●4. 飛んだ豚男
俺はただでさえキャラの命名に時間がかかるほうなのに、堀川に失笑されない名前、という追加条件を満たそうと思ったら、これがまたもう見事に何も思いつかなかった。
「マイナー言語の単語から取るか……いやでもそれだと、命名の由来を聞かれたときに“わぁ、いかにもオタクって感じぃ”って馬鹿にされそうだし……じゃあ日本語の古語から取るか? 木や花の和名から……って、それだとゲームの世界観に合わないか?」
俺はできるかぎり、そのゲームに登場する単語や人名と馴染むような名前を付けるようにしている。というわけで、俺はPCを起動させるとネットブラウザを立ち上げて、S.Oの世界観や登場NPCの名前を始めとした固有名詞の語感について調べ始めた。
そうして調べるのと並行して、起動したS.Oのキャラ作成画面で、「おっ、これなんて良いんじゃないか」と思った単語を片っ端から名前入力欄に打ち込んでいく。
『その名前はすでに使われています』
『文字列が長すぎます』
『使用できない文字が含まれています』
名前候補を打ち込んでOKボタンをクリックするたび、この三つの文章が入れ替わり立ち替わりで大きく表示された。
「うん、分かってた……」
ネトゲの多くは、他プレイヤーと同じ名前のキャラクターを作れない。S.Oもそのご多分に漏れていないようで、俺が「良いな、格好いいな」と思った名前は、すでに先人たちに取られた後だった。プレイ人口の多い人気のネトゲほど、名前取り戦争は過酷なのだった。
俺が思いついた名前は、片っ端から撥ねられまくった。
こういうときに便利な、様々な単語の各国語訳をカタカナ表記付きで表示してくれるサイトも活用したけれど、これだ、と思った名前は全て、
『その名前はすでに使われています』
だった。
……そういえば、ネトゲの新作が出るたびに興味があろうとなかろうと片っ端からID登録して、速攻でキャラを作って好きな名前だけを確保する――というネトゲ廃人というかネトゲ中毒者も少なくない、と聞いたことがある。
とはいえ、S.Oについてはそういうジャンキー軍団に大量占拠されたせいで名前を取れないわけではなさそうだ。もっと単純に、このゲームが数年前からサービス継続しているからだろう。
って、理由はこの際どうでもいい。問題なのは、名前が決まらないということだ。
「どうしたものか……もういっそ、俺も本名プレイか!?」
思い余って本名を入力してみたものの、
『その名前はすでに使われています』
……だった。
そうすると、このゲームには俺と同じ名前の俊成というキャラがどこかに存在しているというわけか。珍しすぎる名前ではないが、普通すぎる名前でもないと思っていたのだが……一体どんなプレイヤーがどんな意図を持って、俊成という名前のキャラを作ったのか? もしゲーム内で俊成くんと出会うことがあったら、聞いてみたいものだ。
「おい、飯だ!」
そう、飯だ……うん、飯?
時刻を確認したら、もう夕飯時だった。
「おい、飯だ!」
階下からもう一度、銅鑼を叩いたような胴間声。母さんです。
「すぐ行きます!」
俺は返事をしながら部屋を出た。二度も呼ばれて食卓に向かわないとなると、うちの母もとい鬼軍曹が激怒する。そんな面倒な事態は御免だった。
夕飯を無事に切り抜け、食後の片付けから入浴などの雑事を終えて、俺は自室のパソコン前に落ち着いた。そこへ、見計らったかのように携帯が鳴ってメッセ着信を告げる。もちろん、堀川からだ。
『そろそろキャラできた?』
ここで、まだ決まってないんだ、と返信したら馬鹿にされる――そう思ったら、
『いまログインする。五分待って』
俺の手はそう返事を書いて送信していた。
『了解』
堀川から返ってくるスタンプ付きの一言。
やっちゃった、どうしよう……と思ったところへ駄目押しの追加メッセ。
『どんな名前か素直に楽しみ』
俺は思わず、そのメッセージを睨んでしまった。本当に本心なのか、あるいは嫌味なのか、そして返事をどうするか……。
「って、いま考えるのはそこじゃない!」
いま考えなくてはいけないのは名前だった。五分後と言ってしまってから、そろそろ一分は経過している。余計なことを考えている暇はない。いますぐ命名しなければ!
