●3. 転校生オンステージ
「ええと……ごめん、聞き直させて。いま、喧嘩を売られた、って言った?」
茫然自失から立ち直って聞き返した俺に、堀川は苛立ちを隠さない声で言う。
「そう。言った。売られたの。喧嘩を!」
一語ずつ切りながら、倒置法で言ってくれた。
「……どうしてそんなことになったのか聞いてもいい?」
「いいけど、わたしの質問に答えるのが先。ねえ、いいよね!?」
え、質問? ……ああ、そうか。質問されていたか。
「無視すればいいよ」
俺の答えはその一言に尽きた。
堀川がどういう状況で喧嘩を売られたにせよ、作ったばかりのキャラを相手に喧嘩を売ってくるような手合いと真面目に関わる必要はない。とくにネットゲーム内でなら、無視して立ち去るのは簡単だ。S.Oでは個人チャットと言うのかウィスパーというのか分からないけど、立ち去った後でも暴言で粘着されるようなら、ブラックリスト登録なりウィス受信拒否なりに設定した上で運営に通報すればいい。
暴言に暴言で返して許されるのは中学生までだ。高校生がやるこっちゃない。
「堀川さん、無視すればいいよ。間違っても、売り言葉に買い言葉なんてことはしないようにね」
俺は改めてそう告げた。でも、その忠告は遅かった。というか、堀川が電話してきた時点でもうすでに、何もかも手遅れだったのだ。
「ごめん、もう買っちゃってるの。だって、すごく失礼なんだもん」
電話の向こうからの声は、なぜか偉そうだ。自分は間違ったことをしていない、と確信しているようだ。
「……だったらもう勝手にすればいいんじゃないかな」
俺の溜め息と舌打ちに、堀川はぐっと呻いたけれど、すぐに言い返してきた。
「聞きたいことがあったら何でも質問してくれ、って言ったのは山野くんだよ!? なのに、実際に質問したら、勝手にしろって……どういうことよ!? 無責任!」
「何でもなんて言った覚えはないよ!」
「でも、質問してきていいよ、とは言った!」
「それは……」
確かに言った覚えがある。でも、こういう質問は想定外だし、そもそも答えようがない。
「あー……じゃあ、謝ればいいんじゃない?」
とりあえずそう答えたら、
「はぁ!?」
奇声で返された。
「ありえない! わたしが何かしたわけじゃないのに、どうしてこっちが謝らないといけないの!? ありえない!」
「二度言わなくてもいいよ。ってか、こっちはそもそも喧嘩になった理由も分からないんだから、まともなアドバイスできるわけないだろ」
「……あれ? わたし、説明してなかった?」
「してないよ!」
「あら……ごめんなさい。ええとね……」
こうしてようやく、堀川は説明を始めた。
「わたし、あれからチュートリアルを終わらせて、外に出たの。草原っぽいところ。そこで、丸っこいグミみたいなのを撃ってたら、いきなりやってきた人がチャットしてきたの。よく分からない単語だったんだけど、ここで敵を撃つのは禁止だ、みたいな意味だと思う。だから、わたし、“知るか”ってチャットを打ち返したの」
「なんで喧嘩腰に返したかな……」
「だって、キーボードって難しいんだもん! 知りません、なんて長文を打ってられないじゃない!」
「あー、うんうん。そうだねー」
「なによ、その棒読み……ああ、えと、それでとにかく、わたしが返事をしたら、向こうは“おい、馬鹿にしてんのか”ってチンピラみたいなことを言ってきたから、わたしが“去れ”って言ってやったら“おまえが消えろ。死ね”って! 死ねだよ!? いくら何でも酷くない!?」
「“知るか”と“去れ”も十分酷いと思うけどね」
そう言ってから、これは失言だった、と思ったけれど遅い。
「仕方ないじゃない!」
堀川のヒステリックな声で耳を劈かれた。
