正論

 正しい論法は、ルールを無視した者の行為や、不正を働いた者の糾弾に用いられ強い効果をもたらします。

 それはどの様な場所であっても、自分以外の誰かが複数集う場所に措いて必要な物です。

 「ルール」は守らねばならず、そこから外れた者は罰則を受けます。しかし「ルール」に外れていなければ何をしても良いと言う物ではありません。

 それは「ルール」以前に「モラル」「一般常識」に当て嵌めて鑑みる事が出来ます。そう言った物を全て内包した論調が「正論」なのでしょう。


 しかし「モラル」「一般論」「道徳」と言う物は不確定で、個人毎に微妙な違いが生じています。それが齟齬となり、時にはかみ合わない者同士が争う種になります。

 過ごした環境、受けた教育、歩んできた人生から受けた経験は、個人ごとに違う形となって各々の内側に収められていきます。故に「正論」は個人毎で僅かばかり形を変えて存在していると言って良いでしょう。

 

 だからこそ人同士には「議論」と言う物が存在するのです。

 話し合い、意見を出し合って互いのズレを修正し、妥協点を見出すのです。そうする以外論議を終結させる術はありません。何故なら個人ごとに「正論」は違うのですから。

 間違いなく不動の決定事項が世の中には幾つかあります。しかしそれらは数式で表したり、実証データからに依るもので、考えから発した事は必ずしも不動ではなく、万人が納得いくものでは無いのです。


 そして言葉を武器に「正論」を押し付ける事は大きな間違いです。理論武装とはよく言った物で、言葉は武器となり相手を傷つけてしまうかもしれないのです。

 言葉の扱いに少なからず慣れているここ「カクヨム」の作者様達が、理論に武装させて攻撃する様は最早批判や否定を通り越して「武力衝突」です。どちらか一方、もしくはその両人が少なからず傷ついてしまうのではないでしょうか?

 議論を交わす事は大いに賛成です。相手の言葉を受けて自分の考えと比較し、相手の中から得れられる物を取り出した結論は、きっとそれまでの考えよりも優れた物となっているでしょう。そうしてやり取りされた物は、必ず一人では出せない結論となり、間違いなくその議論を成功へと導いてくれるはずです。

 

 それでも相手を「正論」によって意見しなければならない様ならば良く考えて下さい。


 あなたの「正論」が「万人の正論」となり得ているかどうか。と言う事を。


 それもまた「正論」なのですから。

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