――と混乱している間にも、俺の冷静な一部は手早くPCを立ち上げて、S.Oも起動させた。
素早くキャラ作成画面まで進んで、見た目をぱぱっと選択する。髪型、髪色なんかはパターンから選ぶだけだから、名前をさんざん試行錯誤している過程で、これが好みだ、という組み合わせは見出していた。後は本当に名前だけなのだ。
「名前……名前……」
夕飯前にも見ていた、各種単語の各国語訳が載った「命名お役立ちサイト」を開いて、使えそうな単語を探す。でも、これは夕飯前にもさんざんやったことだ。
この単語は名前にしてもいい感じだけど、使用済みだった……こっちのは舌を噛みそうなので却下……これは長音が多すぎて違和感が強いし、こっちもなんだか語呂が悪いし……あああ! 決まらない! タイムリミットあと二分切ったのに決まらない。思いつきもしない。ああっ、どうしよう!?
そのとき、俺の頭に閃光が走った。
「……!」
これだ、と思ったときには指がカタカタターンッとキーボードを跳ねて、エンターキーを押していた。
この数時間で何度も何度も見させられた例の文章が表示されることなく、小気味よい電子音と共に画面が暗転し、風景画のような一枚絵が大写しされる。ローディング画面だ。ロードは程なく終わって、ディスプレイにはどこかの室内らしい背景と、いま作ったばかりのキャラクターが映し出された。
大きな建物内の一室らしい背景はポリゴンで描かれ、そこに立っているキャラクターはドットで描かれている。3D背景の中を2Dキャラクターが走りまわるのがS.Oの魅力だ――という話を、昨日買った完全攻略本で読んだ。
画面にはすぐ、キャラを歩かせる方法についての指示が表示される。どうやら、ここで操作方法を学ぶことになるらしい。でも、このチュートリアルを最後まで進めることはなかった。
『五分経ったよ。ログインしてる? どこにいる?』
堀川から催促するようなメッセが来て、
『いまチュートリアル』
と返したら、
『そんなのいいから飛ばして。その建物の外にいるから』
と返ってきた。
そのため、俺はすぐに建物を出たのだった。この建物に入れば、いつでもチュートリアルを受け直せるようだから、いざとなったら戻ってくればいい。
短いロード画面を挟んで市街地に出ると、すぐ目の前に一人の女性キャラが立っていた。ちなみに、S.Oには複数のサーバーが用意されているけれど、そこは事前にきっちり合わせている。なので、チュートリアルタワー(マップによると、そういう名称だったらしい)の前に立って待機モーションしている女性キャラ・ココロが堀川のキャラであることは間違いなかった。
間違いないとは思うけれど、一応はジャブから入ってみる。
『おまたせ、五分後ジャストだと思うけど』
この発言だったら、かりに相手が堀川ではなかったとしても問題ない。それでいて、堀川であれば、これがさっき携帯のメッセで交した会話の続きだと分かる。じつに的確な発言だ、と我ながら自画自賛である。
『違います』
えっ……。
『もう五分二十秒でした。ジャストじゃありませんー』
……。
『あれ? もしかして山野くんじゃないでしたか?』
チャットの文字列からでも、堀川の動揺が伝わってくる。これ以上放っておくのは可哀相だし、俺もチャットを打った。
『いや、合ってる。山野だよ』
そうチャットを返した途端、
『合ってるんじゃない! 早く言いなさいよ! 無駄に焦ったじゃない!』
怒られた。
『ごめん……って謝るところなのか、ここ?』
『まー、どうでもいいけど』
『いいのかよ!』
『そんなことより、その名前よ。もっとアニメっぽい名前を想像してたから、山野くんかなのか迷っちゃったわよ』
『あはは……』
たぶんこのゲームにもキャラに感情表現させるコマンドがあると思うのだけど、いまのところはチャットの乾いた文字列でしか表現できない。でも、苦笑するしかない俺の気持ちは伝わったものだと思う。
はぁ……どうしてこんな名前を付けちゃったのか、どうしてこんな名前にかぎって却下されずに通っちゃうのかなぁ……。
自キャラの足下に表示されている名前を見ながら溜め息をするばかりだった。
フライド豚まん
それが、俺のキャラの名前だった。
●
フライド豚まん。その名の由来は、飛んだ豚男……ではない。さっきの夕飯である。
残り物のパサパサになった豚まんにマヨネーズとパン粉を塗して、高温のラードでカラッと揚げたものだ。うちの母堂は揚げ物を「作るのも片付けるのも手間が掛かるし、カロリーもやばい」と言って、あまり作りたがらないのだけど、なぜかたまに作るのだ。このフライド豚まんを。わざわざ蒸かし立ての豚まんを冷たくなるまで置いておいて、わざわざ買ってきたラードをたっぷり使って揚げるのだ。