「だって、わたしはパソコン初心者だから仕方ないもん。でも、相手はばばーって凄く速くチャットしてたから、間違いなく慣れてる人だった。だから、悪いのはあっち。わたしじゃない!」
「その理論はおかしいと思うんだけど、まあ言わんとすることは分からなくもないかも……」
聞いたかぎりだと、堀川の片言チャットは誰が見てもキーボードに不慣れなパソコン初心者のものだと分かったはずだから、それに本気で怒った相手はちょっといただけない。もっと大人の対応をしてくれたって良かったと思う。
とはいえ、堀川は素直に謝るべきだった。相談役を買って出た以上は、そこをしっかり教育しなくては。
「堀川――相手も大人げなかったとは思う。でも、堀川が横殴りしたのが原因なんだろ? だったら、堀川はまず謝るべきだったんだよ」
俺はそう言いながらも、堀川が逆上して言い返してくることを予想していた。でも、堀川は意外にも静かだった。
「そういえば、ひとつ普通に質問があったんだった」
静かにそう言ってくる。
「質問?」
「うん。いまの山野くんがいったやつ……よこなぐり、って何?」
「そっかぁ。まずはそこからだったかぁ。そうだったかぁ」
基本的な操作の前に、基本的なマナーから教えておくべきでした。俺のミスでした。ごめんね、堀川。
俺はそれから、堀川にネトゲのマナーについて解説しているサイトを教えた。といっても、それっぽい単語で検索するように言っただけだが。でも、堀川にはそれで十分だったようで、しばらくしてからメッセが来た。
『横殴りはノーマナー。理解した』
六時間ほど前、放課後のファミレスで堀川から「ネトゲを教えなさい!」と言われたときは、いわゆる教えてくん状態になるのだろうと思っていたのだけど、実際にはこうして、調べ方を教えてやれば、後は自分で調べて理解するだけの自主性があった。
正直いまでも、堀川とネトゲというふたつの要素が結びつくことに、俺の脳はピンと来ていない。
俺が知っている堀川心というクラスメイトの女子は、いわゆるギャルでもリア充でもない。休み時間でも自分の机に向かったまま、次の授業の準備を終えて、教科書をぱらぱら捲っているような、ぼっちだ。
だが、みんなから疎まれていたり、気にかけられていないからぼっちなのではない。むしろその逆で、誰もが気にしているのだけど、
「果たして自分には彼女に話しかけるだけの資格があるのだろうか? いや、あるまい」
と思わせてしまうほど存在感が強すぎるのだ。ゆえに、誰も堀川のことをぼっちだとは思わない。
「ああ、あれが高嶺の花というやつなのか。自分ごときにはとても近付く資格がないや」
という感じで、遠くから見ているだけで満足しているのだ。街中でアイドルを見かけても、いきなり話しかける人は意外に少なくて、遠くからスマホを向ける人ばかりだ――というのと同じ理由だ。
つまりは、
「堀川さんはみんなのアイドル」
なのだった。
そんな高嶺の花でアイドルの堀川と、俺はいまメッセしてたんだよな。クラスの誰も、堀川のIDを知らないんじゃないかな。クラスで――いや、学校全体で俺だけじゃないのか? 堀川とID交換したのって。
そう思ったら、ものすごい優越感が湧いてきた。
これって青春の始まりではなかろうか? リア充への第一歩ではなかろうか? いまみたいにネトゲの質問からだんだんと仲良くなっていって、電話もいっぱいして、そのうちデートっぽいこともしたりして!
――そう、あくまでもっぽいことだ。
「こっ、これはゲームのグッズを買いに行くだけであって、他に案内できる友達がいないからっていうだけなんだから! デートじゃないんだから!」
みたいな理由でお出かけすることと相成るわけですよ!!
