●11. ヒダリの中の人は
午前最後の授業が終わって、昼休みの始まりを告げるチャイムが鳴った。
生徒たちは教師が出ていくのを待たずに、早速わいわいと騒ぎ始める。机を寄せてお弁当を広げる者もいれば、学食やコンビニへ行こうという者もいる。俺は日によってまちまちだが、今日は母君から弁当を持たされていた。弁当がある日は、いつもならオタ友と集まって駄弁りながら食べるのだけど、今日は他に用事があった。
「皆元、いいか?」
俺は早々に教室を出ていこうとしていた皆元を、廊下に出てすぐのところで辛うじて捕まえた。
「……金曜のことか? それとも、今朝のことで何かあるのか?」
皆元は呼び止められたことに戸惑いを見せたものの、俺だと分かると表情を緩めて聞き返してきた。
今朝のこと――俺と堀川が一言ずつ交しただけの極々短いやり取りは、あのあと間もなく鳴った始業チャイムで、少なくとも表面上はうやむやにされた。誰も堀川に問い質すことはできず、俺はひたすら寝たふりを通したからだ。堀川がいる教室で、俺の狸寝入りを止めさせてまで今朝のことを問い詰めようとする猛者はいなかった。
昼休みになったと同時に弁当を持って教室を出たのは、皆元を追いかける意味もあったけれど、追求したそうにこちらを見ている視線から逃げるためでもあった。
それはさておき、
「強いて言うならどっちもだ。とにかく、飯を食いながら話せるところに行こう」
俺は皆元の問いに答えると、先にたって足早に歩き出した。とにかく教室から遠ざかりたかったのだ。
それから数分後、俺と皆元は校舎裏の犬走りに並んでしゃがみ、昼食をぱくついていた。俺は弁当で、皆元は登校途中に買ってきていたという棒形クッキーみたいな栄養食品だ。なお、互いに飲み物はない。俺も皆元も、飲み物に使う金があったら趣味に使う派だ。
五月も深まったこの時季、校舎の外に出て昼食を食べる生徒もそれなりにいるせいで、人気のないところを探して裏手のほうへと進んでいるうちに、校舎裏の薄汚れた犬走りに尻を付けないようにしゃがんで食べる羽目になったのだった。
しゃがんだ体勢を維持したままでいるのは結構きつくて、俺は弁当を掻っ込むように平らげた。空になった弁当箱を膝から退かして立ち上がり、ゆっくりと屈伸して膝を解す。そうしながら隣を見やると、皆元もすでにクッキーバーみたいものを食べ終わっていた。
「食べながら話すつもりだったんだけど、食べてから話すことになっちゃったな」
俺は苦笑を浮かべて話を切り出した。
「ちょうど良かった。食べながら話すというリア充御用達のスキルは、自分にはなかったのでな」
「べつにリア充じゃなくても普通にすると思うが」
皆元の僻みたっぷりな自虐を、俺は笑って流した……つもりが、
「自分は本気でできないが」
真顔でそう返されてしまった。
「……ごめん」
「謝られると、かえって惨めになるのだが」
「ごめ……っと、いや、うん。でも、くちゃくちゃ咀嚼しながら喋るよりは、黙々と食うほうが好感度高いよ」
「なんだ、山野は自分に攻略されたいのか?」
「一緒に帰って友達に噂されたらーって馬鹿! 何やらせんだよ!」
「山野が勝手にやったんだろ、はははっ」
皆元が口を開けて大笑いした。俺は思わず、目を丸くしてしまった。
「……自分の顔に何か?」
皆元に怪訝そうな顔をされた。
「ああ、いや……皆元も普通に笑うんだなぁ、と」
「む……」
怒るかと思ったら、意外にも照れられた。皆元は色付いた頬を隠すように、片手で頬を撫でさすっている。今度は俺が笑う番だった。
「皆元でもそんな顔するんだな。新発見だ」
「チッ……そんな話をするために、自分をこんなところに連れてきたのか?」
「いやいや」
「だったら早く話したらどうだ。昼休みも有限ではないぞ」
「だな」
俺は、はっと小さく息を整えて、話を切り出した。
「金曜日の深夜、S.Oの中で俺、言ったよな。おまえの気持ちの他に、もうひとつ確かめたいことがあるって」
皆元が頷いたのを見て、先を続ける。
「確かめたかったのは、俺と堀川さんのことだったんだ……それがまあ、今朝のあれだ」
「あれか……」
皆元は眩しいものを見るように目を細めて、俺を見る。
「山野はスードラだと思っていたのに、バラモンだったんだな」
「カーストか! ……じゃなくて、そういうんじゃない――ん? あれ、いや待て。そういうんじゃない、わけでもない、のか……うん」
「なんと、肯定か。山野はバラモンだったのか。クシャトリアの上だったのか」
「肯定したのはそこじゃねーっつの。俺と堀川さんが友達ってことでいい、ってとこだ!」
「同じことだろう」
「……」
「分かった。自分が悪かった。茶化さないで聞くから、続けてくれ」
俺が睨むと、皆元は肩を竦めて謝ってきた。
「ったく……ええと、何を話すんだったか……ああ、そうだ。皆元もさ、俺と堀川さんが教室で喋っているのを見たことないだろ?」