一体何が彼女をフライド豚まんに走らせるのか――俺にも詳しいところは分からない。母さんがフライド豚まんを作るのは下手な鼻歌を口ずさむくらいご機嫌なときもあれば、メキョッと音がしそうなほど強烈な青筋を立てているときもある。おそらくは、上機嫌でも不機嫌でも、機嫌バロメータの針がどちらか一方に振り切れたときに作るもののようだ……と、そのくらいしか判明していない。
また、フライド豚まんの味についてだが、 パリッサクッと小気味よい食感の衣に歯を立てると、熱々のラードが染みた饅頭の生地が口の中でじゅじゅわっと弾ける。これに辛子とニンニクをたっぷり使ったソースを絡めて、さらにご飯に乗っけて食べるのが本当に美味しい。夕飯にこんなカロリー爆弾を食するのはどうなのか、と思わなくはないけれど、そこは食べ盛りの成長期男子だ。食べ始めたら、お代わりまでぺろりといける。母ちゃんまで俺と同じ量をぺろりと平らげているのは、息子として健康が心配になるところだけど。
なお、フライド豚まんはフライド豚まんである。揚げ肉まんでも、中華まんのフライでもない。フライド豚まんである。なんでか知らんけど、母がそこだけは譲らず、「うちではフライド豚まん以外の呼び方を認めない」と宣言しているのだ。従って、フライド豚まんはフライド豚まんなのである。
『山野くんちの夕飯事情は分かったけれど、だからってキャラの名前に付けるのはどうかと思うわ』
堀川が――というか、堀川の操作キャラである女性キャラ・ココロが言ってきた。
『俺だって、こんな名前にするつもりはなかったよ。誰かが急かすから、つい出来心でこうなっちゃったんだよ!』
『ひとのせいにするのは良くないと思うわ』
『もういいよ! それより、これからどうしたらいいの?』
俺の問いかけに、ココロは微妙な間を置いて聞き返してくる。
『これから?』
『堀川がネトゲを覚えるのを手伝うとは言ったけど、俺だってこのゲームは初めてだ。つまり、このゲームに関しては、いまのところ堀川が先輩だろ。だから、序盤はどうしたらいいのか教えてよ』
本来ならチュートリアルを受ければ、そこらへんの情報も貰えたのだと思う。
『どうしらたらって言われても……』
『堀川は最初、チュートリアルが終わった後は何をしたの?』
言い方を変えて聞き直してみる。すると答えは、すぐに返ってきた。
『それなら狩りね!』
自信満々の答えだった。でも、俺は一応、質問を重ねておくことにした。
『初期レベルから受けられるクエストはないの?』
『クエスト?』
返ってきたのは質問だった。
……うん。考えを改めよう。
『一応聞くけど、堀川さん、ウィキを読んだりした?』
『何も読んでないけど、コンビニで買ってきたほうがいい? 本屋じゃないと売ってないやつ?』
うん、この分だと最初から受けられるクエストがあるかもしれないな。狩りに行く前に、街中でそれっぽいNPCを探してみることにしよう。
『そんなことより、狩りはいいの?』
『その前に、ちょっと街中をまわってみよう』
『なんで?』
即答気味のチャットからは、堀川の苛立ちがひしひし伝わってくる。
『俺に教えてほしいんだろ? だったら、ここは黙って任せてくれ』
ちょっと強気で言ってみた。
『……分かったわ』
いかにも不承不承といった感じながらも、堀川は了承してくれた。わざわざ『……』とチャットで打ってきたあたり、すっごく不服そうではあるけれど。
それから俺たちは、二人で連れ立って街中を探索した。
キャラ作成して最初に降り立つこの街は、独立都市アミジェという。どこの王国にも属しておらず、どこの国から流れてきた者でも隔てなく受け入れる。だから、一攫千金を求める人々が日々やってきている熱気に満ちた都市である――という設定らしい。話しかけた衛視や町人NPCが教えてくれた。
プレイヤーの作ったキャラクターも、この都市で一山当てに来た山師、という設定らしかった。伝説に語られている勇者だとか、神の啓示を受けた聖者とか、そういう御大層なものではないらしい。最近はネトゲもシステムが煮詰まってきていて、キャラの設定やストーリーといった要素が重視されているというが、S.Oはその流れに乗っていないのだろうか。
それはともかく、俺と堀川さん……もとい、フライド豚まんとココロは街中を歩きまわって、いくつかのクエストを受注することができた。この街のことやキャラクターの立場といった世界観についてNPCから聞かされたのも、NPCからNPCに荷物を届けてまわるというお使いクエストの過程で教わったことだった。
『まさか、街の人に話しかけていくだけで経験値が貰えるなんて思わなかったわ』
ココロが感心している。もしかしたら呆れているのかもしれないけれど。
しばらく一緒に行動してみて思ったのだけど、堀川さんはチャットだと普段の口調とは微妙に違っている。なぜか語尾が「~わ」や「~よ」になっていることが多い。そういえば、最初にファミレスで話したときは、こんな感じの口調だったような気がする。意識して話そうとすると、わざとらしい感じの女言葉になるのかな?
