03交錯
本当に知らないんです、そう言っても彼は答えろ、そう言うだけだ。行き過ぎる人に助けを求めようとしても、彼らは朔利たちを好奇心に駆られた目で見るだけで、朔利と目が合うとすぐに顔を反らした。
「あの人にに口止めをされているんですか? 随分と口が堅いな」
「本当に知らないんです……!」
「周りを見て」
突き付けられた短剣のせいで上手く首を動かすことが出来ない。幼い青色の目がじっと朔利を見つめて、にやりと笑った。鼻と鼻がくっつきそうなくらいの近い距離だ。彼は朔利から目を離し、首に短剣を添えながら襟をつかむ。周りを見ることを強要した。
あの露天商の棚にあるの、なんだと思う。そう尋ねた彼が襟を自身の方に引き寄せながら耳元で囁く。朔利自身、目が悪いわけではない。目を凝らせばしっかりと、その棚に所狭しと並べてあるそれがはっきりと見えた。瓶にぎゅうぎゅうに詰め込まれた目や耳と言ったパーツ。人間の腕や指と思しき部位が乾燥された状態で置かれている。後ろに吊り下がっているのは、人の頭か。横には、そう尋ねられ、目だけを動かしてみれば檻の中に放り込まれた様々な姿をした者の姿。
「黒い髪に黒い目、それにここらへんじゃあ見ない顔立ち。ばらばらに売っても、もちろんそのままでも価値がある。今それを言われて何のことかを考えあぐねてしまうほど、あなたも馬鹿ではないはず」
本当に知らないのだと、そう朔利が答えようとすると喉に押し付けられた刃に力がこもる。つつつ、と薄皮が切れてひりひりと刺激される。たらりと自身の血が微量に喉元から下に落ちていくのを感じた。このまま喉を引き裂かれてしまうのではないか、そう思うとたまらなく恐ろしくて、ただ先だけで切り付けられた傷が鮮明に痛さを主張する。彼は、ただ彼の言う”書”のありかが知りたいだけで、脅すつもりしかなく殺すつもりはないと思っていた分、実害が重なるとそれだけ死へのビジョンが見えて歯がガタガタと震えそうになる。今までの夢では感じなかった痛覚、それを今感じていた。朔利はその震えを抑えるためにぎゅっと口元を結んだ。そうでもしなければ恐ろしさで叫び声を上げてしまいそうだった。
さあ言え、そう低い声で脅しをかける彼の表情が唐突に曇る。彼は表情を歪めながら舌打ちをした。お迎えが来たみたいだ、彼は忌々しそうに吐き捨てると朔利を横の空いた檻の中に放り投げる。
衝撃で頭を強くぶつけて目がちかちかとした。こんな場所に入れられてたまるか、と檻の入り口から朔利は出ようとしたが、彼がすっと指を上に滑らせるとまるで魔法のように檻に錠がかけられてしまった。
迎えが来た、いったい誰のことだ。そう思いながら朔利は彼が見つめる先を見る。人と人とがせめぎあう中、異質な白が真っすぐとこちらに向かってくる。しゃんと背筋を伸ばした姿、赤茶の目がしっかりとこちらを見据えている。朱理だ、その姿に安堵して身体から力が抜ける。
「――随分とお早いご登場で。そんなに彼女のことが心配だったんです?」
「ええ。彼女は大切なお客様であり、こちら側において重要な役割を持つ方でもありますから」
朱理がこちらに足を踏み入れるたびに、人波が彼を避けるように広がっていく。右手には細身の剣が握られているが、その鞘は未だ抜かれていない。人の群れが彼らを囲んで楕円の形になるにつれて、徐々に賭け事をするかのような声が聞こえてきた。白に50、黒に80、そんな声が飛び交う中でも二人はいたって冷静だ。金髪の彼の方も唇を吊り上げる。ぶらんと無気力に収まる短剣。その鋭利な刃が光る。
「あなたと刃を交えるのはいつぶりでしょうね」
「さあ?」
「刃を交える前に、そのような思い出話に耽るのは興ざめに違いありませんね。すぐに終わらせてしまいましょう」
「すぐに終わるとお思いですか? ねえ、先生――!」
二人が駆ける。十分に舗装されていない道は砂煙を巻き上げた。その砂塵が舞う中、金属と金属とが重なり合う硬質な音がこだます。
朔利は思わず檻に手を付けて身を乗り出す。体格差から朱理が負けるとは思わなかったが、それにしても彼の忌々しく吐き捨てられた言葉の数々、それに朱理を見る鋭い眼光。殺してやる、そう言わんばかりの殺気立ったそれ。過去彼らの間にはいったい何があったのか、それは朔利には理解しがたかったが、思わず冷汗が流れる。
連続的に聞こえる金属同士がいがみ合う音。砂塵が晴れる、その瞬間大きな音を立てて吹っ飛んだのは金髪の彼の方だった。その衝撃で、壁沿いで商品を並べる露天商の天幕が大きく傾げる。店主の大声で喚く声が聞こえる。背や腰だけではなく頭も打った彼は罵りを口走った。朱理が彼の方に向かう。彼は立ち上がろうとしながらも、力が入らないようで、地面に着いた手に力を入れては弛緩することを繰り返している。
「……またそうやって捨てるんだ。僕らが捨てられたのと同じように、あなたも同じように捨てられる」
彼は朔利に言い聞かせるようにそう言葉を紡ぐ。
朱理は、彼の手元に転がっていた短剣を遠くに蹴る。そして彼の頭に手を添えると、何か言葉を紡いだ。その言葉に彼の両目が見開かれるが、それもつかの間だった。
手早くローブの中から二本目の短剣を取り出す。そして先ほどの重い一撃が嘘であるというように、朱理の顔面に向けて短剣を突き刺した。
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