……。
……いや、うん。そうだな。少し落ち着こう。うん、落ち着いた。というか、自分のモノローグのオタクっぽさに死にたくなる。
堀川がほぼ初対面の俺を頼ってまでネトゲを始めようとした理由は、好きな男が――クラスメイトの皆元融がネトゲ好きだと知ったからだ。すなわち現時点でもう既に、俺と堀川がどうにかなると可能性はないのだ。あって精々、いいお友達、だ。
「十分じゃないか、それで。うん、十分だ、十分」
どこにでもいる十把一絡げのオタ男子である俺が、テレビの中にいてもおかしくない高嶺の花と一緒にファミレスに入ったり、あまつさえ部屋にお呼ばれされたり、夜にメッセや電話したりできたという事実だけでもう、十分すぎるご褒美だ。
たとえ、そのうち『学校では話しかけてこないでね』とメッセが来たりしても、落ち込むまい。むしろ、そんなメッセが来なかったとしても、俺はちゃんと空気が読めるオタだ。堀川が何も言ってこなくたって、俺はみずから教室では知らんぷりを通そうじゃないか。
――S.Oの初回アップデートを進めている間、ベッドに寝そべって漫画を読みつつ、そんな由無し事を考えているうちに、俺はいつの間にやら寝落ちしていた。
明け方になって目を覚ましたら、アップデートは無事に完了していた。今朝はもう時間がないから、S.Oを始めるのは学校から帰ってきてからだ。学校にいる間にウィキでも眺めて予習しておくとしよう。
俺はパソコンを落として、朝の支度に取りかかった。
一時間目の授業が始まる前。いつもなら五分とかからずに終わる朝のホームルームの時間。だけど今朝は、いつもと少し違っていた。
「えー、今日は転校生を紹介するー」
担任教師の間延びした言葉を、教室内の誰も聞いてはいない。なぜならば、耳が仕事を忘れるくらいに目を見開いて、担任の横に立つ女生徒に見入っていたからだ。
「初めまして、
がばりと頭を下げた彼女に遅れて、少し高めの位置で結わえられたポニーテールも、ぴょこんとお辞儀した。
直後、お調子者キャラでクラス内の立ち位置を確保している茶髪の男子が歓声を上げた。それにつられて、他の面々もざわざわと声を上げたり、拍手を送ったりして、転校生を歓迎した。
「あ……ありがとうございます!」
転校生――桜川綏子はもう一度、がばっと頭を下げた。
それからおずおずと上げられた顔は、先ほどまでの少々緊張していた面持ちとは違って、嬉しさと照れ笑いとで口元をほんのり緩ませていた。そのはにかんだ表情に、今度は数名の男子が口笛じみた歓声を上げた。
桜川綏子は要するに、美少女だった。
ぱっちりとした瞳に、滑らかな曲線を描く頬から顎にかけての輪郭。唇は心持ちぽってりしていて、指でつついてみたくなる。いやもうむしろ、食べてみたくなる。きっとぷるぷる食感で、味だってきっと蜜よりも甘くて……ああ、危ない。涎を垂らすところだった。
ずずっと涎を啜ったところで、はっと我に返った。
つついてみたくなるはぎりぎりセーフでも、食べたいとか味とかはアウトだろ。咄嗟に頬杖を突くふりをして片手で口元を隠したけれど、だらしなく伸びきっていた鼻の下を誰かに見られていなかったよな?
そう思って視線をさっと左右に走らせたとき、一瞬、転校生と目が合った。俺がすぐに目を逸らしたから本当に一瞬だったけれど、どうやら彼女のほうでも、これからクラスメイトになる俺たちのことを一人一人見渡していたようだ。
……涎を垂らす寸前だった顔、見られてなかったよな?
