和装と洋装の過渡期に際して

 祖母が何十年か前までは普段に着ていたであろうウールの着物と綿の着物を、祖母の旧宅から発掘したので、糸切はさみとカッターで解いていきます。着物を解くのも大分手馴れてきた頃、木綿糸で縫われた部分は一息に裂くと、綺麗に解けることを発見したので、この日もばりばり、ぶちぶち糸を切りながら着物を解いていきます。

 本来ならば、古い着物は生地が弱っているためそのような乱暴な解き方はよした方がいいのですが、この着物も片付け嫌いの祖母が保管していたため薄汚れ色あせていたものなので、ありがたみが感じられず割と雑に解いているのです。

 綿の着物の背中心を思いっきり引っ張ったところ、いつもなら二枚の布に分かれるところが、分かれずに布の重なり目が出てきただけでした。これは着物の生地の寸法と異なる生地で作られた着物みたいでした。

 何時仕立てられたものかは不明ですが、おそらく昭和三十~四十年代ごろでしょうか。母が幼かったころだと思います。とにかく、この矢がすりの生地は和装用ではなく洋装用の生地の寸法で仕立てられたものでした。

 日本人の普段着がいつ頃から着物から洋服へいつ頃移り変わったのかは詳しく知りませんし、精察すれば地域差、職業差も当然あるのでややこしくなるかと思います。

 ただ、祖母の着物から推察するに当たって、梅戸の棲んでいるド田舎の百姓は日本の高度成長期くらいから和装と洋装がいりまじってきたのかなぁなどと思いました。

 明治維新が1868年、それから地方の日本人が普段着に洋服を着るようになるまでにおおよそ百年近くかかった計算になります。

 だいぶ話が変わりますが、夏目漱石の『現代日本の開化』という作品に「西洋の文明開化は内発的であって、日本の現代の開化は外発的である―中略―西洋で百年かかってようやく今日に発展した開化を日本人が十年に年期をつづめて、しかも空虚の誹りを免れるように、誰が見ても内発的であると認めるような推移をやろうとすればこれまた由々しき結果に陥るのであります。」との文章があります。

 着物の生地が、三十六センチ幅の狭く長い布地ではなく、今日の手芸屋で見かけるような110センチ幅や80センチ幅など、洋裁を規格とした布地で仕立てられるようになっていたことを知り、私は、夏目漱石の言っていた「文明開化」を想起せずには居られなかったのです。

 高度経済成長期にあって、一地方の百姓の普段着にも確実に「西洋化」「近代化」「分明開化」の印があらわれていたのだなあと感じました。

 結局、解いた綿の着物は祖母の大きめのバッグに仕立てました。この着物の生地を見て昔を思い出すようなことはありませんでした。

 

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