その後
「
片方しかない腕で曾祖父は手招いてきた。
「出かけたい」
「そうだね。建国祭だもんね」
出かけると告げると、台所に立った母は背中を向けたまま返事をしてきた。
一張羅のまま駆け回る弟や妹たちの間を縫って門まで出て、杖と片方しかない脚で立つ老体と並ぶ。それから歩き出す。
王城が
街の家々の門前は花と薬玉で飾り立てられ、道行く人々の衣裳もとびっきりの艶やかさを誇っている。
今年はもともとの住人達だけでなく、川の上流や海の向こうから見物に来た人も多いようだ。絹の衣裳も綿や麻のそれも一緒になって風にたなびく。
「じい様、どこから行きたい?」
喧騒の中、声を張り上げて問うと、彼は低い声で応じてくれた。
「そりゃあ、鮮血王様の墓前からに決まってるだろうが」
「そうだよね。何を用意しようか」
「心ひとつあればいいさ」
曾祖父は笑い、十何年も通っているのだろう道を真っすぐに進んでいく。
道の先には王家の菩提寺。花束を抱えた人々が吸い込まれ、手ぶらの人たちが押し出されてきて、今、西寧の都で一番賑わっている。
「毎年毎年すごい人だな」
「仕方ないじゃん。建国祭って、ようは鮮血王様の勝利を祝うお祭りなんでしょ?」
したり顔で言うと、祖父は肩を竦めた。
「あいつがコレを喜ぶとは思えんがね」
この曾祖父の言う『あいつ』が過去の王本人を指すのだと――奏牙が生まれる前に身罷った先々代の王を言っているのだと知った時、彼は驚くことしかできなかった。
湖南王国の先々代の王は、俗に『鮮血王』と呼ばれている。
内乱を収めて王位についた彼は、戦中敵軍を皆殺しにした、投降してきた将を晒し首にしたという話を初め、即位後も反対勢力を粛清した、賊に責め苦を負わせ続けたなど、何かと血の匂いが絶えないのだ。
旧来の身分を排し、この国の繁栄の礎を築いた功績が評価される一方で、何かと恐れられ嫌われていると云って良い。
一方で、連れ合いの王妃は関わる人を和ませ、笑顔を与えてきた。正確な名も記されていない彼女は、その懐深さ故、死してなお敬られている。
正反対に評される二人だが、仲睦まじく、その墓は並んで建てられた。
二人の墓には今もなお、追悼の花が飾られ続けている。
その花が一番積み上がるのが今日だ。色とりどりの香りに目が回る。
「手ぶらでよかっただろう?」
「そうかもね」
花だらけの祭壇に手だけ合わせて、祖父と二人、郊外の丘の上へ。
街の側を流れる川を見下ろすそこに、ただ通るだけでは気付きようもない、知っている人でないと分からない墓があるのだと、奏牙は知っている。
そこにも祖父は残った手を立てて目を閉じるだけだ。
風が月桃の葉を揺らし、池の蓮の花が反対側に流されて行ってようやく立ち上がるほどの、長い時間祈っていたけれど。
「じゃあ、最後に
頷き、並んで歩き出す。市街と丘に向かう道すがらにある寺院で眠っている人だから、行きに寄っても良かったんじゃないかと思いながら。
「なんで羅英小父さんはそこのお寺に弔ったの?」
「先に
「小父さん、弟と一緒になりたかったんだ……」
「結局、あいつは嫁を貰うんじゃなくて、医者としての研究で一生を終わらせちまったな」
「そんなに医学を研究してたんだったら、じい様の足と腕も生やしといてくれたら良かったのに」
「これはこれでいいんだよ」
皺だらけの顔をくしゃくしゃにして、曾祖父は笑った。
笑って墓を掃除して、通りに戻ると、そこには一等華やかな行列が通っていた。
年に一度しか拝めない、国王陛下の行列だ。
沿道の人々が振る花笠、揺らされる幟、その一つ一つに中央の輿に乗った人は碧い眸を煌めかせている。賢王と名高い先代の王の後を継ぎ、ますますこの国を盛り上げていくのだろう眸。それを見上げて、祖父はまた笑んだ。
嬉しそうだ。
奏牙もまた、その眉目秀麗という言葉がふさわしい顔立ちを見上げ、笑った。
「じい様はなんで笑ってるの」
「うるせえよ」
「うるさくないよ。建国祭の夜にお酒を呑んでずっと喋っているじい様より、余程静かだよ?」
「……屁理屈こねやがって、かわいくねえ」
溜め息を吐いて踵を返した背中を追いかける。
「母さんが御馳走を作って待ってる」
「毎年有難いな」
「沢山食べて、沢山吞んで、沢山喋ってね」
「今更、何をだよ」
喉を鳴らす曾祖父は、雨上がりの濡れた葉の色をした眸に柔らかい光を宿している。
「今夜は桂雅様のことを聴かせてよ」
言うと、その光はもっと和いで、澄んだ空と鮮やかな街を映しとった。
(了)
金色の眸に映る世界 秋保千代子 @chiyoko_aki
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