そのへんのことを本人に聞いてみたくもあったけれど、もしかしたら無意識でやっていることで、指摘したら本気で照れられたり怒られたりするかもしれない。そんなことになったら、俺だって居たたまれなくなってしまう。まさかネトゲの中でまで、コミュ力を試されることになろうとは……。
俺に出せた結論は、この件にはしばらく触れないでおこう、だった。ヘタレである。でも、仕方ないよね。
『いまできるクエストは一通りやったと思うし、そろそろ狩りに行ってみようか』
『やっとね!』
俺がチャットすると、ココロは待ってましたとばかりにガッツポーズしてみせた。比喩ではなく、拳を握った右手で肘を九十度曲げたガッツポーズをして、その二の腕を左手で叩くジェスチャーをしたのだ。キャラにこうしたポーズを取らせるジェスチャーという機能を使ったのだ。
ジェスチャーを始めとした各種機能の操作方法についても、クエストという形式で経験値を貰いながら覚えられるようになっていた。たぶんだけど、このゲームがサービス開始された当初はチュートリアルタワーが存在していなくて、こうした一連のクエスト群を受ける過程で操作方法を覚えていくようになっていたのだと思う。その後、クエストが終わった後でも操作方法を確認できるチュートリアル施設として、あのタワーが設置されたのだろう。
ちなみに、ジェスチャーの操作を覚えるためのクエストは、道端で泣いている子供をあやすために色々なポーズを取ってみよう、というものだった。正解のポーズは、両手の人差し指を頬に当てて頬笑むポーズだったのだけど、他のポーズを取ってもいちいち異なる反応を返してくれるという、無駄に芸の細かいクエストだった。とくにガッツポーズを見せると「アイヤー!」と中華風な声を上げながら両手を突き出して威嚇のポーズを返してくるのが堀川のツボだったらしく、このクエストを終えてからも事あるごとにガッツポーズしてくるのだ。
リアルでの高嶺の花な堀川を知っているだけに、ココロがガッツポーズするたび、俺としても込み上げてくるものがある。今度、堀川にリアルでこのポーズをやっている写メを送ってくれと頼んで……って、ないない。我ながらドン引きすることを考えてしまった。ちょっと深呼吸しよう……はぁ……。
『豚くん、何やってるの?』
『なんでもない。じゃあ行こうか。というか豚くんって』
ココロのチャットに素早く返事して、俺たちは街の外へと向かった。
●
独立都市アミジェからは三本の太い街道が延びている。北の山岳地帯に向かう道、東の国家群に向かう道、西にある大きな湖を西南方向に迂回して大国へと向かう道の三本だ。北への街道は細く、東西に延びる街道は太い。また、道の太さと反比例して、北のフィールドに出てくる魔物は総じて、東西に出てくる魔物より強い。
――というわけだから、俺たちは初心者らしく、街の西側に隣接しているフィールドに行って、そこに出てくる最弱のモンスターを狩って経験値稼ぎするところから始めることにした。
『わたしレベルになれば、ここの雑魚くらい余裕よ』
またしてもガッツポーズで自信満々の発言をするココロ。
『頼りにしてます』
『任せて、豚まんくん』
『名前にはもう触れないで!』
そんなやり取りを交しながらの狩りだったが、堀川はほとんど突っ立ったままだった。堀川のブラインドタッチが完璧ではなく、一言発するたびに、わりと長い停止時間が必要になるからだった。
なんならチャットは携帯でしようか? キーボードよりフリックのほうが慣れているだろうし……と尋ねてもみたのだけど、
『それじゃ練習にならないし』
との返事だった。
よくよく聞いてみると、堀川としては昨夜の揉め事に関して思うところがあったらしい。
『相手のほうが九割悪いと思うけど、わたしにも一割はミスがあったわ。わたしのチャットがもう少し速ければ、もう少し良い言い方ができたわ』
『それは確かに』
俺も思わず納得だった。
