●9. ヒダリと皆元は
皆元は結局、ヒダリとしての自分でいるときに嘘を吐くことができなかった。
装備の情報だとかを確認するためにログインしたところを、待ち構えていた桜川さんに捕まって、全て吐いたというわけだった。
メールで呼び出された俺は、いま落としたばかりのS.Oを再起動させて、続きのメールで指定された待ち合わせ場所にフライド豚まんを向かわせた。今後も教室内で顔を合わせる以上、ここで行かないと面倒が加速するだけだと思ったからだ。
待ち合わせ場所は独立都市アミジェの東門を抜けてすぐのマップだ。マップ中央を街道が東西に走っていて、マップ西側の端にはアミジェの城門があり、その南北には城壁が延びている。俺が向かったのは、その城壁に沿って北にいくらか進んだ地点だった。正方形のマップの左上の角、というと分かりやすいか。
城壁が見えるだけの草地に、俺を待つ二人のキャラクターが座っていた。一人は金髪のロン毛で白っぽい鎧を着込み、大剣を背負った前衛系のキャラだ。
もう一人は銀髪ショートで、これまた白っぽい鎧を身につけているが、こちらのは胸や肘といった要所だけを覆っている部分鎧だ。腰に短剣の鞘を吊っているが見えるけれど、主武器は見あたらない。盗賊的なキャラなのだろうか。
金髪で大剣を背負っているほうのキャラ名がヒダリ、銀髪で短剣を携えているほうがアズヘイルだった。なお、どちらも男性キャラだった……。
彼らの前まで来て棒立ちしていた俺に、銀髪のほう――アズヘイルがパーティへの加入要請を飛ばしてきた。パーティに入れば、加入者以外には見えなパーティ用チャットで会話することができる。人気のない場所とはいえ、リアルに関わる話をオープンでするのは嫌だ。俺は了承をクリックして、ヒダリとアズヘイルのパーティに加入した。
早速、アズヘイルの頭上にチャットの吹き出しが浮かんだ。
『山野くんだよね?』
『はい、そうです』
ゲーム内で本名を呼ばれる違和感に戸惑いつつも、素直に答えた。
『よかった。すごい名前だから、人違いかもってドキドキしたよ』
無味乾燥な文字の羅列が、銀髪青年の頭上にぽんと表示される。これがまったく見知らぬキャラの発言だったら、「お姉言葉きめぇ。銀髪とか中二かよ」と内心で笑っていたことだろう。
でも、アズヘイルを操作しているのは間違いなく桜川さんだ。そう思うだけで、チャットの文章が桜川さんの声で脳内再生されてしまう。全然キモくない。銀髪とかマジクール。
『あれ?』
脳内再生の声に聞き入っていたら、首を傾げるジェスチャーをされた。慌ててチャットを打ち込む。
『あ、うん。大丈夫。聞いてる。寝落ちじゃないです』
するとアズヘイルは、口元に手を当ててくすくす笑うジェスチャーをした。
『敬語じゃなくていいよって、教室でも言ったのに』
『あ……ごめん、気をつける』
チャットを打ちながら、アズヘイルのプレイヤーはやっぱり桜川さんなんだな、と改めて思った。
でも、ほっこり気分になったのも束の間のこと。アズヘイルが次に言ったチャットで、緩んだ気持ちはぎゅっと引き締められた。
『ヒダリは皆元くんだったんだね』
――そうだった。今日の放課後に企てたことは、もうすべて露見しているのだった。桜川さんのメールが来た後、皆元からのメールも届いて、そのあたりの事情は大まかには把握していた。二人の間で具体的にどういったやり取りがあったのかまでは知らないけれど、「ばれた」という結果が全てだ。
でも、企ては結局未遂に終わったわけだから、俺は無罪……だよな? だよな!?
『ええと、フライド豚まんくんって呼びにくいから、山野くんって呼んでもいいかな』
『あ、うん』
名前なんてこの際どうでもいいから、この生殺し状態から解放してくれぇ……!
『じゃあ、山野くん』
『はい』
ああ、沙汰を下されるのか……でも、これで楽に……
『巻き込んでしまって、ごめんなさい』
……え?
