大島紬かくのごとく語りて

 大島紬について、説明を。いや、とある着物エッセイを読んでいたところ、未だに悪徳呉服屋が「大島」「紬」の言葉で羊頭狗肉まがいものを売っていると書かれてあり、大層ビックリしました。また、ネットオークションで、無知なのか確信があって出品しているのか不明ですが、「本場大島紬」と呼べない品物を安価で出品されていて気になったので説明しようと思いました。

 むずかしい着物の話はしませんと書いていたので、難しく書きはしませんが、この話では祖母の着物をサルベージする話にはなりません、大島紬と言う文化財の歴史をサルベージします。

 まず、紬という着物についての位置づけについて。これはカジュアルな着物です。着物だからといて全ての着物がフォーマルなものではないのです。その最たるものが紬です。紬で冠婚葬祭に行ってはいけません。行ってもいいですよと言う呉服屋は信用してはいけません。詳しい話は省きますが、紬という着物はデニムとかパーカーとかと同じようなカジュアルさだと思っていただければ結構です。

 ただ、何故只のデニムのくせに自動車一台分の値段がするのかと言われますと、デニムにしても、桃太郎ジーンズやディーゼルのジーンズはそこそこお高いですし、アルマーニやドルチェ&ガッパーナのものなんかになるとわけわからん位値段が張ります。紬は本気出したアルマーニのデニムだとお考えください。アルマーニであってもデニムはデニムなのです。ですから値段がいくらだろうとデニムで冠婚葬祭に行くのは非常識ですし、その十分の一の値段であっても、スリーピーススーツを着て出席するのが常識的です。着物にも同じことが言えます。

 紬の素材は絹です、シルク100%のものが紬です。特に有名なものに茨城県、栃木県を産地とする結城紬があります。ほかにもいっぱいありますし、シルク100%が紬の必要条件ではないのですが、割愛します。

 大島紬を着る時の特徴として、足捌きがいい、皺になりにくい、軽い、独特の光沢となめらかさがある、などがあげられます。理由をすごくざっくり言うと、大島紬が原料の糸を百回以上に及ぶものすごく手間のかかる染色過程と、綿密で精緻な織りの過程を経たン布からできているからです。

 大島紬の歴史について、古くは奈良の東大寺や正倉院の献物帳に南島から褐色紬が献上されたとの記録があります。そして千年くらい一気に時代が飛んで、享保年間(1716~1735)に出された禁令には紬を着ても良い身分についての言及があります。つまり、江戸時代に奄美大島では紬が自家用もしくは献上用として生産されていたということになります。また、現存する江戸時代の大島紬の端切れは、綿製で所謂「絣」の一種であったと思われます。そして明治七年(1874)に大島紬は鹿児島県本土に伝わったと言われています。

 ではなぜこの一地方の絣が、東の結城、西の大島と呼ばれるまでの高級品になったのかと言うと、明治二十二年(1889)の国内勧業博覧会で好評を博したことに端を発します。ここで注目された大島紬は日清戦争(1894)ごろに需要が増え、それに対応するため原料が綿製から絹製へ移り変わり、さらに日露戦争(1904)時の戦費調達のために織物消費税(非常時特別法として)を課されるに至り、大島紬は品質改善され、今日に至る高級織物へとなりました。

 もうすこし難しい話が続きます。大正時代には景気変動の波を受けながらも、他の著名な紬産地の技術者を招へいし、従来の絣らしい井の字をした柄以外にも様々な柄が生み出されました。そして、昭和四年(1929)に鹿児島県立大島染織指導所が設立され、現在のような泥染め、藍染め、色大島などのバリエーションが増えることになりました。

 第二次世界大戦は、大島紬にも甚大な影響を及ぼしました。産地の一つである奄美大島は米国領となり、昭和二十八年(1953)の返還まで細々とこの伝統工芸産業を続けるしかなかったのです。その後、加工技術の改善や後進育成に尽力した結果、高度経済成長期の到来とともに、日本の伝統工芸品としての確固たる地位を築きました。