狩りは最初、初期の技術点を盾技能だとかに割り振ったフライド豚まんが敵に近付いてぽこぽこ殴り始め、そこにココロが魔術の弾丸を撃ち込む、という形で始めた。いわゆるヘイト管理という観点から、防御の弱い魔術師タイプのココロが一撃目を与えてヘイトを取ってしまうより、盾技能を取った俺がまず一発殴ってヘイトを取ったほうが安定すると思ったからだ。
ところが、この形はかえって安定しなかった。なぜなら、近接攻撃しかない俺が一撃目を取るということは、俺がかならず数発は敵に殴られるということだからだ。相手にするのがゲーム中で最弱の敵だといっても、俺だって作りたてほやほやのレベル1だ。装備だって、お使いクエストで貰えた【使い古しシリーズ】だ。数発殴り合っただけで、無視できないダメージになってしまうのだ。
ダメージは座って休憩モードに入れば自動で回復していくから、敵を数匹狩ってはしばらくの休憩を挟むという、のんびりテンポの狩りになった。堀川も最初は、俺が座ると、これ幸いとばかりにチャット練習していたけれど、そのうち飽きたのか、俺が殴りかかるのに先んじて魔術弾を撃ち込むようになった。
ココロが遠距離から一発撃って、撃たれた敵がココロに近付いていく。そこへ横から割り込むようにして、俺が敵をぽこぽこ殴る。ここの敵はどいつもそんなに足が速くないので、ココロに接触するまでの間に殴り倒せるという寸法だ。
この狩り方に変えてからは、休憩を挟む頻度はぐっと下がった。堀川が操作するココロは俺が思っていたよりずっと如才なく立ち回って、ダメージを与えた敵が上手く俺のほうに来るように細々と立ち回ってくれるから、敵をココロに触らせてしまうこともほとんどなく、魔術弾を連発して枯れた
アミジェ近郊マップに出る魔物は、グミっぽいスライム、茶色い野兎、大きめの蠅っぽいの、バスケットボール大の白い毛玉だ。このうち、スライムと毛玉はとくに足が遅く、俺たちペアのいいカモになってくれた。
蠅は最弱レベルの魔物にしては回避してくるので、必中の魔術攻撃はともかく、俺の攻撃が回避されることも少なくなくて、ココロに攻撃される前に仕留められないことも間々あった。兎は数セル分を跳躍するスキルがあって、それで俺の攻撃を避けつつココロへの距離を一気に詰めてくることがあって、一番厄介な相手だった。
『そろそろ休憩しよ』
ココロが少し止まって、そう言う。キャラが止まってから発言するまでの所要時間も、だいぶ短くなってきている気がする。この短時間で大した飲み込みの早さだ。さすがは高嶺の花、隙がない。
街道から離れた草原のただなかに、二人して腰を下ろす。男キャラのフライド豚まんは崩れた胡座で、女キャラのココロは正座を崩したいわゆる横座りだ。
『そういえば、いまさらだけど、』
ココロの頭上にぽんっとチャットの吹き出し。
俺はチャットで答える代わりに、頭上に『?』の吹き出しを出しながら小首を傾げるジェスチャーで返した。
『豚まんくんの持ってるのは剣? 棒?』
いや、豚まんくん呼びはもう……と思ったけれど、それを言ったら負けな気がして、そこには触れずに答えた。
『使い古しの木剣、だって。だから棒みたいなグラフィックだったっぽいね』
『絵もだけど、音がポコポコって玩具で叩いてるみたいだったから、ずっと気になってて』
『そんなこと気にしてたんだ……』
『だって気になってしかたなかったのよ』
ココロはまたガッツポーズ……してから、ぷんぷんっと頭上に湯気を出して怒るジェスチャーをした。たぶん、怒るつもりで間違えてガッツポーズしたのだろう。
『そういえば、そっちの装備は使い古しシリーズじゃないの?』
いま初めて気づいたけれど、ココロの装備している杖の見た目は、木製っぽいものではなく、金属的な黒っぽい色味をしていた。杖頭も輪っかのような形になっていて、ただの棒きれと間違われた俺の木剣とは全然違っている。
『あ、これ? よく分かんないけど、拾ったの』
