04道はつながる

 朔利がはっと息を飲む。しかしそれは朱理の頬を少し掠っただけで、刃は届かなかった。一筋の赤がたらりと地面に落ちた。同じく赤にも似た目が鋭い眼光を放つ。朱理はちっとも驚いた顔などせず、油断も隙もありませんね、とやや呆れながら素早く距離を取った。はらりと黒い髪の毛が風に吹かれた

「あなたの余裕そうなその顔、昔からだいきらいなんです」

「そうですか」

 彼は凶悪そうな笑みを浮かべ、短剣を地面に放った。ローブの中から、彼の背丈の半分以上はあろうかという大剣を取り出した。硬質そうな黒い鞘には、朱理のそれとは異なり、装飾が一切施されていない。

 その大剣を一目見た朱理の顔が歪んだ。

「悪しき望みは三度叶えるが、持ち主にも破滅をもたらす。……師を殺すことは果たして、悪しき望みの内に入るのでしょうかね」

「……あなたがその剣を握るのはまだ早いのでは?」

「先生はいつもそう言うばかりでしたね」

 するりと鞘から、凶悪そうに鈍く光る剣が取り出される。朱理が苦虫をすりつぶしたような表情をしたのも束の間だ。朱理がぼそぼそと口元を動かす。そして白衣の下から何やら小さな小瓶を取り出したかと思えば、きゅぽんとそのコルクを抜いた。

 彼の方に放り投げられた小瓶は、その小瓶を中心に風が吹き荒れ始める。突風はやがて中心で渦を巻き、旋回しながら様々な場所に体当たりを繰り返した。野太い怒号や甲高い悲鳴が聞こえる。大きな音を立てて露天商の屋台が崩れる。遠く離れたその中心で何が起こっているのかまったく持って分からない朔利は、檻を握って少しでもその中を薄く目を開けて覗き見ようとする。

 ふいに、かしゃんと檻の鍵が開いた。砂塵が舞って視界が曇っているので誰がそうしたのか分からない。まさかあの少年では無かろうかと身を強張らせていると、それを察した人物が柔らかに声をかける。

「瀬川さん、私です。時任朱理です」

「よ、よかった、ご無事だったんですね」

「ええ、少し強力すぎる春の突風だったようです。とやかく言われる前に早く逃げてしまいましょう」

 朱理が朔利の手を引くが、腰の力が抜けてどうにも動けそうになかった。朱理は急いでいるので失礼します、と、朔利の身体を抱き寄せて俵担ぎをした。そのまま喧騒から抜け出すように小道を駆ける。朔利としては気が気では無い。朱理にお世辞にも軽いとは言い難い自分の体重を預けていること、それに朱理の肩で腹が圧迫されてそのまま走られると嘔吐感が嫌でもせりあがってくるし、何より三半規管がもう機能を果たしていない。

「あ、あの時任さん、私そんな軽くないですし、あの、下ろしてください」

「まじないで負荷の軽減をしているので平気です。それに私が担いだ方が早くたどり着きますし」

「あっ、いけないんだ朱理くん! 女の子の体重は嘘でも軽いって言わないと! ね、さくりん?」

「ひいい」

 ぐらぐらと頭が揺さぶられて血が上っている。高速移動していく地面に目が回る。そんな中唐突に現れたのはヤオシーだ。彼女は朔利の目線に合わせるようにひょこんと現れて、ぱちりと視線が合うとにこにこと手を振って見せる。身体が半分地面にのめり込んでいる。朔利はなんとも情けない悲鳴を上げてしまう。

「それは一つ勉強になりました」

「あとねえ、やっぱり俵担ぎなんでムードもへったくれもないことしちゃだめだよ! 女の子はお姫さま抱っこだよ!」

「なるほど。次からの参考にしましょう」

「いやもう本当に勘弁してくださいよ……」

 冗談です、と朱理がくすりと笑った。二人とも普段と変わらぬ声音でぽんぽんと言葉を紡いでいるので、朔利にはそれが本気で言っているものなのか冗談で言っているものなのか判断がまったくつかないのだ。心臓に悪いことに。