 大島紬の主な産地は宮崎県と鹿児島県と鹿児島県奄美大島の三つです。他にも村山大島という東京で生産された着物も「大島」と呼ばれますが、それは後述します。

 産地によってそれぞれ特色がありますが全て本物の「大島紬」です。

 まず、奄美大島の大島紬について。特徴は鉄分を主とする金属元素を多く含む泥染めによる黒褐色や烏の濡羽色をした生地です。鹿児島県の大島紬には藍染めが多いです。なぜなら奄美大島の様に鉄分の多い土地柄ではない為です。宮崎県の大島紬は柔らかい色調の「色大島」と呼ばれる、淡い色合いの着物を作っています。宮崎県都城市に戦後、奄美大島出身の職人が独自の大島紬を研究した精華です。

 今日の大島紬が高級品である理由は述べた通りです。そして次に村山大島について述べます。大正時代、大島紬が高級路線に舵を切ったのに対し、関東を産地とする絣(後に銘仙に発展)を発展させた、本場大島紬よりも安価な普段着として生産された伝統工芸品です。織り方や柄が似ているので「大島」と呼ばれますが、染める工程が違うので別物です。特徴として、銘仙の流れをくむ織物なので、大胆な柄や華やかな柄が多いです。

 しかし、村山大島が紬の伝統に即して生産されているのに対し、昭和四十五年(1970)ごろに韓国に大島紬の技術が流出し、韓国産大島紬が輸入されたこともあるのです。このあたりが「大島紬」をめぐるややこしさの原因かなあと思います。

 現在、ネットオークションでみられる「大島紬」には、本場の大島紬、東京村山の大島紬、韓国産の大島紬に分けられます。歴史やら技術やらの難しい話になってしまったので、あまり難しいことを書きたくないのですが、梅戸は、着物は好きなものを好きなようにきればいいと思っているので、三者どれを着ても、所詮紬。ジーパンにパーカーです。

 ただ、大島紬=自動車一台分の高級着物!それがいまならプレステ4と同じ値段!みたいに煽り、違う大島を売りつける呉服屋もいるらしいのでそれは詐欺だと思うのです。また、ネットオークションで「大島紬・コンシューマーゲーム一本分のお値段」で出品している人もどうかなあと。ネットオークションでは「韓国産」や「村山大島」などの表記がされている事も多いのでまだいいのかなあと。

 じゃあ、どうすればネットや呉服屋でちゃんとした「本場大島紬」を手に入れられるのか?と言うと、「証紙」が大事になります。この「証紙」と言うのは、大島に限らず着物・帯全てに共通する布地の履歴書です。

 大島紬の場合、鹿児島県の大島紬は二本の旗印、奄美諸島の大島紬は地球のマーク、都城市の大島紬は鶴のマークになります。全てに国の伝統工芸品であることを示す伝の字と赤丸が組み合わされたマークがついています。村山大島にも証紙があります。九州の大島紬と同様に国の伝統工芸品マークがついていますが、証紙にはっきりと村山大島紬の字が書かれています。これがついていなくて、反物の端に「大島紬」としか書かれていないものは韓国産の可能性があります。

 読者の方には着物にお金をかけるくらいならカメラのハイアマ旗艦機買うわとか、ソシャゲに全部突っ込んでランキング上位狙いますとか、新しいロード買いたいわなどと思われる方が大半だと思います。梅戸も大島紬を買うくらいならツァイスのレンズかペンタックスフルサイズ機を買います。

 ただ、ひょんなことから高級着物に縁ができてしまわれた方は、なんかこの部分だけ流し読みされて、証紙で調べてその生地なり由来なりの真贋を確かめる一助になればいいなとか思いました。

 最後にこの文章を読んでどこか気になることがありましたら、ご質問ください。

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