大島紬と戦没者と祖母

 戦争と曾祖母の話に関係してもう一つ。箪笥の中からとても地味な手触りだけはなぜかしゃりしゃりして柔らかい着物がいくつか出てきました。状態は虫食いがひどいものから無傷のモノまで様々です。すべて織り目が密でそれでいて大変軽いのです。

 母に見せると、一見して大島紬だというのです。母は着物道楽ではありません。なのになぜかこれは大島紬だから絶対エマールで洗えと言われたのでエマールで洗い、乾燥し解きました。

 ここで、大島紬について。大島紬とは、江戸時代半ばくらいから薩摩藩で生産されていた絹織物で、厳格な基準を以て反物に大島紬の証紙が付けられた物を大島紬と呼びます。現在大島紬の着物を仕立てるとなると、自動車一台分の値段になります。これだけだと確実に悪意のある呉服屋に騙されますが、話せば長くなるのでまた別の話でそれは紹介します。

 大島紬?を布に戻すと、他の布地に比べ明らかに薄く、軽く地味で織り目が密です。母の言うことが現実味を帯びてきました。ただし、絶対に大島紬である確証が持てなかったので、図書館で和楽の別冊大島紬の本を借りて来ました。事前の燃焼実験では、独特の刺激臭と燃え広がらない布地と言うことで、これらは全て絹織物であると確かめていましたが、本当に大島紬であるならば柄が大島独特の柄であるはずです。それを確かめるために資料を借りてきたのです。 

 果たしてそれは、デーチ染めも本場大島と、魚の目、蛇の目、銀などの大島紬でした。母に、どうしよう、これ、全部大島紬だ(推定総額自動車四,五台分)と報告すると、あっけらかんと、よかったねぱくっとけと言われました。

 でも、なぜ平凡な一地方の只の百姓風情が高級品として名高い大島紬を何着も持っているのでしょうか。真相を確かめるべく取材班は南米に・・・・・いや、母の実家に行きました。

 大島紬について尋ねると、どうやら覚えていたようで、曾祖母のことと戦争のことについて祖母は語りました。

 曾祖母は手ずから織った綿の着物を、作業着として嫁に行く祖母に持たせた一方で、嫁入り先が長男の家であったため、祖母の実家の“格”がそれと見合うように、また嫁入り先で祖母が肩身の狭い思いをしないように高級品の大島紬の着物を仕立てさせたそうです。

 お家の“格”などというあまりにも時代錯誤な言葉が出てきて面食らいましたが、祖母が嫁いだ当時は日本国憲法が施行されて日も浅く、日本国憲法よりも大日本帝国憲法の論理で生きる人が少なくなかったのでしょう。長男に家長権が与えられ、個人というものよりも血族、家族が偏重された時代の名残が垣間見えるような気がしました。

 ただ、祖母の実家も決して裕福ではありません。なのになぜそんなお金が?どこから?と問うたところ、知らんと言われました。本当に知らない、あるいは覚えていないようでした。

 ここからは母の憶測になるのですが、曾祖母は三人分の遺族年金をもらっていたので、そのお金で買ったのではないのかと言いました。これは確かに納得できます。戦没者遺族年金で家を建てたり孫を医大にやったりする親族が実際にいたので、そういう事実を鑑みれば、何枚も祖母が大島紬を持っていた事の説明になります。

 家に帰り、布に戻した大島紬を、何にリメイクしようかと考えながら、この布は、大伯父と曾祖父の流した血で購ったものであるというすさまじい物語をもっていると気付きました。

 曾祖父も、大伯父もどこでどのように死んだのか梅戸は知りません。役所で調べれば分かることでしょうが、それは祖母の死んだ時に戸籍謄本で確認すればいいような気がします。

 たらればの話をしても仕方のないことですが、第二次世界大戦が勃発しなかったら、もし大伯父や曾祖父が生きていたら。梅戸はこの人たちからお年玉をもらったり、彼らが作ったきゅうりやキャベツなどの野菜を貰ったりしたかもしれません。しかし現実は非情で、祖母の血を分けた兄弟や父である人は、徴兵され、どこかの戦場に送られ誰かの放った銃弾や爆弾に殺され、母が生まれるよりもずっと前に、姪の、甥の顔を見ることなく鬼籍に入ってしまっているのです。

 梅戸はひょんな縁で、お年玉をもらう代わりに大伯父や曾祖父、曾祖母から、しなやかで美しい絹の布をもらいました。この布が梅戸の手に渡るまでに、経てきた物語の重みが、実際の布の重みとちぐはぐで不思議な気分です。

 谷川俊太郎の詩に「どんなよろこびのふかいうみにもひとつぶのなみだがとけていないということはない」*『クレーの絵本』という文がありますが、その言葉が浸みるような出来事でした。

 そういうわけで、傷みのひどい布地も捨てずにとってあります。また着物としてこの布を使うことはないのでしょうが、別の形で使えたらいいなあと思っています。それが何になるかは未定ですが。

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