警報

RAY

警報


 下町の住宅地にほど近い商店街。私鉄の駅に隣接する踏切から南北に一本の通りが走り、その両側に個人商店がところ狭しと軒を連ねる。

 ここ数年、各地で商店街が閉鎖に追いやられる中、通りは相変わらずの盛況ぶりで夕方になると人と車でごった返す。


 人気の理由は単純明快――どの店も良いものを安く販売していること。

 詳しいことは企業秘密らしいが、私が会社帰りに自宅のある駅を通り越して一つ先の駅まで足を伸ばす理由はそこにある。


 その日の夕方も商店街は人であふれていた。

 電車を降りた私は人波をうように行きつけの魚屋と肉屋へ向かった。駅から少し離れた場所にあるが、日替わりのサービス商品がとても魅力的な店。その日の目玉は近海で獲れたキンメダイと和牛のモモ肉。それぞれ市価の二、三割引きで売られていた。


 頭の中で献立をイメージしながら四人分の食材を購入した私は、足早に駅の方へと向かう。

 途中の八百屋で持てるだけの野菜と果物を購入して買い物は終了。

 空を見上げると、ところどころ灰色の雲が浮かび、いつ一雨来てもおかしくない状況だった。


『今日は引っかからなければいいけど……』


 いつも踏切の手前で同じことを考える。

 もともと急行や特急が止まらない駅だけに、ラッシュ時ともなると遮断機はほとんど下りたまま。「開かずの踏み切り」は、一度引っかかると十分は足止めを食う。

 ほんの十数メートル先へ進むのに長い時間を要することで、疲れているときなどはその疲れが何倍にも膨れ上がった気がする。


 不意に警報機が鳴り遮断機がゆっくりと下り始める。

 その瞬間、たくさんの人が走り出す。遮断機をくぐり抜け向こう側へと渡っていく。

 そんな危険な行為を働く彼らは「常習犯」。遮断機が下りてから電車が来るまでタイムラグがあることを知っている。


『これまでは偶然来なかっただけなのかもよ』


 遮断機をくぐる常習犯の姿を目の当たりにしながら、そんな考えが頭の片隅をよぎる。

 私は悲観論者ペシミストでいつも物事を悪い方に考えてしまう。よく言えば「石橋を叩いて渡る」タイプ。悪く言えば「石橋を叩き過ぎて壊してしまう」タイプ。

 いずれにせよ、その日も踏切の手前で幾ばくかの時間を過ごすこととなった。


★★


 遮断機が下りて警報機が鳴り響く中、双方向から電車が来ることを示す矢印が点灯する。


『今日も長くなりそう』


 そう思いながら、私は踏み切りの向こう側に目をやる。

 時計とにらめっこをしながら電車が来るのを何度も確認する会社員。憂鬱ゆううつそうな表情でメールを打つ女子高生。買った物を乗せた手押し車の荷物を整理する老婦人。

 どの人もこの退屈な時間が一刻も早く終わることを願っているに違いない。


 ふと老婦人の隣にいる、一人の男の子に目が行く。

 黒いランドセルに黄色い帽子。身長は腰の曲がった老婦人と同じぐらい。背格好からすると小学校の低学年。イライラを募らせる大人たちを尻目に、屈託のない笑顔を浮かべている。


『子供はいいよね。こんな状況でも笑っていられるんだから』


 実は、これが私流の憂鬱な時間の過ごし方。一般的には「マンウォッチング」などと呼ばれていて、簡単に言えば、踏切の向こう側にいる人の様子を観察して物語を作り上げるもの。

 始めた頃はあまり面白くなかったが、最近では小説でも書いてみたくなるような、壮大なストーリーに発展することもある。そんなときは、遮断機が上がって登場人物と決別するのが残念に思えてならない。


 男の子の方へ目を向けると、彼も私を見ているような気がした。

 しかし、間髪を容れず、目の前を上りの電車が通過して踏切の向こう側が見えなくなった。時間にすれば、ほんの十秒程度。電車が通り過ぎると二つの矢印のうちの一つが消灯した。


 不意に違和感を感じた――踏切の向こう側にいた男の子がいなくなっていたから。買い物に行っていた母親が彼を連れ戻しにきたのか? それとも、電車の通過が待ちきれなくなって近くの駄菓子屋にでも行ってしまったのか?

 そんな他愛も無い想像を巡らしていると、今度は目の前を下りの電車が通過する。退屈な時間から開放される瞬間がそこまで迫っている。マンウォッチングが嫌だと言うわけではないが、それはあくまで時間をつぶすためのもの。やらないに越したことはない。


 下りの電車が通過して行ったが、警報はまだ鳴っている。ただ、次の電車が来るまではタイムラグがある。遮断機の下を常習犯たちがくぐり抜けていく。


『これまでは偶然来なかっただけなのかもよ』


 心の中で先程と同じ台詞をつぶやく私だったが、ある奇妙な感覚を覚えていた――あの男の子の姿があったから。正確に言えばおぼ姿があったから。

 さっきとはどこか違う。どこが違うかと言えば――背が高くなっている。隣にいる老婦人よりもずっと高い。とても小学校の低学年には見えない。

 人違い? いや、あの屈託のない笑顔は見間違えたりしない。黄色い帽子と黒いランドセルも同じ。顔や服装は何も変わっていないのに身長だけが伸びている。気のせいではない。


 心臓の鼓動が速くなっていくのがわかった。


 二本目の上り電車が、私の目の前を通過していく。下りの矢印は点灯する気配がない。もうすぐ遮断機が上がる――それは、私とあの子が接近することを意味する。


『近づいちゃダメ!』


 私の頭の中に声が響き渡る。

 それが何かの合図であるかのようにゆっくりと遮断機が上がっていく。踏み切りの中は双方向の人の流れが入り組んだ、混沌こんとんとした状態へと変わる。ただ、男の子をやり過ごしたい私にとっては好都合だった。


 人の流れに紛れて意図的に端の方へと移動していく私。二人の間に数人が入れるぐらいのスペースができた。

 男の子は屈託のない笑顔を浮かべて、ゆっくりとこちらへ歩いてくる。このまま行けば、私たちは踏み切りの真ん中あたりですれ違う。


『すれ違えばそれで終わり。家に帰って「さっき変な男の子がいたのよ。それがね――」なんて笑い話がひとつ増えるだけ』


 自分に言い聞かせながら、私は正面の一点を見つめて、ただ向こう側へ渡ることだけを考えた。平静を装って男の子の存在を無視するように歩いた。


 踏み切りの真ん中に差し掛かったとき、私は彼とすれ違う――はずだった。


 前方を向いていた、男の子の顔がカクンと直角に曲がって私の方を向く。

 気付かないふりをしてやり過ごそうとしたが、その場で足が動かなくなった。


『立ち止まらないで! 逃げるの! 早く! 急いで!』


 頭の中でが繰り返される。

 しかし、そんな声を無視するかのように、私の視線は屈託のない笑顔へと吸い寄せられていく――男の子の口が開き、屈託のない声が漏れた。










「ねぇ、どうしてわかったの?」



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