ロボットに育てられ、人間との接点がなかった。そんな少女が人間社会に現れたら、というお話。
この骨子で思い浮かべるのは、いくつも事例のある野生動物に育てられた人間の子どものお話。
やはり人間社会へ戻されようとして、なかなかうまくいかなかったという。
本作の少女に対する周囲の反応、存在による影響が詳細だなと感じます。
リアリティーがあって、たしかにこうなるかもと何度も頷きました。
この少女がどうなるのか。というより、この少女はなんなのかというお話なのかもしれません。実はアンドロイドだったとか、ひねった話ではなく。
ただの人間の少女がロボットに育てられて、どんな存在になったのか。
私はまた、たしかにと頷くこととなりました。
面白かったです。
少し関係ない内容になってしまうかもしれませんが、あくまで私個人の感想だと思って聞き流して頂ければ幸いです。
現代アメリカでは人種間対立が深まったことで、その人の属性によってその人の個性を決めつけるような考え方が広く蔓延するようになってきています。つまり黒人差別をやめろと主張しているのに、黒人は黒人らしく振る舞うべきだと。
こういう社会から個性を強制されるような事態が、なんとなく作中の人間は人間らしく振る舞うべきだという主張と重なって見えました。作中のミライのように自分らしさを見失わないような社会になってほしいと私は考えています。
長くなってしまいましたが、とても面白かったです!ありがとうございました!
まず全体を通して、これだけの短編にも関わらず細やかな描写かつ物語の流れが自然。物語の発想は勿論、考えさせられるという意味でもとても面白い。
この短編を読んだ今、レビューを書きながら頭の中で色々な思考を巡らせている。
人間らしいとは何か。
感情・理性・知性・欲望…それらを持って行動出来る者を人間と定義するなら、それらが欠損した時に人間らしくはないとなる。
欠損するのはどういう時か。
その多くは己が少数派になるのを恐れる時だと思う。
物語で言うなら影響力の大きいメディアが該当するだろう。
それが当たり前であるかのように周知されると他人の意見、多数の意見に流されていく。
人は自分を「当たり前」という基準にした場合、あまりにもかけ離れた者に対して「違う目」で見る。だがそれは「自分」を「周り」に置き換えた場合も同じで、周りが当たり前に染まる中で自分が染まらないままでいると「違う目」で見られることになる。
「こう在るべきだ」という人間の固定観念はおそらくいつの時代も続くのだろう。
特にこの日本においては国民性とも言うべきなのか、日常的にそれを感じてしまうことが多々ある。
固定観念に囚われて身動きがとれない人間も、そう言った意味ではロボットなのかもしれない。
少女の人間らしさが見える、生き方を尊重してあげられる優しい物語だった。