●5. 普通に
本屋で堀川にいきなり話しかけられた日から、一週間と少しが経った。
俺による堀川へのネトゲ指南――という体裁でのペア狩り生活は順調に過ぎている。一度の週末を挟んだこともあって、俺のキャラ・フライド豚まんも、堀川のキャラ・ココロも、一端の戦士と魔術師といった感じに成長を果たしていた。
俺は【剣装備】【金属鎧装備】【盾装備】という耐久型の前衛に必要な技能一式に加えて、【魔術才能】【光魔術】も一レベルだけ修得した。魔術系の技能はいくつかの系統に分かれているのだけど、光系統の魔術は一レベルからHP回復の魔術が使える。それが目的で【光魔術】を一レベルだけ取る者も少なくないという。【魔術才能】については、修得するとMPや魔攻、魔防などが微増するという効果もあるけれど、魔術技能を修得するための前提条件になるから取ったというのが理由の全てだ。
一方のココロは、【杖】【布服装備】【魔術才能】【火魔術】と取っている。隕鉄の杖をずっと装備していたおかげで、俺よりも多くの経験値を稼いだのに、俺よりも修得した技能の数が少ない。でもその分、【火魔術】に一点集中で経験値を注ぎ込んでいた。おかげで、取得した経験値の量から産出されるランクに比して高威力の火魔術をぶっ放せるけれど、MPを補強する技能が疎かになっているため、でかいのを一発ぶっ放したらガス欠寸前になるという、育成失敗の見本みたいなキャラになっていた。
『失敗とか言わない! 一発で殲滅できればいいんだから、むしろ燃費いいわよ!』
『はいはい、そうだな』
『言い方が適当!』
ペア狩りの最中、ココロのMPが尽きるたびに挟まる休憩のたび、俺と堀川の間ではこんなやり取りが繰り返されている。
一週間で成長したのはココロだけではない。堀川のタイピングも目覚ましく上達している。スマホのメッセアプリで会話するのと、ほとんど変わらない速度でチャットするようになっていた。口調の感じがリアル会話と微妙に違うところは相変わらずだけど。
『それで、今日はどこで狩るの?』
『昨日の狩り場だった森から南下してみようと思う』
ココロの質問に、俺――フライド豚まんはそう答えた。すると、ココロはわざわざ頤に人差し指を添えて小首を傾げるジェスチャーをしながら聞き返してくる。
『それ、昨日見た立て看板の先に行くってことよね』
『だな』
『あの看板、この先危険! 初心者近付くべからず! ……って書いてなかった?』
『書いてあったな。でも、調べてみた感じ、少しずつなら狩れそうな気もしたんだ』
俺はウィキの内容を思い出しながらチャットを返した。
昨日の狩り場は、最初の街アミジェから街道を東方向に進むと南側に見えてくる森の入り口付近だった。マリオム大森林と名付けられた森は、その名の通り、マップ数枚分の広さを誇っている。街道からほど近い入り口部分の出没MOBは、街道付近に出てくるMOBに毛が生えた程度のものばかりだけど、マップ切り替えポイントを越えて奥へと進んでいくたびに、どんどん強い敵が出てくるようになっている。最奥には時間沸きするボスも出るようだ。
街道沿いの敵で満足できなくなった新人プレイヤーが少しずつ攻略していくのに丁度良い狩り場だ、という触れ込みでウィキに紹介されていた。
『豚まんくんが言うなら、わたしに異論なしよ』
『それはありがとう。でも、豚まん呼びは……』
『じゃ、豚くん』
『フライドのほうで呼ぶ選択肢はないの!?』
『そんなことより早く行きましょー』
ココロがさっさと歩き出す。待ってよ、とチャットを返すのももどかしく、俺もすぐにその後を追いかけた。
●
昨日まで狩っていた「マリオム大森林・街道付近」に比べて、そこからマップひとつ進んだ「マリオム大森林・外縁」は木々の密度が増え、薄暗さも増していた。
「これは……操作が難しいな……」
マウス操作しながら、思わず舌打ちが出た。
障害物となる木が多い上に、画面が暗い。キャラの移動が面倒になるのもさることながら、黒い甲殻をした大型カブトムシみたいなMOBが木の裏側から飛び出してくる。ただでさえ薄暗い中を、黒いカブトムシが死角か飛びかかってくるのだ。目が疲れること、この上ない。
「――あっ」
ちょっと目を瞑った瞬間、ぶぅん、という羽音がヘッドホンから聞こえてきて、はっと目を開けたら、木の裏から飛び出してきたカブトムシがココロに体当たりしていた。
魔術の詠唱を潰されたココロは、杖を構えた詠唱モーションから、背を仰け反らせた被弾モーションを取った後、一目散に走り出す。
「って、そっちじゃない!」
ココロが走り出した先は、フライド豚まんと反対の方向だ。気持ちは分かる。とにかく距離を取って、もう一度詠唱する時間を稼ぎたいのだろう。カブトムシはPCより少しだけ足が遅いようで、ココロが数歩走ったところで、その時間が稼げたように見えた。
