才能とは
小説を執筆するうえで「才能」とは一体何を指しているのでしょう。
各々色々と思う所もあるでしょうが、私は
「書き続ける事が出来る才」
だと思います。
俗にそれを「一つの才能だ」とおっしゃる方が多いかもしれませんが、私はそう思いません。
何故なら、どんな素晴らしいアイデアも、どんなに奇抜な設定も、どれほど斬新なストーリーも、書き上げ切って初めて「作品」となるからです。
例えば、自分にとって「今までに類を見ない最高の作品」が、プロローグからエピローグまで十万文字だったとします。
偏に十万文字と言っても、とんでもない文字数です。
A4用紙、四十行×三十二文字でも、ビッシリと書き詰めて大よそ八十ページ。
行間や段落なども考えると、約百ページに届く程の枚数となります。
それ程の文章を書き上げるのに、どれだけの時間と、どれだけの根気が必要か、実際に行った方々には良く理解出来る筈です。
そして実は、これでもまだ少ない方であると考えられるのです。
何故ならば、大抵長編小説であったならば、十万文字で完結すると言う事は少ないのではと思うからです。
勿論、短編が得意な方や、元々小説よりもエッセイなり論評なりが得意な方、一言コメディー物が好きな方と、文字を書くだけでもジャンルは多種多様です。
十万文字の例を挙げられても、ピンと来ないかもしれません。
しかし、どれほど短編であっても、一作に付き文字数が少なかったとしても、書き続けて行けばいずれ十万文字、それ以上に到達する訳です。
そこまでに費やした時間や労力はいかばかりか。
そしてそれを才能と言わずして、何というのでしょうか。
勿論、それだけの才能では「小説家」として売れて行く事は出来ません。
何故なら「小説を書き続ける才能」と「小説家として成功する為の才能」は別なのです。
書き続けていれば、どんどん作品が洗練されていく事が解ります。
逆にたった一手で、凄まじく自分のスタイルが変わる様な事は殆ど無いのではないでしょうか。
そして、そうやって地道に積み上げた才能は、いずれ何らかの形で成果を発揮して来ると、私は考えています。
長く連載を続けていれば、途中で嫌になったり、飽きて来る時もあります。
そんな時は休めばいいのです。しかし貴方が小説を好きならば「小説」と言う物から離れないで下さい。
そうすれば、きっと違う物が発見されるかもしれません。
小説における才能。それは間違いなく「書き続ける事が出来る才」
私はそうだと信じています。
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