「確かに、そんな記憶はないな」
「それなのに友達って、おかしいと思うか?」
「……学校以外で会っているのだろう。例えば予備校とか」
「俺はそんなところに通ってないって。ついでにはっきり言うが、堀川さんと外で会ったこと……っていうか、顔を合わせて話したことも一度しかないぞ!」
いっそ胸を張って言い放った俺に、皆元はぽかんと呆れ顔をしていたけれど、その眉間にだんだんと皺が寄っていく。
「友達というものとついぞ縁のない自分が言うのも何だが、それは本当に友達なのか?」
「そこに自信がなかったから、金曜日の夜のときは確かめるまで待ってくれと言ったんだ」
「ほう……すると今朝のあれは、確認の儀式、というところか」
「まあ、そんなところだ」
「……山野が何を確かめたかったのは分かった。だが、それがどう関係するんだ?」
皆元がまた眉根を寄せて訊いてくる。
「どうって?」
「自分とアズヘイル――桜川のことと関係があるんじゃなかったのか?」
「ああ……」
当然至極な疑問だった。俺は頭の中で言葉をまとめながら口を開く。
「つまりさ、皆元は桜川とリアルでも話したいと思っている。でも、桜川と話しているところを周りから好奇の目で見られるのは嫌だ……と、そんな感じに思っているわけだろ? だったら、話さなければいいんだよ」
「……頓知か?」
「あながち間違ってないかもな。直接話せないなら、携帯でメッセなり電話なりすればいいだけじゃね、って話だし」
「いや……そんなの友達と呼べるのか?」
「だからこそ、確認が必要だったんだよ。現にそういう関係である俺と堀川さんが間違いなく友達なのかを、さ」
改めて口にすると無性に恥ずかしかったけれど、皆元にはちゃんと伝えなくてはならないことだった。
「それで――確かめた結果は、二人は友達だった、という認識でいいのか? ……いや、聞くまでもないか」
「まあ、うん」
口元にからかうような笑みを浮かべる皆元に、俺は顔が少し熱くなるのを感じながら頷いた。
「なるほど」
と、皆元が頷き、横目で俺を見る。
「顔を合わせて話さなくても、やりようはいくらでもある。十分に友好関係を築ける、ということか。それを言わんがために、今朝のあれをやったというわけか」
「言っておくが、あれはパフォーマンスでやったんじゃないからな。あのタイミングでやるしかなかっただけだからな!」
俺の力説は、肩を竦めた皆元に「ふっ」と笑い飛ばされた。言い返そうとしたけれど、皆元はその前に真面目な顔を向けてきた。
「とまれ、山野の言いたいことは理解した」
「じゃあ……」
「自分は少々難しく考えすぎていたようだ。いまどき、意思疎通を図るためのツールはいくらでもあるんだよな。自分も、まずはスマホを買うところから始めてみようと思う。そうしたら、桜川にメールアドレスを教えて、今度は自分から友達になってくれと申し込むことにするよ」
「……そうか。スマホ、早く買えよ」
メアドよりメッセIDのほうがイマドキだと思うけどな、とか思ったけれど、いま言わなくてもいいことだ。あとで桜川さんから教えてもらえいいんだし。
「おっと、もうじき昼休みが終わる。山野、そろそろ戻ろうか」
「ああ、もうそんな時間か」
俺たちは連れだって校舎の中に戻った。
教室に入る直前、午後の授業が始まる五分前を告げるチャイムがスピーカーから流れてくる。それはまるで、万事丸く収まったことを祝福する鐘のようだった。
よかった、よかった。めでたし、めでたし。
……気が緩んでいた自覚はある。
教室に一歩入ったところで、教室の中央からちょうどこちらに振り返った桜川さんと目があった。互いに目が合ったと認識した直後、俺は思わず目を逸らしたけれど、桜川さんは全然違う行動を取った。俺のほうに向かって来たのだ――あ、いや違う。俺の隣にいる皆元のほうに、だ。
「ヒダ……皆元くん」
俺と皆元の前で立ち止まった桜川さんが、満面の笑顔なのにどこか寒々しく頬笑んで、皆元を見た。
「え……と……」
ついさっき桜川さんに話しかけると決意したばかりの皆元だけど、こんなすぐに、しかも桜川さんのほうから話しかけてくるとは思いもよらなかったようで、完全に狼狽していた。
桜川さんは口籠もっている皆元を一瞥した後、なぜか、俺を見た。そして、俺の左手を取った。
「え――」
と声が漏れたときには、その手をぐいっと引っ張られていた。桜川さんは俺の左腕に両手で抱きついていた。そして、何がどうしてこうなったのか分からないでいるうちに、
「ヒダ……皆元くん。わたし、決めたよ。きみの言う通り、ヒダリの中の人は山野くんだって思うことにするねっ」
桜川さんは皆元に向かって、そう宣言していた。
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