第23話 長編小説を書くということ【4】
とまあ前回の文章を読み返してみると、ほんとーーーにどうでもいい、あたりまえのことしか書いていないので、我ながら呆れた。
コンテスト応募のための作品は期日までに書き上げて、締切日までに発送しなければならない。
あたりまえのことだ。
でもまあ、前回でもちょろっと触れたけれども、コンテストのために300枚以上の作品を書くというのは、義務でもなんでもない。
自分がやりたいから、そうする。それまでのことだ。
賞を狙う限りは、やっぱり入選して、なんらかの賞をゲットしたい。
そして、賞金をもらいたい。
さらに出版されて、印税を稼ぎたい。
あるいは自分の作品が映画化されて、主演女優と結婚したい。
などなど、野望はそれぞれあるかもしれないが、これらはまったく無名の作家志望が小説を書くインセンティブにするには、まさに、まさに「絵に描いた餅」であり、「取らぬ狸の皮算用」であり、「海も見えぬに船用意」であり、「沖のはまち」であり、英語のことわざで言うなら「毛皮を売る前に熊を捕らえよ」である。
こうした壮大な野望を原動力に、書き始めから300枚の原稿を仕上げるまでの期間、自分を鼓舞し続けられる人がいるなら、その人は偉人だと思う。
そういう人は小説なんか書かずに、ベンチャービジネスを立ち上げるとか政界入りをめざすとかしたほうがいいと思う。
長編小説を書くには、労力が必要であり、かつ新人賞やコンテストに応募するにあたっては、その結果はまったく保証されていない。むしろ、まったくの徒労に終わることのほうが確率的にはおそろしく高い。
「ナニワ金融道」で知られる漫画家の青木雄二先生(敬意を込めて、先生と呼びたい)の幻のデビュー作は「邂逅」という一作の読み切り漫画だった。
大阪天神橋筋六丁目を舞台に、40を前に定職を持たず、働いては失業保険を貰いながらノラクラしている男と、ちょんの間の熟女とのトゥルーロマンス。
これを描いた当時、青木先生は自営していた写植・版下製作会社をたたみ、
「なんか、パーッと100万円クラスでゼニが入ってこんもんかのう」
と漠然と考えていたところ、漫画週刊誌の新人賞にて100万円をゲットした新人漫画家を知り、
「これや!」
と思い立って「邂逅」の制作に取り掛かったらしい。
「邂逅」は40ページの作品。青木先生は2ヶ月の期間を費やし、眠る間も食べる間も惜しんでガリガリと作品を書き上げた。驚くべきは後に青木プロとなってアシスタントを多数抱えることになる青木先生だが、この作品では当然アシスタントなど望むべくもなく(まあアマチュアだったのであたりまえだ)、たったひとりであのゴリゴリと描き込まれた背景の独自のビジュアルスタイルを確立していたことだ!
「傑作や! これはいけるで!」と思って応募した青木先生。
しかし3ヶ月後、新人賞の結果を見てガックシ。かすりもしなかった。
もともと広告業界で制作関係の仕事をしていた青木先生らしい感想なのだが、
「広告の仕事ならデザインは採用されなくても、代理店から手間賃くらいのお金はもらえるけど、この『邂逅』は2ヶ月かけてゼロ円! ……漫画界は厳しいなあ、と思ったわしはそのとき40歳だった」
ちなみに青木先生の『邂逅』は入選しなかったが、応募の際に「原稿要返却」と書き記しておいたおかげで、後に出版された『さすらい 青木雄二傑作集』(マガジンハウス社)にめでたく掲載された。
……とまあ青木雄二先生の話で長くなったが、とにかく新人賞に応募することの動機はなんであれ、努力は決して報われるとは限らない。
むしろ、報われないほうが多い。
作品を仕上げるための努力やテンションを維持し続けるのは至難の技だ。
いちばん恐ろしいのは、書き始めて最初はノリにのって書きまれるけれども、100枚なり何枚なり、一定の枚数まで書き進んだ時点で、
『いったい俺はなんのためにこんなことをやってるんだ? ここまで書き進んだ努力なんて、一文の得にもなりゃしない可能性の方が高いのに? それなのに、それなのに……(たとえばその時点で3分の1ほど進んでいたなら)まだこんな無益な努力をあと2倍ほと続けりゃなんないのか?』
と、正気に戻ることだ。
そりゃそうだろう。
合理的に考えれば、こういう努力は馬鹿げている。
なぜなら、入賞する可能性は著しく低い。
「努力が水の泡になる」というが、まさにいま自分は努力を水と混ぜて溶かしながら、泡立てているということだ。
長編小説を書くにあたり、いちばん恐ろしいのは「書き進められなくなる」ことや「スランプに陥ること」とかではない。それはプロの作家の問題だ。
これから賞なりコンテストなりに挑もうとする人間にとって、いちばん恐ろしいのは、「書いていること自体がバカバカしくなる」ことだ。
実際、これをお読みのみなさんも、そういう経験をされているのではないだろうか。わたしはある。というか、そういう結果になってしまったほうが多い。
確かスティーブン・キングの短編だったと思うが、小説の書き出しばかりがひたすら溜まっていく作家志望の男の物語を読んだことがある。
だいぶ前に「ナボコフの文学講座」に関して触れたことがあるが、
「『こんな話、いったいどこが活字にしてくれるんだろう?』という理性の声と戦いながら、作品を最後まで書き上げなければならない」
とナボコフ先生は仰っていた。
とはいえ、どうすれば書き上げる気力を保ち続けることができようか?
次回はその具体的な方法について考えてみたいと思う。
そしてこの連載エッセイはいったいどんな形で結末を迎えるのか。
言うまでもないが、どうなるのかはわたしにもさっぱり見当がつかない。
わたくしどもはなぜ読まれもしない小説を書くのか。 西田三郎 @nishida33336
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