48 誕生


 戦艦ハコビ・タクナイは健在だった。


 フロンデイアとリバタニア、両軍本隊同士の苛烈な戦闘の中、手持ち弾薬を使い果たしたハコビ・タクナイは、戦場外へと離脱すべく、いさぎのよい後退を行った。


「艦長、あの光点は――」

 スクリーンを見やっていた副官、ビヨンド・ダ・ソソソゴーン・ソソソゴーン・ソソソゴーンが、点滅する「それ」に気づいた。


「おそらく……脱出用ポッドだな。回収だ。ただし、用心してかかれ」

 キモイキモイ艦長が指示を出す。


 機動哲学先生モビル・ティーチャーのコックピットを包む、球形の脱出ポッド。


 これで脱出すれば、生き残る可能性も0ではない――、が、戦場では、脱出用ポッドが回収されるとは限らない。


 なにせ、空気もない、広大な宇宙空間。


 ハコビ・タクナイは、このポッドも運ばざるを得ないようだ。


 戦艦の前部下方に格納庫。そこに脱出用ポッドを収容し、ポッドのハッチの横に設けられたドアフォンを、戦艦ハコビ・タクナイの下士官が押す。


 ピンポーン。


 ――


 ――


 しばし時を置き、ポッドから出てきたのは、リバタニア軍の生徒搭乗者スチューロットスーツに身を包んだ青年だった。


「フロンデイア軍所属、戦艦ハコビ・タクナイ。艦長のキモイキモイです。生還、おめでとうございます」

 キモイキモイは、艦を代表してそう声をかけ、敬礼を施した。右手をこめかみに当てる、C字型の敬礼。


 敵軍であっても、生還者に対しては敬意を払うのが、フロンデイア軍の習わしとなっていた。


「救助、ありがとうございます。リバタニア軍の生徒搭乗者スチューロット、シュー・トミトクルと申します」

 ポッドから現れた青年は、リバタニア式の「おにぎり型」の敬礼でそれに応えた。


 ◆


 両軍は終戦を迎え、和平協定が結ばれた。


 リバタニア軍は当初、圧倒的な戦力を有していた。それが、フロンデイア軍の各個撃破戦法に振り回され、本隊同士の互角の決戦まで持ち込まれた。


 リバタニア軍本隊は最終局面を良く戦い、壊滅することもなかったが、逆に、フロンデイア軍本隊を打倒することも適わなかった。


 生き残ったリバタニア軍は、残兵をまとめつつ、宇宙基地ムー・ムラムラまで後退。一応の決着をみた。


 ――


 そして、戦略レベルの事項が、その後の流れを決定付けた。

 

 思考に反応する金属「ニョイニウム」を発掘しているのは、辺境フロンティア探索者エクスプローラー達である。


 そしてリバタニアは、今後発掘されるニョイニウムの、力による物流支配に「失敗」した。


 再遠征には、多くの人、モノ、金、そして時間がかかる。


 リバタニア軍が再戦への準備をしている間に、フロンデイアは、さらに力をつけるだろう。

 

 かかる状況の下、両陣営において「大人の判断」がなされた。


 フロンデイアも、望んでいるのは、「リバタニアの滅亡」ではない。


 自由と、の安堵。

 

 ――国は変われど、その本質は同じだった。

 

 巷に流布された情報によると、和平の大枠は、以下の通りであった。


 ・戦闘行為を直ちに停止する

 ・リバタニア軍の首脳陣を、罪には問わない

 ・リバタニア軍は、フロンデイアが今後発掘、生産する物資の収奪権を放棄する 


 実質的には、フロンデイアに有利な条項での和平。


 時が推移すれば、最終的にフロンデイアが力を圧倒的に延ばし、リバタニアは縮小の道をたどるだろう。


 ――

 

 なお、未確認情報ではあるが、両者の間には、密約があると言われている。


 「リバタニアの、ごく一部の首脳陣に対して、一定量の物資、金員の融通を、フロンデイアが定期的に行う事」


 この密約については、両国とも肯定も否定もせず、「ただの風説にすぎない」として、公には沈黙を守っている。


 ◆

 

 概念宇宙暦187イヤナ年。

 

 多くの惑星において、季節は、冬から春へと切り替わる。


 風に舞う夢見草さくらが、辺境の星を彩る。

 

 前方に手を伸ばし、それを掴む右手。

 

 宇宙港に並ぶ、数々の艦艇。


 発着ステーションは老若男女でにぎわっていた。


 集まった船団は、今日、さらなる深宇宙へ向かって旅立つ。


 フロンデイアは、辺境へ向かい、星々を開拓していく探検家エクスプローラーの集まり。


 進発式は既に済み、これから発進を待つばかり。

   