ココロが再び、火魔術をぶっ放そうとして詠唱モーションに入る。でも、残念ながら、稼いだ時間が足りなかった。またしても途中でカブトムシの体当たりを食らって、ココロの詠唱は中断された。そして再び、ココロは逃げ出す。カブトムシが追いかける。
「だから、そっちじゃないって!」
パニックになっているのか、ココロはカブトムシから遠ざかる方向、すなわち俺からも遠ざかる方向へ逃げるのを止めない。そのせいで俺が追いつくのは遅れてしまい、その間に三回の体当たりを受けていたココロは、俺がカブトムシをようやく攻撃範囲に捉えて剣を振ったのと同時に受けたカブトムシの体当たりで大きく吹っ飛んでいき――
「あぁ……」
吹っ飛んでいた先の木陰から飛び出してきた数匹のカブトムシに集られて、あえなく耐久ゲージを尽きさせたのだった。
ココロの死亡を見届けてすぐ、俺はショートカットに登録してある帰還アイテムを使用。俺を次なる標的に定めたカブトムシたちが目前に迫ってきたところで、ワープが発動して画面が暗転した。
ローディング画面を眺めながら、俺は嘆息する。
「堀川さん、怒ってるだろうなぁ……」
●
『なんで豚、死ななかったの豚!!』
『予想以上に酷い罵倒だった』
街に戻った俺は、後から死に戻りしてきたココロと合流するなり罵倒を浴びせかけられた。チャットの速さに成長を感じて、しみじみとする。
『予想以上に酷かったのは豚のほうでしょ。自分だけ死なずに戻るとか、ずるいわ!』
『いやいや、あそこで死ぬまで粘る意味、なかったよな?』
『わたしが死んだんだから、一緒に死んでよ。ペアでしょ。一蓮托生でしょ!!』
『重いな! ペアの意味が重いな!』
でもちょっぴり、女子から一蓮托生と言われるのってなんだか魅惑的だ、とか思った。
『それはそれとして、』
チャットで一頻り喚いたことで満足したのか、ココロのほうから話題を換えてくる。
『この後、どうする? わたしは再挑戦でもいいけど』
『そうだな……』
俺は時刻を確認する。そろそろ寝たほうがいい時刻だ。今日も平日だし、明日も平日である。
『今夜はこれで切り上げよう』
『分かったわ。リベンジは明日ね!』
『その前に、立ち回りの確認をしないとだけど』
『そういうのは学校で済ませればいいわ』
え……?
ココロの頭上に浮かんだチャットの文字に、俺は一瞬、息が止まってしまった。その反動で大きく息を吸い込みながら、俺はキーボードをがちゃがちゃ叩く。
『学校でネトゲの話をするの?』
俺がそう発言してから返事が返ってくるまでの時間は、やけに長く感じられた。
『そうじゃなくて!』
なぜかガッツポーズのジェスチャーをするココロ。
『じゃなくて?』
『だから、学校で休み時間にスマホでメッセできるでしょ! 帰り道に電話でもいいし!』
『あー、そうか。そうだな、その通りだ』
『でしょ?』
『だな』
二人して、うんうんと大きく頷くジェスチャーをする。
いつだったココロと呼び捨て発言してしまったときのように、無駄に無意味に緊張する時間だった。学校というリアルな単語を目にして、つい混乱してしまった。堀川とネトゲ内のチャットや、ネトゲの話題で電話するのは自然体でできるようになったと自負しているけれど、学校でリアルに面と向かって会話するなんていうのは、想像しかけただけでこの体たらくだ。ネットとリアルの間に横たわる溝は、想像以上に暗くて深い。
『山野くん、誤解しないでね』
リアルを前にして怖じ気づいていた俺の目に、ココロの発言が飛び込んでくる。
『べつに山野くんと話したくないわけじゃないのよ。クラスのみんながいるところで男子に話しかけるのって緊張するし、絶対に上手く喋れなくなるわ。あ、女子にもだけど』
あ……なんだ、堀川も俺と同じなんだ。
そう思った途端、想像力の目に貼りついていた広角レンズが取れたように、教室や堀川のことが普通の距離に感じられた。リアルとか高嶺の花とか、そういうふわふわした特別なものではない――普通に俺もいる教室で、普通に俺と同じ生徒なんだよな、と思えた。
――明日の朝、教室に入ったら堀川に挨拶してみようかな。声をかけるとかじゃなく、目がちらっと会ったら会釈する、くらいでさ。
そんなことを考えて頬を緩めていた俺の目に、
『というより、山野くんに話しかけてるところを皆元くんに見られて誤解されたら嫌だし』
……ああ、うん。そうだね、そうだった。堀川がネトゲをやろうと思い立ったそもそもの理由、わりと本気で忘れていた。
『早く皆元に話しかけられるといいな』
『うん。もう少しランクが上がったら、ね』
俺のチャットにそう返事したココロは、なんの仕草も取っていない。だけど俺には、ココロのキャラ画像の向こうに、顔を火照らせている堀川の姿が透けて見えた。
……あれ? 他人の恋路に手を貸すのって、わりと空しいことなんじゃないか?
ふと今更ながらに、そんなことを思った。
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