10.誰かを想う気持ちとか
紘登が麗哉に手紙を書いている間に、窓の外を眺めていた日山が麗哉に声をかけた。空気を読まずに麗哉に話しかける日山の度胸は買うが、馴れ馴れしく唾を飛ばしながら笑うのはどうかと思ったその瞬間、麗哉が微かに笑ったように見えた。言葉を書く手が止まる。
あれ? 麗哉って、他の誰かにもこんな風に笑うのか。
何故だろう、こんな些細なことで気持ちが妬け焦げて、痛くて、苦しくて、辛い。
『君と過ごすようになって、僕は少し変わることができた。嫌いだった学校に行くのが楽しみになった。君に会えるからだ。
僕はもっと君に近づきたい。君の笑顔を近くで見たいし、その笑顔が僕に向けられたものならなお嬉しい。君を独り占めしたい。他の誰かと言葉を交わす君を見るのも、誰かの視界に君が入るのも嫌だ。僕は君の傍にいたい。僕は君のことが世界で一番―――――。』
「これ、何?」
麗哉の声には抑揚が無かったけど、怒っていることが明確に感じ取れた。手紙は乱雑に折り畳まれて、麗哉の手の中にあった。誰もいない放課後の図書室で、時計の音がやけに大きく響くように感じた。
「手紙」
「だから何だと聞いているんだ」
「何だって言われても……」
「何?」
「いや、あの……あはは……」
どうやら完全な空回りだったようだ。麗哉の反応を見て、手紙というのは受け手の気持ちを考えず、自分が伝えたいことを一方的に主張するだけの自己満足的なツールであることに気づいた。紘登が次の言葉に困っていると、麗哉が大きな溜息をついた。
「なんでこうなるんだよ」
麗哉の手に力が入って、握られていた手紙がクシャリと音を立てた。
「俺はこんな言葉が欲しいんじゃない」
拒絶。蹂躙。二つの単語が紘登の頭に浮かんで消えた。今にも背を向けて去ってしまいそうな麗哉を引き止める声が震えた。
「……それ、どういうこと?」
「お前がバカだってことだよ」
麗哉にこう言われては、紘登は手詰まりだ。紘登の気持ちは行き場を無くし、静かに悲鳴を上げた。
「――――なんで泣くんだ」
紘登の目から涙が溢れた。麗哉の姿が滲んで見えなくなる。紘登は答えずに情動に任せて涙を流した。涙が流れるごとに、紘登が持っていた麗哉への曖昧な好意の本質が明確になっていく。麗哉といると楽しい。嬉しい。好きだ。見ていたい。傍にいたい。愛してる。触りたい。欲しい。
五分ほどそうしていただろうか。涙が尽き始めた紘登に麗哉がハンカチを差し出した。紘登はそれを受け取って涙を拭い、口元に当てた。麗哉の匂いがする。麗哉の表情からは不機嫌の色はなく、代わりに微かな戸惑いが浮かんでいた。この沈黙を破るのは自分の役割だと悟り、喉元につっかえるものを感じながら、紘登は話を始めた。
「麗哉の言うとおり、僕はバカだよ。バカだからこんな手紙を書いちゃうし、こんな手紙を書いちゃうくらい、寝ても覚めても君のことを考えてる。君から目が離せないし、君以外のことなんてどうでもいい。僕はずっと君を見ていたから、君と仲良くなれて、うれしかったんだよ……」
こんなことを言ったら、せっかく築くことができた関係が壊れるかもしれない。決定的な断絶になってしまうかもしれない。それでも伝えたい。この気持ちが届いてほしい。
「だいたい、君があんなことをするから僕もおかしくなっちゃったんだよ。説明してくれよ。あれはなんだったんだの……?」
麗哉は無表情のまま目を伏せた。何かを言いあぐねるように、唇を微かに震わせている。紘登は麗哉の伏せたまぶたにうっすらと見える二重の線から目が離せなかった。こんな表情まで絵になるんだから、困る。
「……わかるかと思ったんだ」
その目は伏せたまま、机に置かれた本を眩しそうに捉え、何かを渇望するように、麗哉は言葉を紡いだ。
「知りたいんだ。俺にはわからない。……お前が手紙に書いたみたいな、誰かを想う、気持ちとか。今まで感じたことがないことを、俺は知りたい。そういう好意を、誰かに対して持ってみたい。お前が相手ならもしかしたらって思ったけど、うまくいかなかったな。お前が先に落ちた」
かつて、麗哉は「愛がわからない」と言っていた。
「相手がいないとできないことだ。もしお前が俺に好意的でいてくれるなら……お前がここに書いたのと同じ気持ちを、俺に感じさせてくれないか」
なんだよ、それ。
応えられずに唇を噛む紘登を見て、何を判断したのか、麗哉は諦めたように目を閉じた。
「…………悪かったな」
拙かろうが、言葉にしないと解らない。
頭に浮かんだいつかの麗哉の言葉が、紘登を突き動かした。
そんなの、いいに決まってるだろ。
「……仕方ないな」
麗哉の頬に手を添える。逃げないように、動かないようにしっかりと固定した。さっきまで泣いていたのは紘登なのに、今では麗哉の方が泣き出しそうな顔をしていた。
「僕が教えてやるよ」
紘登の心臓が爆発しそうなほどに早鐘を打つ。紘登は唇を麗哉に重ねた。紘登は唇を固く閉ざしていたが、麗哉が重ねたままの唇をわずかに開いて言葉を発した。
「力、抜いて。……そう。できるじゃないか」
麗哉の吐息がかかるのを感じて、くすぐったいものが背筋を這い上がった。彼のまつげが頬に当たる。麗哉の手が首筋に添えられた。仕掛けたのは紘登なのに、立場が逆転してしまった。麗哉が微かに笑った。麗哉は笑うだけで傍らにいる者を幸せにする。紘登は、麗哉にもらってばかりだと思った。唇の間を割るように、麗哉の舌が紘登の口内に入る。紘登は麗哉に従った。
今宵、君で愛を騙る 木遥 @kiharu_07
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