俺が謝り倒す展開になると思っていたのに、なぜか桜川さんのほうから謝られてしまった。
戸惑っている俺に向かって、桜川さんはチャットを続ける。
『わたしさ、S.Oでヒダリと知り合えて本当に幸運だったって思ってるんだ。だから、リアルで同じ学校になれるかもってなったときは、もう死んじゃうんじゃないかってくらい嬉しかった。クラスも前に一組って聞いてたから、もう絶対運命だこれーって』
銀髪の頭上につらつらと表示されては、続く発言の表示に押されて消えてくチャットの吹き出し。アズヘイルというキャラを借りた桜川さんの告白はさらに続く。
『なのに、ヒダリはずーっと見つからなかったの。わたしが同じクラスになったって教えたのに、自分が誰なのか全然教えてくれなかったの。そりゃ、リアルのことを直接聞くのはマナー違反だって思うけど、だってわたしとヒダリの仲だよ。二年も相方だったんだよ。色んな話をしてきたんだよ。一緒に受験を乗り越えた仲なんだよ。同じクラスなんて奇跡なんだよ。教えてくれたっていいじゃない』
桜川さんのチャット速度は恐ろしいほど速くて、チャットログを読む速度が追いつかないくらいだ。
『最近じゃヒダリはあんまりログインしてくれなくなって、そんなに嫌なんだって泣きそうだったけど、でもそれなら仕方ないかな。もうリアルのこと話すの止めるよ、って思った矢先にこれだよ』
これとはきっと、俺がヒダリのプレイヤーに成りすます計画のことだ。
『山野くんがヒダリだと勘違いしたのは、わたしが悪かったよ。皆元くんじゃないかとも思ってたけど確信持ててなかったし、そんなときにこれ見よがしにS.Oの本を落とされたら勘違いしちゃうよ。でもだからって、騙そうとするなんてないよ』
立て板に水のごとく流れていたチャットが、そこでぴたりと止まる。何か言うべきなのかと指を彷徨わせたけれど、桜川さんの頭上にぽつりと呟くようにチャット表示されるほうが早かった。
『気づけなくてごめんなさい』
フライド豚まんのほうを見て話していたアズヘイルが、ヒダリのほうを見る。
『騙してやりたいほど嫌われてたのに気づけなくて、ごめんなさい。ヒダリが生涯最高の相棒だって言ってくれたやつの中身は、空気読めない馬鹿女でした。ごめんなさい。ごめんなさい』
アズヘイルが淡々と謝り続ける間、ヒダリはずっと座ったままだった。まさか寝落ちしているわけではないと思うけれど、身動ぎひとつしなかった。
結局のところ当事者とは言えない俺に、この状況が何が言えようか。黙って見ていることしかできなかった。
アズヘイルのチャットが止むと、居心地の悪い沈黙が流れる。
おい、皆元。何か言えよ。「違う」とか「そんなことない」とか、なんでもいいよ。まさか、このまま無言でログアウトする気じゃないだろうな?