確認したかったけれど、もう一度彼女を見つめる度胸はなかった。
この日、転校生の席は放課後になるまでずっと、休み時間のたびにちょっとした人集りで囲まれていた。
「桜川さん、前の学校ってどんなとこだったの?」
「桜川さんのお父さん、派閥とかってなんか重役っぽいんだけどー」
「ってか、桜川って名字、良いよね。桜川さんにマジぴったり」
「綏子って名前も古風で素敵よね」
「古くさいのが一周回って新しい的な?」
「それな」
「それ、褒めてなくなくね?」
「やー、褒めてるし!」
「あはは」
……といった様子で、クラスメイトの中でも社交的な面々は、転校生を肴に盛り上がっている。そういうことをするキャラではない、たとえば俺のオタ友達のような連中も、視線が事あるごとにちらちらと転校生の席に向かっていた。
ちょっとしたお祭り気分の教室でいつも通りを貫いているのは二人だけだ。もちろん、高嶺の花の堀川心と、ガチオタの皆元融の二人のことだ。
堀川はいつものように、次の授業で使う教科書ノート参考書を机に並べて予習に余念がない。皆元は普通の本屋じゃ売っていないようなゲーム雑誌を一人で黙々と読み耽っている。それはまったくいつも通りの光景だけど、美人の転校生が来たという珍しい光景のなかでは、ちょっぴり目立って見えた。
だからなのか、周りを囲むクラスメイトに笑顔で受け答えしている転校生もときどき、ちらりちらりと堀川や皆元のほうに視線を走らせている様子だった。
「わたし、あんまり物覚えがよくないんだよね。みんなの名前、ちゃんと覚えられるかな?」
転校生が……いや、そろそろちゃんと名前で言うようにしよう。転校生改め、桜川さんが申し訳なさそうな顔でそう言うと、すかさず擁護の声が上がる。
「いやいや大丈夫っしょ」
「そうだよ。クラスのラインにも入ったし、すぐに覚えるって」
「っていうか全員の名前を覚えなくてもいいんじゃないかな」
「そうそう。そういうのって頑張って覚えるものじゃなくて、自然と覚えちゃうひとのことだけ覚えておけばいいと思うし」
「そうそう。全員覚える必要ないって。っつか、俺も覚えてねーし」
茶髪チャラ男子の発言に、だよなぁ、と笑い声が続く。なお、彼が「覚えてねーし」と言ったとき、その目がちらりと俺たちオタク男子のほうに向けられていたのを、俺はしっかり気がついていた。気がつかなかったふりをしたけど!
「うーん、でも……」
と、桜川さんは小首を傾げる仕草をしながら続ける。
「せっかく転校してきて、こんなに歓迎してもらっているんだから、わたしもちゃんとクラスの一員したいの。だから、ちょっと頑張って覚えてみるよ。みんなの名前」
彼女がそう言った途端、取り巻いていた女子も男子も歓声を上げた。
「桜川さん、可愛いーっ!」
「なんか照れるんですけどーっ」
「でも嬉しいっつーか、こっちこそよろしくっつーかー」
そんな歓声に照れ笑いで応えつつ、桜川さんは、
「じゃあ、このグループに登録してある名前、ひとつずつ呼んでいくから、自分の名前が呼ばれたら返事してくださいっ」
はーい、と楽しげな返事が唱和。
そして桜川さんによる点呼が始まる。
桜川さんを囲んでいるのは、クラス内でも目立つ男女のグループが中心で、彼ら彼女らは自分の名前が呼ばれるたびに、勢いよく手を挙げたり、わざとらしく溜めを作ったりしながら「はい」と答えていく。その輪を遠巻きにするようにしていたクラスメイトも、名前を呼ばれるたび、ちょっと恥ずかしげに返事をする。
桜川さんは返事するクラスメイトを見ながら、いちいち愛くるしい笑顔で見つめて、
「小山君だね。うん、きみが小山君……うんうん、覚えた」
なんてやるものだから、とくに男子は例外なく、鼻の下を伸ばして喜んでいた。
なお、このコール&レスポンスな儀式は最初の休み時間から長い昼休みを挟んで、放課後になっても続けられた。なにせ、いちいち一人ずつに時間をかけて行われたからだ。それでも文句を言う者はなく、休み時間になるたび、まだ名前を呼ばれていない者は嬉しそうにそわそわしながら順番待ちする始末だった。
なお、俺はその儀式が終わる前に下校した。自分の名前が呼ばれることはないと知っていたから。