「ヤオシー、この国では先ほど通った場所のほかにどこに扉漏れした場所があるか覚えています?」

「そんな記憶力お化けの朱理くんが分かんなくて、あたしが覚えてると思う?」

「ではお得意の勘だと?」

「んー、こっちかな」

 朱理が方向転換する。今お腹に食べ物が入っていたら確実に吐きだしていたと朔利は思った。

 砂が固められた地面からレンガ畳の地面へと変化する。それに伴って周りの建物も、小汚い外観をしたものから比較的小綺麗なものへと。ごくたまに通りすがる人間の服装も、先ほどの乞食のように汚らしい服装や逆に眩しいほど取り繕った服装をした者のように幅があるわけでは無く、少し古めかしさは感じるもののごく一般的な洋服である。

 足場が悪い。それに人の声だけでなく機械的な音で騒がしいのである。油っぽい煙たさが鼻に着く。いったい何だろうと少しばかり顔を上げると、馬車や路面電車のようなものがすぐ近くで通っていることに気が付いた。その喧騒に負けないように朔利は声を張り上げる。

「あの、色々聞きたいことあるんですけど!」

「今ここで全てお話することは難しそうですが、どうぞ」

「あの金髪のひとって」

 ぐるん、と再度回転する。もう目が回ってしまって視点が合わない。その問いにヤオシーが、朱理くん今忙しいしあたし答えるね!、と言った。

「あの子はしーくん、シトラスっていうんだけど、昔朱理くんと一緒に行動してた子! まあ色々あってすごい恨まれてる! あっ、次左」

「その色々あって、って」

「了解です。少しややこしいので省きたいのも山々なのですが、彼の生い立ちがかなり関係しているのと、彼の国の内政が深く関わるのですが」

「世界史苦手なんですけど、その話私でも理解できる話ですか!」

「んー、次行こ! 次!」

 硝煙の煙たすぎるぐらいのにおい、陰鬱とした雰囲気が徐々に薄れていくのを感じてなんとか顔を上げれば、そこはもう既に朔利が見知っている場所の景色だった。柵が取り付けられた用水路、道の角っこにある昔からずっとあるのだと言う煙草屋と酒屋。信号があるほどの大きな通りではない、しかし通学路になっているからと取り付けられた黄色と黒の飛び出し注意の看板があった。

「あと鏡合わせの書って、」

「”鏡合わせの書”っていうのはあたしのことで、あとあの場所どこだって感じの話もしとく?」

「ちょっとまった!」

 どうしたのさくりん?、と小首でも傾げそうな声音で言うヤオシーに、というより彼らを制する言葉を朔利は投げるがどうやらその理由が彼らにはまったくもって見当がつかないらしい。

「まって、そっち川ですよね、どうして道なりに行かないんですか!」

「ショートカットです」

「さも平然と言わないでください!」

「大丈夫だってさくりん、さくりんだって昨日やったでしょ。鏡の前に立ってると自分の知ってる場所に知らないうちに行ってるみたいな! あれの簡易版! たまに失敗して腕とか置いてきちゃうときあるけどさあ!」

「失敗?!」

 声が裏返る。朱理はそんな朔利を諭すように稀にですから、と言葉を続けるがとても安心できるものではない。稀にでも腕が落ちるのである。

 彼が大きな歩幅で駆けるたびにその川へと近づいていく。たん、と彼が柵に手を付ける。もともとは誰かが落ちることのないように設置されたものだというのにこれでは本末転倒である。落ちるために利用しているのだから。ふわり、と朱理、そして朔利の身体が重力に逆らうように浮いたあと、重さを取り戻し真っ逆さまに落ちていく。

 目を瞑ってその衝撃に耐えようとするが、思ったような衝撃は訪れなかった。重力を感じない、だけれど確かにある倦怠感。恐る恐る目を開ければ、朱理が朔利の腕をがしりと掴み、じっと目を見つめていた。大丈夫、そう言うような目に、朔利は頷く。底知れぬ暗闇へと沈んでいく。視界が黒に染まり、次の瞬間にはクジラの潮吹きで噴出される海水のごとく転がっていた。

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