 出航ゲートには見送り。


 かつて、戦艦ハコビ・タクナイで共に戦ったクルー達。


「お、コムロ君! いたいた!」

 艦長であったキモイキモイが、人だかりの中のコムロを見つけた。


「あ、艦長! みんなも。――ちょっとすみません」

 自分を取り囲んでいた沢山の人を押しのけて、コムロはかつての仲間の所へと走った。

 

 ――コムロの脱出用ポッドも、フロンデイア側の補給艦に発見され、一命を取り留めたのだ。

 

「待ってよ、コムロ」

 幼馴染の少女モラウ・ボウも、みんなの所へ一緒に駆け出す。


 ――


「頑張れよ」

「コムロ、お前ならできるよ」

「生きて、また会おうぜ」


 かつてのクルー達から、激励の言葉を貰う。


「ありがとうございます」

 コムロは頭を下げる。


 見送りの中には、惑星サンドシーで、かつてコムロ達と共に暮らしていた「生存者」も居た。

 

 その中から、女性が1人、進み出た。

「あなた方のおかげで、先の大戦を生き残れました。本当に有難うございました。もう歳ですし、ほれ、この、小さな孫も居ます。ご一緒できないのは残念ですが、ご健闘をお祈り致します」

 そう言ってその女性は、丁寧にお辞儀をした。


「いえいえ、皆さんも、お元気で」

 笑顔で返す、コムロ。 

 

 孫は女児だった。長い進発式の式典で、飽き飽きしたのだろう。「これ、おまえもお礼を言わんか!」という祖母に反抗し、「お家帰る!」と泣いていた。

 

 モラウ・ボウがその女児の前にしゃがみこみ、棒状の物体を差し出した。


「あげるね。辛い時には、これが助けてくれるわ。私は、これから行く先で、また見つけるから」


 女児は数秒間、モラウが差し出したニョイ・ボウを見つめた後、答えた。

「……いらない。そんな謎の塊」


 ――

  

 ――


「アゲル・ボウにはなれなかったね」

 コムロがそう言って笑った。

 

「この歳で、かたまりという言葉を知っているのは、すごいな」

 キモイキモイは感心していた。

   

 ニョイーーーーン!ニョイ・ボウの音、α波発生

   

 ニョイーーーーン!ニョイ・ボウの音、α波発生


「棒じゃなく、かたまりだと認識しているんだね、このは」

 涼しい笑顔でボソリと言う、元副官のビヨンド・ダ・ソソソゴーン・ソソソゴーン・ソソソゴーン。


「ソシュールですね。モラウとこのでは、言葉における区別のシステムが違うってこ……」

 コムロのその言葉の途中で――


 ドーン! (モラウ・ボウの激高音)


 ドーン! (モラウ・ボウの激高音)


 ドーン! (モラウ・ボウの激高音)


「あああ、ごめんごめん。モラウ」


 ニョイーーーーン!ニョイ・ボウの音、α波発生

   

 ニョイーーーーン!ニョイ・ボウの音、α波発生


 ニョイーーーーン!ニョイ・ボウの音、α波発生

   

 ニョイーーーーン!ニョイ・ボウの音、α波発生


 ニョイーーーーン!ニョイ・ボウの音、α波発生

   

「孫が大変失礼な事を。申し訳ありません」

 女児の祖母は、再び頭を下げた。

 

「いえいえ! お孫さんは悪くないんですよ。こっちこそごめんなさい」

 あわてて頭を下げるモラウ・ボウ。


 その姿を見たコムロは小さく笑って、後ろの出航ゲートをチラリと見やった。

 

「――行くんだな、コムロ」

 それに気付いた元艦長のキモイキモイが、右手を伸ばす。

 

「はい。行ってきます」

 コムロは、かつての仲間達と、敬礼では無く、握手で別れた。


 ――

 

 ベルトコンベヤ式のタラップに、コムロは足を踏み入れる。

 

 コンベヤの先には、船団の旗艦「オートノミー」が鎮座していた。

 

 辺境を開拓する船団の、としての、コムロの新しい歴史のスタートが、刻一刻と近づく。 


 後ろには、参謀役のシュー・トミトクル。幼馴染のモラウ・ボウもいた。

 

 ◆

 

 機動哲学先生モビル・ティーチャーカントムから「卒業」したコムロが、船団のリーダー役を拝命した際、コムロは幼馴染の少女に聞いた。


「君は、どうする? モラウ」


「ついて行くに、決まってるでしょ? コムロの話は小難しいんだから。私が居ないと、言いたい事、みんなに伝わらないよ?」

 モラウは即答した。彼女のポケットに入ったニョイ・ボウは、トウッ! トウッ! と音を発していた。


「たしかに、そうかもな」

 コムロは、納得気に頷いた。


「それに――、まだ、コムロから説明してもらってないし。自律とか他律とか」

「え……何の事だっけ?」


 —— モラウ・ボウの激高充填率: 100%  


 ドーン! (モラウ・ボウの激高音)


