あとがき

 弁解の意味もこめて、あとがきを書いておこうと思う。またこれは、あとがきとして作品の解説と作者としての感想も含まれているが、そこまで深入りはしないつもりなので、当短篇集の何を読もうかと思われた際には、その手引きになるかもしれない。

 『噂話の顛末』は、「でまかせが本当になる」、いわゆる嘘から出た真をモチーフにしたよく見かける都市伝説風の怪談に、ホルヘ・ルイス・ボルヘスの『円環の廃墟』の話の流れを合わせたものである。少々とっ散らかってしまったが、言わんとするところは察していただけるものと思う。また興味を持った方は、ここから『伝奇集』をご購入するのもおすすめである。

 『王の到来』は、悪趣味な小説だと自分でも思う。平凡な日常を送る人間が王に迎えられるというのは、よくある異世界転生モノにも見受けられるが、これはそれらに類する話とは趣の違うということは、簡単にわかっていただけると思う。

 『裁縫をする男』は、もともとこれだけで少し長めの文を創ろうかと思っていた。が、その男の心理に密着した状態で延々と綴ると、思想のない『さかしま』のようになり、屑のような話になってしまうから、それを危惧して、あえて娘を悲惨な運命に辱める手段をとった。結果、いくらかお粗末さが繕えたかと思う。

 『アダムとイヴとカオス』は、気晴らしに読んでいた本に、グノーシス派が取り上げられていたから、それに想を得て書いてみた。だが、これは結果として酷く退屈なものとなってしまった。これをおすすめすることは、あまりできない。

 『永劫』は、これまたドルイド教に想を得た。コンセプトとしての、世界知の獲得に重きを置き、また生身で人の歴史を感ずる神秘的体験も表現した。これはなかなかの良い出来だと思う。

 『合わせ鏡と少女』は、この短篇集の中では渾身の出来となった。もともと少女が合わせ鏡の果てに恐ろしいものを見てしまうというコンセプトで進めようと思っていたが、合わせ鏡の時間の含有性に着目し、そこに時間の錯綜を盛り込んだ。結果、煩雑になることもなく、散らかることも避けることができた。本当は、結末の示唆する意味を明記したいのだが、それは無粋なことであると愚考し、あえて読み手の推理にゆだねることにした。この短篇集を読んでいただけるなら、ぜひ拙書をご一読願いたい。きっと期待を裏切らないはずである。

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奇談拾遺 黒桐 @shibusawa9113

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