さらに詳しく聞いてみたところ、昨夜はどうやら適正レベルを考えることなく、街道をひたすら北へ北へと向かって突き進んだのだという。北方面の魔物は東西方面より強いという話だけど、そこはさすが堀川というべきか、幸運にもマップ切り替えのローディング画面が何度か差し込まれるくらい先のマップまで進めたのだという。だけど、そんな幸運が続くわけはなく、高速で走りまわっている狼っぽい魔物の群れに見つかって、あっさり死んだ。それで街中のセーブポイントに死に戻りしたのだけど、そのときに気づいたら、この杖がインベントリに入っていたのだということだった。
『たぶん歩いている途中か、狼から逃げようとしたときに拾ったのだと思うわ』
『その杖の名前、聞いてもいい?』
『もちろん』
という答えの後、やや間を置いてから続きのチャットが表示された。
『隕鉄の杖だって。すぐに漢字変換できなかった。びっくりよ』
『よくある、よくある』
そう返事をしてすぐ、俺はウェブブラウザを呼び出して、ウィキ内を“隕鉄の杖”で検索してみた。
「おっ、これか。どれどれ……ほぉ」
隕鉄シリーズは各種武器だけが存在していて、同シリーズの防具はない。装備するのに要求されるレベルや技能などがないけれど、性能も使い古しシリーズと同程度しかない。だけど、獲得経験値が一.二倍になるという隠し効果がある、と記載されていた。
隠し効果というのは、アイテムをクリックして確認できる追加効果の欄に書かれていないけれど、実際には効果が発揮されていることが有志の手によって確認されたもののことだ。ウィキにそう書いてあった。
なるほど……さすが堀川さん。一般人がやったら無駄に死ぬだけで終わっていただろうことも、堀川がやると、レアゲットして死んでもお釣りが来るほどの有意義な結果になっている。神に愛されているとでも言うのだろうか? いや、言うに決まっている。
『堀川さん、その杖ね、わりと良いものみたいだよ』
『そうなんだ。嬉しいわ』
あんまり嬉しくないように聞こえる、というか見えるのは、何がどう良いのか分かっていないからだろう。
『その杖を装備していると、貰える経験値が少し増えるみたい』
『ほんと!? やった!!』
今度はしっかり、喜んでいるのが伝わってきた。というか、ガッツポーズしているし。
あ、経験値アップといえば……
『いまの狩りで経験値そこそこ稼げたけど、堀川はどうするんだ?』
『どうするって?』
『見たところ魔法系っぽいけど、このまま攻撃系を取っていくの?』
俺の質問に、ココロは何も答えない。長めのチャットを打っているのかと思って待っていると、携帯が鳴った。液晶を見ると、堀川からの通話着信だった。驚きつつも、とにかく通話ボタンをタップする。
「堀川?」
「ごめんなさい、チャットはもう疲れちゃって。こっちでいい?」
「あ、うん」
「それで経験値をどうするか、という話なんだけど……」
「うん」
「どうすればいい?」
「……うん?」
「だから、敵を倒すと経験値が貰えるというシステムは理解できたんだけど、それからまた何かしないといけないの?」
「ん、ん……んー……そうだったね。堀川さん、ネトゲ初心者というかゲーム全般の初心者だったんだよね」
「そうじゃなかったら、ほぼ見ず知らずだった山野くんにネトゲを教えろなんて言ってない」
「だよね。じゃあ……よし、いまから攻略ウィキのアドレスを教えるから――ああ、それよりも検索したほうが早いか――とにかく、教えるから、それを一緒に見ていこう。一から覚えたほうが、きっと理解しやすいだろうし」
「……ふふっ」
堀川が急に小さく吹き出す。
「え、なに? なんで笑われた?」
「確かにわたし、教えてって言ったけど……山野くん、本当に先生みたいなんだもの」
笑いながら言う堀川に、俺はなんだか恥ずかしくなってしまって、ぶっきらぼうに言い返す。
「べつにいいんだけど、堀川さんに一人で熟読してもらっても」
「ううん。それだと絶対に五分で飽きるから、よろしくお願いします」
「……うん」
素直にお願いされると、それはそれで照れてしまって、上手く口がまわらなくなってしまうのだった。
S.Oことザイフェルト・オンライン。よく、Z.Oと省略されることもあるけれど、正しい英語表記の略称はS.Oのほうになる。