そのときようやく、ヒダリの頭上にチャットが跳ねた。
『無理だ』
たった一言、それだけだった。
『ごめんね』
そのチャット表示が消えぬ間に、アズヘイルの姿が消えた。ログアウトしたのだった。
俺もさすがに黙っていられなかった。
『おい、いまのはないだろ!』
……皆元の返事はない。でも、ログアウトせずに残っているのなら、甘んじて罵倒される覚悟はあるということだ。いいだろう、望み通りにしてやる。
『無理ってなんだよ。っつか何様だよ。俺らみたいなクソオタが他人の無理だとか言える立場か? むしろ逆だろ。おまえのリアルがばれた時点で、向こうからナイワー言われるのが普通だろーが。いや、それもなかったか。なんせ、俺をおまえだと思ってハグしてきたんだぜ。俺ら、いったら爬虫類だぞ。犬猫じゃない。抱きついてくる女子なんて百年先までいねーぞ。なのに桜川さんは平気で抱きついてきたんだ。天使だろ女神だろ。それを無理だって、おまえマジ天罰で死ぬぞ!!』
我ながら中二爆発な長台詞を書き殴った。桜川さんよりチャット速度は遅かったけれど、皆元は最後まで黙って聞いていた。その証拠に、俺が罵倒をぶちまけてから少しの間を置いて、ヒダリは短い言葉を発した。
『無理なのは自分のほうだ』
『……それじゃ分からねーよ』
『アズヘイルは良い奴だ。だから、その背後の桜川が良い奴なのも分かる』
『それが分かるんなら、何が無理なんだよ』
『桜川は良い奴だ。でも、自分はそうじゃない。おまえが言ったようにクソオタだ。だから無理なんだ』
……咄嗟に反論が出てこなかった。
皆元は色々全部、分かっているのだ。自分と桜川が一緒にいたら、お互いにとって面白くないことが起きかねないと。桜川がうっかり俺に抱きついたとき、茶髪チャラ男は明らかに苛立っていた。俺を睨んでいた。皆元が桜川と一緒にいれば、今度は皆元が睨まれることだろう――直接的な意味だけでなく、比喩的な意味でも。
『自分はもうずっとこうだから、リアルで周りから奇異の目で見られても気にしない。でも、桜川が傍にいたら、見られるだけでは済まなくなる。確実に、だ』
皆元の言葉は、俺の理解を肯定するものだった。でも、その言葉を見て、ふと気になったことがあった。
『皆元は、自分がイジメの対象になるかもしれないから、無理だと言ったのか? 相棒が変な目で見られるのは嫌だ、とは思わないのか?』
揚げ足を取るようなことを言っているな、と自分でも思ったけれど、訊かずにはいられなかった。
返事は、やや間があってからだった。
『桜川はアズヘイルのプレイヤーだけど、アズヘイルじゃない。ヒダリとアズヘイルは終生の親友同士だけど、自分と桜川は他人同士だ』
ふむ……?
『ちょっと整理させてくれ。ヒダリと皆元は同一人物だよな。アズヘイルと桜川さんもそうだよな?』
『……昼間も言っただろ。自分はロールプレイヤーだと』
『ああ……』
ロールプレイヤー、すなわちネトゲを演劇の舞台として遊んでいるプレイヤー。彼らにとっての自キャラとは「自分の操作するキャラ」ではなく、「自分が演じているキャラ」だ。役同士が友人という設定だからといって、役者同士が友人だとはかぎらない。役と役者は別物なのだ。
俺は画面に映ったヒダリを眺める。
金髪ロン毛に、白を基調とした鎧と大剣。武芸者といった感じの見た目は確かに、いつもどこか憮然とした顔をしている皆元とは似ても似つかない。別物だと言われて、すとんと腑に落ちてしまうほどに。
『でも、桜川さんはヒダリとも皆元とも友人になりたいんだよな』
『そういうことになるのか』
『おまえとしては桜川さんと少しも仲良くなりたいと思わないわけ?』
俺がそう訊くと、皆元が答えるまでに少しの間があった。
『皆元融というリアルの自分は溝鼠だ。綺麗な家で飼われている綺麗な猫に近付いたら、どうなるか。きっと猫を愛でる人々によって駆除されるだろう』
チャットに間が空いたのは、猫と鼠の比喩を考えていたためのようだ。そういう言葉遊びは俺も嫌いじゃないが、いまは気分じゃない。
『それはさっき聞いたのと同じだろ。言い方を変えただけだろ。そうじゃなくて、皆元の気持ちはどうなのかって聞いてんの。周りとか関係なしに、桜川さんとリアルでネトゲトークできたら楽しいだろうな、とか思わないわけ?』
今度はさっきよりも長い間があった。
『誰もいない教室でなら、嫌われるまで話したい』
『最後は嫌われるのが確定かよ! でもまあ、いい答えだ。青春だな』
『……笑うために答えさせたのか?』
『違うって。おまえの気持ちを確かめておきたかったんだよ』
『なんのために?』
『それはまだ秘密だ。もうひとつ確かめたいことがあるから、それを確認したら教えるよ』
『……そうか』
皆元は深く訊いてこなかった。
それから、俺たちはどちらかともなくログアウトした。
すでに夜明けのほうが近い時刻だったけれど、布団に潜ってもなかなか寝付けなかった。
……確認、しなくちゃな。
引っ被った布団の中で、声に出すことなく呟いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます