どうしてもほどけなかった着物、あるいは嫁に行くというこよ
蒸し暑く埃っぽい祖母の旧宅の箪笥から、デニム地のような、紬(絹のカジュアルな着物のこと)のようなそれでいてやけに丈の短い着物が出てきました。汚れてもおらず、一体どんな着物なのだろうと、祖母に尋ねました。すると心底懐かしそうにその着物について祖母は語り始めました。
祖母曰く、この着物は曾祖母が祖母のために手織りで!仕立てた着物だそうです。つまり糸からフルスクラッチビルドされた着物になります。嫁に行く時に、この曾祖母が織った木綿の着物を着て、野良仕事に精を出すように言われたそうです。確かにこの着物は他の着物よりも重厚です。
うわぁ、うわぁと爪に土の挟まった指で何度もその着物を撫でながら、祖母は祖母の中にしかない思い出に浸っているようでした。
よく見つけてくれたなぁと言われたので、これどうする?着るの?と訊くと、いや、お前の好きにしろと言われたのでとりあえず洗濯機に放りこんで古臭い埃っぽい臭いをダウニーの匂いが香るように洗いました。梅戸は浴衣を持っていないので、これを浴衣替わりに着るのも良いかもしれないと思い、この着物は解かずに保管しました。
母に、祖母が結婚した時に曾祖母から織ってもらった着物を発見した事を告げると、そんな大事な着物をどうして今まで放っておいたんだと呆れていました。確かにそうですが、藍色の分厚い着物はあまり汚れておらず、普段着に着ろと言われて何度か着たものの、結局なんだかもったいなくなって箪笥の奥の方にしまいっぱなしになっていたのかなと私は思いました。
そういえば、とこの無骨な着物を見ながら、母は曾祖母にことについて語ってくれました。曾祖母は戦争で息子二人(祖母から見れば兄)に夫(祖母から見れば父、梅戸から見て曾祖父)を戦争で亡くし、とても苦労したそうです。
祖父と祖母は見合い婚だったのですが、祖父はシベリア抑留兵で復員するのが遅く、また、祖母の結婚相手となる若い男は戦争でほとんどいなかったため、二人とも出会ったのが当時の結婚適齢期をだいぶ過ぎた頃だったようです。そのような娘の前途を心配してか、曾祖母は自ら機を織り娘のために着物を織ったのだと考えると、なんだかドラマチック過ぎてくらくらします。
祖母は何の変哲もないどこにでもいる百姓で身を立ててきた婆さんです。地方の百姓の家に生まれ、百姓の家に嫁ぎ、戦争を、空襲をくぐり抜け子供を育て孫の成人式まで生き延びた婆さんです。
どこにでもいる平々凡々な婆さんの、その人生にあって、一時を共有した一着の着物から、たち現われる無数の哀歓を追想することは、それがどのような人生であっても、それは“物語”たりえるものである、と私は思うのです。
曾祖母が織った布は、経糸と緯糸がほかの着物に比べて疎で、不揃いで、なぜだか不思議と肌になじみます。
機織りと聞いて思い浮かべる、織り姫が使っているような沢山の糸が渡された機械を曾祖母もかっしゃんかっしゃんいわせながら、織ったのでしょうか。片づけが苦手な祖母が小姑にいじめられないようにしっかり働くように願いながら織ったのでしょうか。あるいは、祖母の晴れ姿を見ることなく戦争で死んでしまった家族のことを考えながら織ったのでしょうか。
持ち重りのするこの着物の来し方を想像するに、今は亡き曾祖母の生きた時代というのがどういうものであったのか。機織りをする技術をもつ女性の、腹を痛めて産んだ息子が戦争によって親より先に死ぬ不幸を、そして戦争を生き延びた娘が嫁に行く幸せというのは、私の想像力ではとても追いつけないのです。明治に生まれ昭和に死んだ、戦争に勝って成り上がった国が戦争に負けて無一文になったそんな時代を想像するには、私はなにもかも知りすぎていて、そして知らな過ぎることを切に感じました。
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