02異国の街並み
本屋までの距離はそこまで遠くない。逆に近いぐらいだ。ふと雑誌の新刊の発売が昨日であることを思い出して千円しか持ってきていないことに少し落ち込む。歩けば10分やそこらの距離だが、何回も往復したくないと感じてしまう。今日は諦めて近いうちにまた行こう、と本屋に着いても居ないのにそんなことを思う。
「……なにあれ?」
住宅と住宅の間の隙間の小道。人ひとりほどしか通れない、中は誰かの家の庭であったり、近所の猫たちの集会になっているお稲荷さんが置いてあったりするが、きちんと向かい側に通じている道だ。そこの入り口で黒い何かがもぞもぞと動いている。遠いうちはそれが何かよく分からなかったが、近づいていくとよく分かる。人だ。前かがみになって、うずくまっている。アルコールででろでろになったサラリーマンが気持ち悪くなっている時間にはまだほど遠い。いったい何をしているのだろう、と朔利が少し凝視していれば、こぷっと吐き出されたものが地面にぴしゃりと叩きつけられる。赤黒い、どろどろとした液体。血だ、そう思う前に朔利はその人物に駆け寄った。
「――大丈夫ですか!? 今、救急車呼ぶので……」
しゃがみこんでその人の肩に触れて顔を覗き込もうとする。朔利は制服のポケットの中からスマートフォンを取り出した。救急車を呼ぶ番号、一度も呼び出したことのないそれに触れる朔利の指が震える。
必要ない、という苦しささえ感じられない若い少年の声に顔を上げて疑問符を投げかけるより前にがしり、と腕を掴まれる。見つけた、フードに遮られ、わずかに見える口だけがそう動き朔利を力強く引っ張った。先ほどまで血を吐き出していたとは思えない力だ。そのままその人物は朔利の腕を掴んだまま小道の奥へ走る。それを振りほどこうと抵抗してもびくともしない。左に引っ張られてそれに転びそうになる。朔利と同じくらいの背丈、更に小柄な体躯だと言うのに、その力に抗えなかった。
「いったい、なんですか! さっきの血は……!」
「まさかとは思ったけど、あの人のまじないの匂いがしたから、そのまさかみたいだ」
「だから質問に……!」
答えて、そう言おうとしたところで、ふとこんなに走れるほど道自体長くない、と朔利は不可解に思った。家の裏に無理やり作られたようなこの道は、一本だけ表に繋がっているだけで、その他の道は全て人の家の庭に繋がっている。先ほど曲がったから少しおかしいとは思っていた。道もまたコンクリートで舗装された道ではなく、押し固められた砂地に変わっていた。近所に住んでいるから、通りのことは知り尽くしていると思っていた朔利は目を疑った。自身が知っている道ではない。明らかに道が変わっていたのだ。
赤レンガの建物がひしめく。ここもまた路地裏なのか。バルコニーから顔を出した女性が、見慣れない衣服を干し、そしてこの路地裏を走る私たちを不思議そうに見ていた。いったいどこだ、と今まで来た道を見返せば、そこは朔利の居た場所では無かった。少し遠くに見える大通りと思しき開けた道の先で、かたかたと硬い道を進む車輪の音と、馬の嘶き。見える服装も違う。女性はウエストがきゅっと縮まったドレスのようなものを纏い、男性はスーツのような服装をしている。人も私が普段見ている人とは、人種が違う。鬱屈した煙たいどんよりとした空気が肺の中にたまっていく。まるでいつも朔利自身が夢を見ている場所に生身のまま入り込んでしまったような、そんな感覚だった。
「いったい、ここはどこなんですか!」
「赤レンガの街、ラドリージョ」
「ラドリージョ、?」
聞いたことが無い名前だ。
ばさりと前方を駆ける彼のフードが外れる。きらきらとした金髪の髪が露わになる。あなたは聞いたことが無いでしょうね、後方の朔利を少し振り向いてその言葉が放たれる。目は深い海の色をしていた。
そのまま彼は大通りに向かわず、細い路地を駆ける。まるで迷路のようにこんがらがっている。その上どの建物も同じような外見をしているものなので、朔利は帰り道の見当がまったくもってつかなかった。
走る速度がゆっくりとしたものになっていく。いったいいくら走ったのだろう。乱れる呼吸を整えようと深く息を吸いながら、辺りを見回せば、そこは奇々怪々な場所だった。高い建物の間にぽつりとある閉鎖的な広い空間。その場所に繋がる道は無数にあるがどれも先ほど通った道のように狭い。しかし活気で満ちている。黒いテントを張った露天商がひしめき合い、行き交う人々の服装はみすぼらしい人も居れば高そうな服を着た人も居て様々。朔利のすぐ近くには檻が無数に放り投げられている。空の檻が三つ、それ以外には人間のような姿をした者や、そうではない異形の者がまるで電池が切れたようなおもちゃのようにお利口に入っていた。その光景にぞっとしながら彼を慌てて見れば、片手に短剣を持っている彼が視界に入る。
「これから言う質問に答えれば何もしない。【鏡合わせの書】はどこだ?」
「そんなの知らな……」
「答えろ」
朔利の首筋に突き付けられた短剣が食い込んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます