここはカワセミさんのお家の近くですよ?」


「いや、どこだよそれ……」


 ミノスケがまたとんちんかんな答えを返してきた──その時である。


「──我が縄張りテリトリーに侵入する愚か者よ! 明日の日差しは二度と浴びれぬと知るが良いっ!」


 突如として、上空から何やら物騒な言葉が響いた。

 見上げる旅人の視界の先に、ギラギラと夕陽を反射させながら何者かが舞い降りてきている。


「うっ! 眩しい……」


 目の前に着地したその存在の眩しさに、旅人が思わず顔を覆う。かくして、その一瞬の隙が命取りとなった。


「眼前の敵から目を背けるとは益々もって愚かなり! 我が必殺の一撃にて散るが良いっ! 麗しの蒼い衝動キングフィッシャーバスターッ!!」


 旅人の体がふわりと逆さ吊りに持ち上げられて、そのまま地面に叩きつけられた。いわゆる変形型のパワーボムである。


「──ぐっへぇっ!!」


 地面にめり込む勢いで倒れ込んだ旅人の目の前に、謎の存在がツカツカと歩み寄る。


「無知蒙昧なる愚か者よ。冥土の土産に教えてやろう。我こそはカワセミ! 美しき森の貴公子、カワセミだっ!!」


(ど、どう見ても、貴公子じゃないぞ……)


 カワセミと名乗ったその人物が、目にも痛々しい青、銀、橙色の混ざったメタリックカラーのローブをバサリと翻す。

 背丈は旅人よりも少し高そうだが、大胆に開いた胸元と艶かしい腰のラインはどう見ても女性のそれである。


 自身の腰の辺りを左腕で抱きしめて、のけぞるようなポーズを決めている。

 そして、肩口辺りで切り揃えた青い髪を恍惚とした表情でかきあげた。


「ああ、私は美しい……」


(これは、絶対に関わっちゃいけないタイプの人だ……!)


 すっと高く整った鼻筋にきりりと切れ長な青い瞳。ハリウッド映画にでも出てきそうな美人だが、やはりというか、その瞳にはミノスケ同様白目の部分が全くない。

 

「──旅人さんに酷い事しないでほしいのですよカワセミさん!」


「フンッ、誰かと思えばミノスケか。貧相な虫けらの神格めが。──フハハッ! そうか、そういうことか! この愚か者は、はぐれ者の君にようやく出来たお仲間って訳かい! 実にお似合いじゃないか! ハハハハハッ!」


「ムッ、旅人さんは愚か者さんではないのですよ! 旅人さんは人間さんです! この樹液さんを見るが良いのです!」


「何ッ! 人間と言ったのか!? バカなっ! それにそれは、大クヌギの樹液酵母だとっ!? 一体どうやって……いや、それより私にも分けてくれないか?」

 

(……しばらく、様子を見ていよう)


 地面に思い切り叩きつけられた旅人だが、芝がクッションになったのか、はたまたこの森の生み出す生命力の賜物か、ほとんどダメージを受けていなかった。

 しかし、また投げられても嫌なので、芝の上に寝転んだまま事態を静観する事にする。


「──こう、がしっとです! 旅人さんは金剛丸さんのお背中を捕まえたのです! それからぶーんぶーんと振り回して、お空に向かってぽいーっです! 哀れ金剛丸さんはお空の彼方に消えて行ってしまったのです!」


(なんか、むちゃくちゃ言ってるなあ……)


 何やら熱弁しているミノスケに旅人が冷めた目を向けると、子犬のようにぷるぷると震えているカワセミと目が合った。

 

「あわわわわっ……わ、私はなんて事をしてしまったんだ……」


「人間さんは鳥さんを焼いて食べてしまうのです!」


「そんなっ! 焼き鳥なんて嫌だっ!」


「さあ、立つのですよ旅人さん。今こそ再び立ち上がるのです!」


(そりゃ、立つけどさ……)


 死んだふり作戦をあっさりとミノスケに看破された旅人が仕方なく立ち上がると、カワセミは「ヒッ!」と短い悲鳴をあげて尻餅を着いて座り込んだ。


「せ、せめて、手羽先くらいにして下さい……!」


「いや、しないから……」





「ここは永久の森。山神様の結界に守られた聖域サンクチュアリなのさ。この地では山神様のご加護により植物たちが永久に実り続ける。そしてそれを糧とする草食生物たちが平和に暮らしている場所なんだ。私やミノスケのように徳を積んだ者たちは神格を得て擬人化する事だってできるんだよ!」


(平和な感じには見えなかったけど……)


 ミノスケ以外の情報源にようやく出会えた旅人はカワセミが落ち着くのを待って、この地について尋ねていた。


「いやあ、ハハハ……先ほどは本当に失礼した。ほら、この地の住人は皆ここの植物を食べて育っているからとても丈夫なんだよ。それに食べるか寝るかくらいしか割とする事がなくってさ。多少の諍いはありなのさ!」


(到底、徳を積んだ者の言葉とは思えない……)


 永久の森では一応、火気の使用や殺生が禁じられているそうだが、実際のところ大した罰則もないらしい。


 ちなみにミノスケはミノムシの神格で、カワセミはカワセミの神格らしいのだが、彼女らの性格から見ても、山神という存在もかなりいい加減ルーズな性格のようである。

 

「しかし、名のある修験者でもない限りそう簡単に辿り着ける場所ではないのだが……旅人君、君は見かけによらず相当な苦労をしてきたようだね……?」


「別に……」


「旅人さんにはお家がないのです。だからカワセミさんに良い場所がないかお尋ねしに来たのですが……」


(ん……? まさか、この森に住ませるつもりなのか?)


 ミノスケはなぜかしょぼんと俯いて足元の芝をほじくり返している。 


「なんだそうだったのか! それならそうと早く言えば良いものを! それにしてもキツツキのキッコリーではなく、私を訪ねて来る辺り、ミノスケもなかなか分かってるじゃないか!」


「そうなのです! キッコリーさんにお願いにした方が良い決まっているのです! さあ、そうと決まればさっさと行くのですよ旅人さん。カワセミさんなんてもう用済みさんです!」


「あ、おいっ!」


 ミノスケは旅人の手を掴むが早いかすたすたと歩き出す。旅人も半ば引きずられるようにして着いていった。


「──ちょ、ちょっと待ちたまえ! とっておきの場所があるんだよ! あそこならきっと旅人君も気に入るからさ!」


「先ほどの旅人さんへの暴挙、例え天が許してもこのミノスケが許さないのですよ! 悪の人間さんパワーに目覚めた旅人さんが戻ってくる日まで、カワセミさんは砂肝さんでも洗って待っているのです!」


「そ、そんな……待って! そうだミノスケ! 君は川底の水草を食べた事があるかい!? とっても美味しいんだよ! お詫びも兼ねて、今度二人に振る舞おうじゃないか!」


「ムッ、そこまで言うなら仕方ないのです。旅人さんの温情に感謝するのですよカワセミさん。そして美味しい水草さんを取ってくるのです!」


「え……あ、うん! 任せてくれたまえ!」


(意外とあっさりと和解したな……)


 ミノスケが水草であっさりと手を打つと、カワセミはほっとしたように何度も頷いていた。


 かくして本人の意思とは無関係に、旅人の新居探しが始まるのである。

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