件のライングループに入っているのは茶髪チャラ男子らを中心としたグループが作成したグループだから、彼らや彼らの友達グループとまったく接点のない俺たちのような面子は登録されていない。従って、いくら待っても名前を呼ばれることはないからだった。
教室をそっと逃げるように出たとき、青春のコール&レスポンスに興じていた連中が俺のことに気づいた様子はこれっぽっちもなかった。敢えて気づかないふりをしていたのかも、だけど。
帰宅して制服から私服に着替え終わったところで、見計らったかのように携帯がぶるっと震えた。見ると、堀川からのメッセ着信だった。
『転校生オンステージ』
一言、それだけ。
『わかる』
思わず、そう返信していた。
それからしばらくメッセのやり取りを続けた後、通話で話すことになった。堀川は長いメッセージを打つのが嫌いらしい。
「あの転校生、可愛かったね。でも、皆元くんは全然無反応でさすがクールだったよね!」
「……そうだね」
「なによ、その言い方。皮肉っぽく聞こえたんだけど」
「……そんなことないよ」
「いまの返事にも嫌な感じの間があった!」
「じゃあ素直に言うけど、皆元が無反応だったというより、皆元が無視されていたっていうほうが正しい状況だったと思えたけれど」
「……ふんっ」
電話の向こうで不満げな顔をしているのが、ありありと思い浮かべられた。
この話をこれ以上続けると本気でへそを曲げられそうだし、さっさと話を換えるとしよう。
「そういえば、S.Oのインストール終わったよ」
「本当? じゃあ一緒に……」
嬉しげに言いかけた堀川の言葉が、そこで不自然に途切れる。なぜなのかな、と訝しんだ俺の耳に、堀川の胡乱げな声が。
「インストールは終わったけれど、いまから昼寝するから無理……っていう落ち?」
「は? なんの話? ってか、なんで落ちをつけなきゃいけないのさ」
「だって、昨日はそうやって肩透かしを食わされたし」
聞き返した俺に、堀川は拗ねた口振りで答えてくれた。それが不意打ちで可愛かったものだから、俺もまた咄嗟の照れ隠しで冗談めかして言ってしまう。
「随分根に持つね。堀川さん、そんなに俺と一緒にプレイしたかったんだ?」
「当たり前でしょ」
ものすごく冷え冷えした声で返された。
「え……」
「山野くん、私にネットゲームを教えてくれるって約束したよね。なら、一緒にプレイするのは当たり前でしょ。それとも、昨日みたいにいちいちトラブルがあるたび電話しろって言うの? 言わないでしょ? それとも言うの?」
「い、言わない、です。はい」
「だったら、つまんない冗談言ってる間に早くログインして。私、もうログインして待ってるんだけど」
俺の冗談はよっぽどつまらなかったようで、堀川の声はすごく刺々しい。教室での堀川は彫像のように揺るぎないのに、声しか聞こえないいまの堀川はなんと感情豊かなことか……などと感慨に浸りつつも、俺はスマホを頬と肩で挟んで固定しながら、急いでPCを起動させる。
「ごめん、堀川。すぐにログインする……あっ!」
「今度は何?」
「まだインストールしただけで、キャラを作ってなかった。いまから作るから、夜まで待ってて」
「え?」
なぜか疑問符で返事をされた。
「え?」
と、俺の口からも疑問符。
電話を挟んで、しばしの沈黙。その後、堀川は確認を求めるように聞いてくる。
「ええと……山野くん、もうインストールも終わって、ゲームをいつでも開始できるんだよね?」
「うん」
「じゃあ、いますぐ始めるんじゃ駄目なの?」
「いや、だからさ、ゲームを始めたら、まずキャラを作らないと駄目だよね」
「うん……でも、そんなの五分もかからないで終わるよね」
「え?」
「え?」
またしても、約一秒の沈黙。今度は俺から、その沈黙を破る。
「え……っと……ほら、キャラの髪型とか名前とか、そういうのをまだ決めてないから」
それに対して返ってきたのは、またしても疑問と困惑だった。
「んん? ごめん、ちょっとよく分からないんだけど、それって決めるのに時間のかかることじゃないよね。ぱぱっと選んで完成だよね?」
「ん……ぱぱっと決まるときもあるけど、そうじゃないときもわりと多いよねっていうか……」
「だって、決めるのなんて髪型と髪の色くらいだよ。そんなの、むしろ悩むほうが難しいでしょ」
「あ、それくらいしか選べないんだ……」
