底辺と言う意味
『私は底辺作家の〇〇です……』
非常に良く、頻繁にこの文言を見かける事が出来ます。特に自己紹介などでは多いですね。
自己の立場を確りと見つめて把握し、それを表す言葉としては間違っていないでしょう。それに「底辺」と言う言葉がここまで浸透している現在としては、それを用いるだけで他者もその人の現状が分かると言うものです。
そう言った意味では小説家として最も必要とされる、
「可能な限り少ない文言で、的確に状況を言い表す」
を見事に体現していると言わざるを得ません。
―――ですが……その言葉、そんなに多用しても良いのでしょうか?
他者からそう評されるのは仕方ないかもしれません。
いえ、本来ならば他者から言われれば侮辱と取れる言葉です。そう言った事を言われる、そんな言葉を投げ掛けられるのは諍いの種になる可能性がありますね。
ですがこれが、自身で言うとなれば話は変わります。
自分でそう評しているのですから、他者から改めて認識される、言われると言った事も無いでしょう。
ただこのエッセイで先にも述べたのですが言葉には、それが口から発した物だろうと書き連ねた文字だろうが、『言霊』と言うものが作用します。
言霊には力があり自身を、他者をその気にさせ、更にはその言葉を体現する事があります。それは事の大小に関わらず、また結果の如何に関わらず作用するのです。そしてこれは紛れもない事実です。
口から発した、文字で言い表した「言葉」を、当初は軽い気持ちで使い続ける。
しかしそれを繰り返せばその「想い」は知らず蓄積され、大きな力となってしまいます。
そしていずれその力は自身を、他者を縛り現実のものとしてしまうのです。それが事実であろうと認識下であろうが……です。
作家だからこそ、言葉は大切に使いましょう。
そしてそれは、他者に影響するのではなく自身に作用するものであってもです。
その言葉が「事実」として、定着する事を望んでいる作家さんはおられないと思います。
何故なら「底辺作家」と言う言葉が決して賞賛の言葉では無いからです。
「いや、俺はこの言葉にポリシーを持っている! この言葉は俺にとって、最も俺を表現している言葉なんだ!」
そう言った方が居られる可能性もあります。その様な方には今話している事自体、当て嵌まらないと言えるでしょう。
しかしながら私の知る限りでそう言った状況、立場を好んでいる人は居られないと思います。
もっと読まれたい、知名度を上げたい、作家として成功したいと思っている方が大半では無いでしょうか?
それならば自身の事を「底辺作家」と呼ぶ事は控えた方が良いと思います。
その言葉が……「底辺」と言う言葉が真実にならない様に。
そしてそうならない為に「努力」を続ける必要があります。ある日突然才能が開花して……とか、自身の作品が脚光を浴びて……等と言う事はありません。
勿論、そう言った方法はあります。実力以外のやり方で……ですが。
ただ不正を働いて……そこまで言わなくとも、自身で到底納得のいかない方法で得た評価にはなんの意味もありません。
いえ、意味はあるかもしれませんね。作品内容は置いておいて、兎も角評価やPV数のみで判断する様な出版社の目に留まれば、そこから作家デビューを果たす事が出来るかもしれませんから。
それに「立場が人を育てる」と言う言葉もあります。実力に伴わない立場に立たされたとしても、その場所で踏ん張っている内に実力が追いついて来る、と言うものです。
もっとも、今と言う時代……時期においてはそう言った事が横行し過ぎて、編集者側も安易にその様な選定はしないでしょが。
何にせよ、多くの方が持っているであろう「夢」を実現する為には、多大な努力が必要となる事に疑いはありません。
その努力の「枷」ともなるべき言葉である、「底辺」も多用する事は避けましょう。自身を「底辺作家」と言う事も控えるべきです。
もしもあなたが、「底辺」で浮上する事のない作家であり続けたくないならば……ですが。
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