それはともかく、S.Oのキャラクター成長方式である。一定数の経験値を稼げば自動でレベルアップするわけではない。経験値をプレイヤー自身の手で各種技能に割り振ってキャラを強くさせていく方式だ。
いわゆる職業、クラスというものはない。ただし、取得している技能によって称号が得られる。たとえば、剣技能を伸ばしていると【剣士】の称号が得られて、その称号をキャラに装備させると、耐久力が上がって、さらに剣で攻撃したときのダメージが高くなる。ただし、剣以外の武器を装備すると称号【剣士】は自動で外れてしまう。この称号がある意味、そのキャラの職業になると言えなくもない。
堀川のキャラであるココロは、杖を装備していた。杖は魔術師向けの武器だけど、電話で話したところによると、堀川はべつに魔術師っぽい技能構成を目指すつもりで【杖装備】の技能を取ったわけではなかった。
「さっきも言ったけれど、隕鉄の杖を拾ったじゃない? でも、装備させてみたら、“杖技能が未修得なので性能が低下します”というメッセージが表示されたから、じゃあそれを取得すればいいのね、という流れで取ったの」
「なるほど……じゃあ、とくに杖にこだわりがあるわけじゃないんだ」
「そうだけど……でもせっかく取った技能だし、初めて手に入れた武器だし、少し愛着が湧いてきているかも」
「そっか。うん、そうだよね」
考えてみれば、堀川にとって隕鉄の杖は、初めてのゲームで初めてゲットしたレアだ。そのレアが剣や槍ではなく杖だったのも、あるいは運命みたいなものなのかもしれない。
「それじゃあ、ココロはこのまま杖と魔術の技能を伸ばして、魔術師な方向性で成長させていこうか」
俺は携帯に向かって言いながら、だったら俺のキャラはタンクかな。あ、回復魔術もあるといいよな。聖騎士とかそんなイメージで――なんて、フライド豚まんくんのビルド方針を考える。
ふと気づいたら、電話の向こうが静かだった。
「あれ? 堀川?」
「――ごめんなさい。大丈夫、居る」
「あ……うん、そっか。いきなり黙るからビックリしたよ」
笑い混じりに言った言葉に、
「それはこっちの台詞!」
怒ったような声で返された。
「え……」
「い、いきなり下の名前で、しかも呼び捨てとか……べつに嫌とか駄目というわけではないけど、こういう不意打ちみたいな真似は良くないというか、デリカシーが欠けていると思う」
いきなり早口で説教された……。
「え……ええと、堀川さんのキャラの名前、なんだけど……」
「え?」
「いや、キャラの名前。ココロ、だよね」
「あっ」
どうやら堀川にも、俺がべつに堀川のことを呼び捨てにしたわけではないと分かってもらえたようだ。よかったよかった。
……。
なんとなく途切れる会話。
すごく、話しかけづらい。そういえば女子と放課後に電話してるんだよなぁとか、いまさら意識してしまう。
堀川のわざとらしい咳払いが、この緊張を破った。
「ん、んっ……じゃあ、ココ――わたしのキャラは、杖と魔術の技能を上げていけばいいのね」
「あっ、うん。そうだね。ええと、魔術は属性とか色々あるみたいだけど、ウィキの成長指南っていうページに魔術師ビルドのテンプレも載ってるから、それを参考にしてみて」
「何を言ってるかよく分からないけど、参考にしてみる。あっ、わたし、ちょっとお使いを頼まれたから、電話切るね」
「うん。じゃあ、また何かあったら」
「うん」
通話が切れた。その途端、どっと肩が落ちて、溜め息も落ちた。
「はあぁ……やばいな……」
自分がいま話している相手が堀川心なのだと意識してしまうと、思春期の衝動を抑えられなくなってしまう。こんな反応ばかりしていたら、この関係は終わりになってしまうだろう。べつに恋愛関係になりたい、みたいな大それたことを思っちゃいないけれど、せっかく話せるようになった奇跡を三日と経たずに手放すような真似はしたくない。もっと自戒するべきだ。
「よし、堀川のキャラの名前は二度と言わないぞ……!」
俺は固く誓った。
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