ポリゴンをがりがりに使ったリアル系3Dのネトゲだとアバター作成だけで遊べるレベルの作品も多いけれど、S.Oは2D見下ろし系のドット絵主体のゲームだ。アバターの選択肢が少なくても当然か。とはいえ……
「それくらいしか選べないんだと見た目はすぐに決まるかもだけど、名前を決める必要はあるわけだから、やっぱり時間かかっちゃうと思うからさ」
「名前を決めるのって、そんなに時間かかる?」
この会話って昨晩もしたような気がするような、と思いつつ言い返す。
「かかるでしょ。とくに人気のゲーム、サービス開始から時間の経っているゲームほど、めぼしい名前は他の人に取られているから、“その名前はすでに使われています”ばっかで全然通らないのが普通だし」
「あ、他の人と同じ名前って付けられないんだ」
「そうだよ。その分だと、堀川さんはキャラ名が一発で通ったんだ。それ、逆にレアケースじゃないかな」
「……なんか複雑、それ」
「なんで?」
「だって、わたしの名前が奇抜すぎるみたいに聞こえるし……」
堀川のそんな拗ねた口振りに、俺は思わず眉根を寄せた。
「堀川、もしかして……自分の操作キャラに、自分の名前を付けた……とか?」
おそるおそる尋ねた俺の耳には、少し長い沈黙。それから聞こえてきたのは、不安げな小声。
「自分の名前を付けるの、何か不味かった? ……あっ、あれね。個人情報保護法とかネットリテラシーとか、そういうの違反で犯罪だとか!?」
「いやいや、違うから。そういうのないから」
本気で慌てている堀川に、思わず苦笑してしまった。それが癇に障ったのか、堀川の声音に険が籠もる。
「じゃ、なんで自分の名前を付けたのがおかしい、みたいなこと言うわけ?」
「べつにそうは言ってないけど……あー、でも……わりと、そういう側面もあるのかな」
「回りくどい言い方は止めて」
「つまり、ネトゲに限らずゲームの自キャラに自分の名前を”付ける本名プレイはあまり一般的じゃないってこと」
「知らない、そんなこと!」
「べつに大声を出すことでもないけどな」
声を荒げた堀川に、俺は思わず苦笑した。それがまたしても癇に障ったようで、堀川は電話の向こうで犬みたいに唸る。
「ううぅ……べつにいいじゃない、名前くらい。というか、本名の他にどんな名前を付けるっていうわけ? いかにもアニメとかゲームっぽい名前にすれば良かったわけ? そっちのほうが百倍恥ずかしいと思うんだけど!?」
「それを言ったら、ネトゲをやってる時点で恥ずかしいってことにならないかな!?」
「あっ……!!」
自爆に気づいた堀川が絶句する。俺は一瞬、勝った気分になったけれど、べつに勝ち負けを競うようなことでもなかったことに気づいて、無意味に空しくなった。
「まあ、本名プレイって言っても……堀川さん、べつにフルネームで登録したわけじゃないんでしょ?」
「うん。名前だけ」
「堀川さんの名前って……」
「心。……クラスメイトの名前も覚えていないわけ?」
「今日の転校生じゃないけど、全員のは覚えてないよ……ああ、名字はだいたい覚えていると思うけど」
まあ本当は嘘で、堀川のフルネームが堀川心だということはしっかり覚えていたが。
「……って、わたしたち、何の話をしてたんだっけ?」
呆れたというか疲れたというか……な様子で、堀川が閑話休題を図る。俺も素直に、それに乗る。
「キャラ作成の時間はかかるのか否か、だったはず」
「ああ、そうだった。それで結論は……山野くんはキャラの名前を本名にしないでゲームっぽい格好いい名前を考えたい派だから、いまから夜までじっくりキャラの名前を考えたいので、いますぐゲームをするのは無理です……ということなのね」
「……微妙に含みのある言い方するね」
「でも、間違ってないでしょう?」
「間違ってはいないけど!」
俺の憮然とした顔が見えているかのように、受話器からは堀川のフフフという笑い声だ。
「ふふっ……じゃあそういうことで、また今夜にね」
「うん。夕飯とか終わって手が空いたら、連絡するよ」
「分かった。どんなキャラ名か、楽しみにしてる」
笑い混じりの言葉を最後に、堀川は通話を切った。
俺はしばし、耳から離した液晶を見つめて呻く。
「なにこのプレッシャー……っつか、どんな名前にしても笑われそうなんだけど……」
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