「覚えてないの!? 分かるように説明するって、言ったじゃない! コムロは!」


 ニョイーーーーン!ニョイ・ボウの音、α波発生


 ニョイーーーーン!ニョイ・ボウの音、α波発生


 ――

 

 ――


 ◆

 

 コムロはシューを信頼していた。

 

 かつては敵軍リバタニアの兵士であり、コムロと刃を交えたこともある青年は、戦争終結後にフロンデイアへの異動を選択した。

 

 その逆の、フロンデイアからリバタニアへの異動は、和平条約上、許されていなかった。フロンデイアは人材を多く欲していたのだ。

 

 シューは新転地でもメキメキと頭角を現したが、元、敵兵である。集団のトップに擁立されることは無かった。

 

 コムロを経験で上回るシューの助言は現実的で示唆に富むが、コムロの意見とはしょっちゅう食い違った。

 

「新転地では、争いのない社会体制を築きたい」

 と主張するコムロに対し、


「そんな事はできない。人はどこでも同じだ。どうせまた、争いが起こる」

 それが、シューの返答だった。

 

 コムロは、自己の主張を否定するその返答は、嫌いではなかった。

 

 ――かつてのヒューマン哲学者に、レヴィナスという人物がいる。

 

 レヴィナスは「他者論」について語った。

 

 決して手に入らないもの。決して全体性1つの価値観に回収されない無限の存在。他者。


 私の主張を否定してくる者。私の理解をすりぬける者。それが他者。

 

 だが、有り難い存在でもある。

 

 他者は、私と言う存在を自己完結から救い出してくれる唯一の希望であり、無限の可能性でもある。


 他者による手ひどい否定。

 

 それが人に、止揚アウフヘーベンを、進歩をもたらす。


 私がどんな真理を持ち出して正しいと叫んでも、それを否定する他者が、必ず存在する。


 絶対に確実なのは、私と他者の存在。


 デカルトに近い表現で言えば、我思う、故に、他者あり。


 だからコムロは、シューの言葉に耳を傾ける。


 そして、


「僕は信じる。人の尊厳を」

 シューにとっての他者として、コムロは答える。 

 

 少なくともコムロは、選ぶべくして選んだ。これから始まる、「糧の総体」を広げる旅を。

 

「人の繁栄のため、争いを避けるために、辺境フロンティアを目指す。その指揮をとる」

 ゆっくりと宣言するコムロ。


 それが、カントム先生への恩返しの、1つの形であると、コムロは考えていた。


「他律か? 自律ではないんだな?」

 シュー・トミトクルが問う。


「定言命法ではない。けれど――」

 コムロが答える。


 イマヌエル・カントの「自律」の定義は厳格だ。

 人間の行動には、他律も多く入り込むだろう。


 コムロは、それで良いと考えていた。

 

 コムロはシューに、口に出してはこう続けた。  

「僕は、それが善であると信じて、それを行う」


 弟子が師匠と同じ考えとは限らない。

 プラトンとアリストテレスだってそうだ。 


 イマヌエル・カントの「先験的ア・プリオリ経験的ア・ポステリオリ」にとらわれず、「自律/他律」にもとらわれず、自分なりの思考を進めて、自分なりの結論をだす。


 ――それが、哲学者なのではないだろうか? 



 新転地に希望を見出す哲学者コムロ

 

 それを否定する、絶望から始まった哲学者シュー

 


 2人の哲学者が、旗艦「オートノミー」へと乗り込む。

 

 ――


「全艦、発進!」

 コムロが号令を出す。彼が座る指揮シートの傍らには、父の形見の哲学書。


 副官席のシュー・トミトクルの手には、桜の花弁夢見草が2枚。

 

「……行ってくるよ、2人共」

 副官は小さくつぶやく。


 ドシュウウウウウウウウウ!


 彼らを乗せた、数々の宇宙船が、一斉に推進剤を吐き出す。

 

 絶対温度3度の世界 ―宇宙空間― へと旅立っていく。

 

 その船達の、フロント・スクリーンに映るもの。

 

 彼らが向かう先には、


 人類がまだ、見たことのない星空 ―存在が始まる世界― が、広がっていた。



 機動哲学先生カントム ―完―

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(旧版)機動哲学先生カントム ~哲学をだいなしにするニョイーン~ にぽっくめいきんぐ @nipockmaking

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